ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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時間のマジック
「ウーン、何かが違うな」
 バスルームの窓辺で小さな白い花をつけたシクラメンの鉢植え。昨年、日本へ帰った際一ヵ月余も忘れ去れながら、それでも細々と命をつなぎとめて僕の帰りを待っていてくれた。十一月に再会を果たしてより水と太陽の恵みをしっかりと受けてもらい、一週間ほどで新しい息吹、小さな芽を出してくれた。
 窓辺には空に向かって拡げた手のひらのような葉の中に、白い小さな花が二つ。そして根元ではいくつもの小さい命が産声をあげている。
 しかし何かが違う。
 
 葉の厚み、毒々しいがどこかか弱げなその色つや。その時間が短いからだろうか、つぼみから花に至るまでの形状の変化の仕方。直線的にヒョロリと伸びた茎からは力強さが感じられず、どこかもやしに似た印象を受ける。
 実は数週間ほど前から週に一度肥料を与えている。
 もしかしたら今の姿は一年前に花屋の店頭に並んでいた時のものに近いのかもしれないが。

 多くの花屋には商売をするにあたり大量に、美しく、ある程度長持ちする商品を<作る>ノウハウがあることだろう。それらを駆使して効率よく花を支配することが花屋という商売なのかもしれない。実際僕もその花開いた商品を買ったのだから、何の不平もない。その花を通じてお互いが納得しあった結果、シクラメンは僕のアパートへとやって来た。
 花は見ることももちろん楽しく、心を和ませてくれるが僕にとっては育てることもまた楽しいものだ。作るのではなく育てるということ。さて、この花の本来の姿とはどういったものなのだろう?店頭で出会った時の姿すら思い出すことが出来ないのだから、本来の姿など想像もできるはずはない。ただ、自身の中に<こうであって欲しい>というものがあるに過ぎない。今の姿がそれから少しずれているように感じるのは、その基となるものがはなはだあやふやなだけにこれまた心もとない。
 肥料を与えるという育て方を考える前に知らなければならないことがあるのに気付く。そもそも、鉢植えという育て方が植物本来の育て方ではないのでこんな事を考えること無駄なことなのかもしれないが、本来のあるべき姿を知ることは悪いことではない。

 本当の姿を知らなければ、その姿に近付くことすら出来ない。たとえそれが花であろうと、人であろうと。まずその本来の姿を知ろうとする努力、少なくとも姿勢が必要だ。間違った肥料を与えてしまえば、間違った育ち方をしてしまうこともある。開花を急がせるあまり生命を縮めてしまう危険もそこにはある。そうならぬために本来の姿を知らなければ。

 花にも、人にもそれぞれの個性がある。<これ>と確定できるものは何一つない。その本来の姿を知る為には流してみるのもひとつの方法だろう。
 周りの環境にゆだねてみる。とにかく太陽の光からエネルギーを得、雨に身体を打たれることにより水分を得る。地中から養分を吸い上げ、運がよければ落ち葉や動物の糞尿から滋養分をもらうこという幸運にも恵まれる。冬の寒さに命尽きるものもあれば、踏みつけられて瀕死の重症を負うものもいることだろう。そんな中でひと時を過ごし、厳しい冬の後に開いた花と葉。様々な影響を受け、また与えながら開いた花の色香や、葉の広がりや厚みがそれの個性、本来の姿と言えるのかもしれない。中途で命尽きるのもまたひとつの個性だろう。

 ただ面倒を見るだけではなく、時には突き放して自然に、周りの流れに身を任せるだけの生き方も良いかもしれない。もしかしたらこのシクラメンは真っ赤な花をつけるべく生まれてきたのかもしれないのだから。

 いくつもの春を迎えながら成長を、進化を遂げていく。
 シクラメンの花、葉は天を仰ぐ漏斗のような形状をしている。そこに受けた雨は一滴の例外もなく漏斗の出口から茎を伝い地中へと流れ落ちる。
 時間のマジック。

 流行していた頃は好きでも嫌いでもなかった。小椋佳氏作の「シクラメンのかほり」。それを口ずさんでいる自分をたまに見かけることがある。
 時間のマジック。
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by seikiny1 | 2005-01-23 11:32 | 思うこと
4ドルと99セントと
 16oz.(約500cc)のビールが税金込みで4ドル。
 これはバーでの値段ではなく一週間前にチエック・インした宿泊施設内にある売店での値段。しかもビールはアメリカで最もポピュラーな国産品(米国製)。

 一瞬の迷いもなく二本を買い求め、部屋へ入ると同時にのどへ流し込む。「ファ~ッ」という幸福の溜息がもれていた。
 普段は近所のデリで24oz.(約720cc)のやはり国産メジャーブランドのものを99セントで買い求めている。日常では16oz.に4ドルも払うなんてことはまずありえないことだ。しかし、その時は長旅でよほど疲れ果てており、頭の中はほぼ琥珀色に染まっていたのだろう。納得の値段だった。今、冷静になって考えてみても決して高い買物をしたとは思わない。
「あれは、あれでよかった」
 あの時の僕にとっては適正な値段であった。

 物の価値ほどあいまいで変貌自在なものはないだろう。もし、それを価格という金額のものさしに置き換える事を許されるのであれば、その数値は受け取る人によって、また同じ人であってもその時々に周りを取り巻く環境によって全く別のものとなってくる。価格を設定した人も含めて、それに百パーセント満足している人は一人もいないのではないだろうか。そもそも万人共通のものさしを作ろうということ自体に無理がある。
 誰が金塊を尊い物と決めたのだろう?
 行き先を失った砂漠の旅人にとっては、たった一杯の水が何物にも換え難い。
 性悪男に入れ込む女がいる。

 誰もが認めることの出来る価値というものは存在しない。物の価格のように多くの人がそれに従っているということはあるが。
 <戦い>がある者にとっては聖であり、他にとってはビジネスであったり正義であったりもする。全てのものには様々な矛盾が共存している。裏と表があるからこそものなのかもしれない。大切なのはひとりよがりになることなく、もうひとつの目から見た価値にも焦点を当ててみることのように思う。そういう目を持つことが出来れば、いつの日か僕はビールを口にすることがなくなるかもしれないが……。
 事の正邪は別として、何物かに価値を見いだすことができる人は幸せであると言えるだろう。それが許されるのは自分自身以外の何者でもない。言葉を換えれば自分自身で見いだすからこそ価値があるとも言える。光を失った目には何も映ることはないが、たとえ他人の目には小さな石ころにしか見えないものにも価値を見いだすことができる人はいる。そんな小さな石ころをいくつもポケットに入れて歩いていくことは、光明を失った闇を走り回るよりどれだけ幸せなことだろう。

 ただ見失って、目を閉じているだけで、目をこらしてみると大きな、小さな石ころがあちらこちらにゴロゴロしている。立ち止まって、そんなひとつをつまみ上げてじっと見てみる。そこには自分にだけ見ることが出来る光があるかもしれない。他人の価値観に惑わされることなく、自分の目を信じて行く。
 価値とは極めて自己中心的なものなのだから。

 一週間ぶりに部屋へ戻って来た。荷物を放り込み、その足でビールを買いに向かう。
 99セント。
 この価格が今の僕を幸せにしてくれる。
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by seikiny1 | 2005-01-18 10:48 | 思うこと
街の拾得物
 昔、お金がない時にはよく下を向いて歩いたりしていた。お金がそうそう落ちているわけはないのに。しかし、たまたま入った電話ボックスで財布と目があったり、拾った古着のポケットからお金が顔をのぞかせていたりするのはそう珍しいことでもないような気がする。
 お金がある程度あるに越したことはない。資本主義の世界で僕らは生きているのだから。しかし彼等は探している時にはそっぽを向き、別段火急の要があるわけでもない時に微笑みかけてくれたりする。実に気まぐれな女性のようなものだ。

 実に不思議なことだが、こちらが欲にぎらついていたり、「何かはないか!?」とキョロキョロしていると何も見つけることはできない。それはお金に限らず、様々なチャンスや人などなど。生きていて<いいな>と思えることにそういう状況下で出会ったことはない。
 無欲という状態を一度は経験してみたいと思うのだが、どんなものなのだろう?そういう状態にある人はよく言われるように本当に<何かをひきつける>のだろうか?憶測に過ぎないのだが、そういう人は<何かをひきつける>のではなく、<何かが見える>のではないだろうか、と思う。たとえ他の人と同じ物を見ていたとしても、その目に映ってくるものが違ってくるのではないだろうか。道端に転がった小石を見ても、そういう人は感じ取るものが違ってくるはずだ。表面だけではなくもっと奥深くまで。物ではない何かが。そしてその小石もまた微笑を返してくれるのではないだろうか。

 出会いというものはそういうものだろう。
 ひとつひとつのものに目をやり、そこにどういう価値を見いだすか。お互いに肩の力を入れず、同じレベルで見つめ合う。それが出会いであるということすらも感じないもの。

 街を歩きながら後姿からでもそれとわかるほどギラギラとしている人がいる。そういった人の目に留まる事柄はやはり、直截適な何かなのだろう。それはビジネスチャンスであり、人でありとにかく益に直結するもの。わかりやすく言えば、オマンマ、欲望のたねだ。そして、彼らの目には小石は小石としてしか映らないのかもしれない。たとえギラギラでのどをうるおすことが出来てもまた乾いてしまう。そしてまた何かを求めながら歩き続ける。小石の下に流れる水脈に目が行くことはないだろう。表面をくまなく見渡すあまり、小さなことのちょっと深いところを見つめる目をなくしてしまう。

 街角に腰をおろして流れ行く人々を眺めながら、そういった事を考えてしまうことがある。「僕たちは余りに表面的な事を見つめるあまりに、もっと大事な何かを見落としているのではないか?」と。しかし、通り過ぎた道を振り返ってみてもそこに何も見つけることは出来ない。僕たちは前を向いて歩かなければならないから。

 探そうと思っても見つからないものをどうやって見つけたらいいのか?
 僕に出来るのは、ただただ自然体で生きること。
 いやなものにいはいやと言い、好きな人には好きと言う。自分に正直であり続けること。



*********明日1月11日よりしばらくニューヨークを離れます。
その間PCに触れるチャンスは多分ないと思いますので、次の記事のアップは米国東海岸標準時で1月17日になる予定です。*********
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by seikiny1 | 2005-01-11 11:19 | 思うこと
ことば
 氷の上にぶちまけられた魚たち。無造作に積み上げられた野菜。たったの一ドルで空腹を満たすことの出来るあやしげな屋台。路上に腰をおろして手作りのちまきを売る老女。ひっきりなしに駆け抜けて行く台車。まだ陽のあるうちにチャイナタウンで人とぶつからずに歩くことは不可能といってもいいだろう。
 この活気、エネルギーは一体どこから生まれてくるのだろう?

 はじめてニューヨークへ来た頃、チャイナタウンを歩くたびに見知らぬ中国人から声をかけられた。まくし立てるような中国語の嵐の中でこちらが唖然としていると、あきれたように首を振りながらスタスタと歩み去る。背中を追ってみると、少し先で別の人も同じ洗礼を受けていた。
「俺って、中国人に見えるのかな?」、と当時はその程度にしか考えていなかったのだが、それは間違いであったことにしばらくして気付いた。彼ら、彼女らはたとえ相手が熊のような白人だろうと、いかつい黒人だろうと、警察官であろうと、交通局の職員であろうと、はたまた顔見知りでありしかも中国語が通じないとわかっている者にさえ平気で中国語を浴びせる。多民族国家、多言語などの歴史的背景のせいなのか、流れる民族の血のせいなのか、彼ら、彼女らにとって<言語>という名のことばはさほど大きな意味は持たないらしい。大切なのは何を<やる>のか<やりたくない>のか、相手は<どう?>なのかということのようだ。たとえ相手が象であっても彼らは中国語を浴びせるのかもしれない。たまたま中国語という言語を知っているだけで、それがアラブ語であっても同じ事をするのかもしれない。彼らの前では、言語とは便宜上のたった一つの道具。自分の<ことば>を表す一方法に過ぎない。その地位はきわめて低く、あやふやなもののように僕の目には映る。
 時として、彼らをうらやましい目で見つめるもう一人の自分がいる。
 自分のことばを持つ彼ら。そのゆるぎない自信がうらやましく思えてくる。

 こんな話もあった。
 日本のバブル経済が全盛の頃、日本からは多くの企業がアメリカへ進出し、それに伴い多くの駐在員達がやって来た。彼らは企業によって派遣され、住居の保証、高給与などその待遇面ではとても恵まれていた。
 その一方で現地採用と呼ばれる、アメリカの学校を卒業してこの地で職に就く日本人も多くいた。待遇面では駐在員とは天と地ほどの差があったといっても過言ではないだろう。
 現地採用組は「英語もろくに喋れないくせに、ポッと来て部長のいすに座り高い給料持っていきやがって」、と面白くない。
 駐在員側からの言い分を聞いたことはない。
 学校こそ出ていなかったが、僕にも現地採用組の末席を汚していた時期がある。そんな僕でも駐在員達の待遇にはある程度納得はいっていた。全く自分とは縁のない世界なので、かえって醒めた目で見ることが出来たのかもしれない。
 彼等はことばを持っていた。言語の壁を越えることばを。
 確かに<英語>という言語のレベルに関してはアメリカの小学生以下の人が多かったことも否めない。しかし彼等は<仕事>ということばに関しては極めて堪能であった。不思議なことに最初は言語面でうまくいっていなかったアメリカ人との間の溝も仕事ということばで埋まり、時間の経過と共に物事はスムーズに流れていく。仕事ということばで口を開き、仕事ということばに耳を向けていた。彼等は仕事ということばのネィティブ・スピーカーだったのだ。もちろん例外もいたが。

 言語というのは確かに重要なことばのひとつではある。しかし、所詮はことばというコミュニケーションの道具の一つであるに過ぎない。どんなにその言語が流暢でも、中身が空っぽでは何も訴えることはできないし、心から相手のことばに耳を傾けることも出来ないかもしれない。
 言語という道具にとらわれることなく、なんでもいい、たった一つでもいいから自分のことばを持つこと。
 絵、写真、ダンス、料理、歩き方、人も見る視点などなど。必ず自分にあったことばがあるはずで、自分でなければ喋れないことばがあるはずだ。
 そしてことばには強弱をつけて。発するという強と、受けるという弱。一方通行ではひとりごとになってしまう。壁に向かって話しているのと同じことだ。たとえ最初は片言であっても、発する者に意志があれば不思議とそれは伝わるものだ。受ける者が注意深く耳を傾ければ伝わるものだ。
 一方通行(我を通す)ということは、たとえそれが多数派ではなくてもいやでも目立ってしまう。中国人に不快感を持つ人達は、そこにことばの一方通行を見出しているのかもしれない。

 とにかく、ことばを喋ってみることが大切だと思う。ことばという物は、喋っているうちに、聴いているうちに自然と上達していくものなのだから。
 たとえ自分のことばが通じない世界でもことばは通じる。相手の声を聞くことが出来る。自分にその意思さえあるならば。

 第二次世界大戦以前の日本のように、日本のことばが通じる環境を無理して作るのではなく、自分自身のことばを、耳をもっと研ぎ澄ませていきたいと思う。
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by seikiny1 | 2005-01-08 10:14 | 思うこと
紅白歌合戦
 あいかわらずテレビは全く観ないのだが、借りてきたビデオをたまに観ることはある。
 日本人の多く住むアメリカの街で、日本のレンタル・ビデオ屋さんを探し出すことはそう難しい事ではない。僕がこの街にやって来た当時、すでに数件の店が存在していた。少なく見積もってもこの業種は二十年の歴史を持つことになる。
 「その商品は?」
 俗に言う海賊版だ。洋画に日本語字幕スーパーの入ったもの、邦画、アダルトもあるが、こと日本人向けのマーケットに限って言えば、その主力は間違いなく日本のテレビ番組を録画したものだろう。毎日のように日本のテレビ番組は飛行機に乗ってやって来る。
 十年程前だったろうか、日本から著作権保護団体の人達が海外での状況を視察するためにニューヨークを訪れた。当時の在ニューヨーク日系誌の誌面をにぎわせた位だから、この話題が日本人社会の中でどのくらい大きな関心事であったかは容易にうかがい知れる。「これで日本のテレビを楽しむことが出来なくなるのでは?」。人々は戦々恐々としていたことだろう。それほど日本のテレビ番組が持つ影響力は大きいということになる。
 結局この件は、<業者側が一本のビデオテープつき何がしかの使用料を団体側に支払う>ということを柱に、いくつかの制約付きでお目こぼしに預かったように記憶する。
 こういった事情で、日本の映像の海賊版はいまだに脈々と、しかも堂々と海外では生きている。

 日本の音楽業界ではCDが全く売れなくなってしまったらしい。
 二次以上の録音技術の進化、再生・配給媒体の多様化、人々の好みの多様化など様々な原因があると聞く。僕、個人的には魅力ある音源の減少や製作・販売会社の体質もかなり大きな原因だとは思うのだが、どうだろう?
 かつては、著作権=本、レコードというごく簡単な公式が成り立っていた。その後、カラオケや貸しレコード(CD)屋の普及などで、その権利関係はたびたび取りざたされて来た。時代の推移と共に情報媒体は膨らむばかりで現在に至る。そして未来へ。
 インターネットがここまで広く定着した現代、まるでその広がりと反比例するかのように著作権への意識は薄まってきている。無数の発表、発言の場でそれら全てを管理するのは不可能だろう。そもそもインターネットの背骨には<情報の共有>というものがあるのだから。コンピューター上で個人が思い思いに切り貼りをするのは至って簡単で、それを法律ごときで規制しようと思う方にどだい無理がある。
 そういう目でこの状況を眺めてみるとアナーキーという言葉が頭をよぎる。これを押さえつけるのにはものすごく強大な力が必要とされるだろう。
 力で押さえつけられた世界は住みづらい。そしていつの日か爆発の時を迎えることだろう。
 僕たちが快適に暮らしていく為にはやはりモラルが必要だと思う。それ無しでは秩序は確立せず、世は乱れるばかり。そこに花開くものも確かにありはするのだけれど。

 ここまでは<著作権>というからだを借りて話しをしてきたのだけれど、このモラルというものは、放置自転車、いじめ、老人や身体の不自由な人達への対処などといった現在取りざたされている社会問題の多くの根っこになっているように思う。もし、加害者と被害者という言葉を使うことが許されるのであれば、その<双方>が持つこの根っこに光を当てていかなければならない。
 これまでは法律のほかに<常識>という不文律でなんとかやってくることができた。常識がほとんど意味を成さない現代、求められるのは<良識>。単なる数の論理や、過去に縛られた常識ではなく、僕達の誰もが必ず心の奥深くに持っている良識を柱にしていかなければならない。それが必要とされる時代は既に来ている。

 形骸化した著作権。裏返してみれば、より多くの人の耳に、目にとまることが可能になったとも言える。それだけではなく、そこから想像すら出来ないような全く新しいものが生まれる無限の可能性をも秘している。この先、最低限のものだけを保護しそれ以外は個人の良識にゆだねることが出来るようになれば、もっともっと素晴らしいものが生まれ、この世は面白くなり快適に暮らしていけるはず。

 他人から縛られるのではなく、自分を見つめていこうと思う。
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by seikiny1 | 2005-01-06 09:16 | 思うこと
匿名希望
「さて次はOO県XX市の”匿名希望”さんからのおはがきです」
 最初に<匿名>という言葉を聞いたのはラジオの深夜放送だった。その頃のラジオの深夜放送は若者にとって一番あついメディアだったと言えるだろう。ハガキを読まれることによりプレゼントなどが貰えるのがほとんどだったので、匿名<希望>ではあっても本名は付記されていたはずだ。そして、時を経ずしてこれは自分で名づけた個性的な<ペンネーム>へと変わっていく。
 古くから匿名というものは存在していた。しかし、その多くは奉行所の目安箱のように告発または嫉妬などによるものだったのではないだろうか?この言葉から一種の暗い響きを感じる人も少なくないはずだ。そしてその血脈はいまだに警察などの貴重な情報源として生きていることだろう。
 今、匿名は別の顔を持ち歩き始めている。

 三十年前に、これだけのハンドル・ネーム(以下HNと略)という名の匿名が花盛りになる事を誰が想像しただろうか?インターネットの普及に伴いこの花は咲き乱れ、いまだ衰えを見せる気配はない。顔のない人格が全世界の人口の数倍になる日はそう遠いことではないだろう。
 インターネット上ではほとんどの人がHNを使う。その名前を見るだけでそれぞれの個性が想像できる楽しいものも多い。
 そのほとんどは、HNと本人は同一人格なのだろうが、インターネットという仮想空間に、もう一人、いやそれ以上の自分を作り上げ、それを楽しむ人もいることだろう。僕には到底そういう器用な真似は出来そうもないので、完全に使い分けが出来、自分を律することができる人をうらやましく思うことすらある。僕の場合だと、実生活を送る自分に「他の自分がかぶってしまうのではないか?」という不安につきまとわれてしまう。虚実の境目が不安定になる可能性を否定できないからだ。そして、その虚もまた実であると思うからこそ怖い。人間とはとても矛盾に満ちた生き物であるから。

 インターネットという媒体が普及するまで、マス・メディアのほとんどは一方向性だった。与えられた情報しかわからないし、自分の欲する情報を探し出すのは困難であった。しかしインターネットの出現によりこれらは確実に双方向性への第一歩を踏み出し、多くの人に発言の場を提供した。HNによりそれぞれが自分自身の内に持っていた発言に対する障壁すらもかなり低くなった。
 家での顔、外での顔、嗜虐的な顔、弱虫の顔、正義の顔、権威の顔、……。本人が意識しているかどうかの差こそあれ、誰もがいくつもの顔を持っている。「この顔では言えないことでも、あの顔だったら言える」、そうして拡がった発言の場で何の忌憚もなく言葉を発することが出来る。これまでは権威によって握りつぶされてきた情報などもHNの出現によって容易に日の目を見ることもある。最近話題になった、人気歌手の盗作事件などはその好例だろう。以前であったらこの手のスキャンダルは<事務所の力>で容易に火消しが行われたことだろう。ただ、HNはこういった社会的悪を追及・告発できるのと同時に、特定の人物や対象を容易に陥れることもまた可能である、という点にも気をつけなければならない。誰もがその被害者になる可能性を持ち、加害者となることも容易に出来てしまう。
 <言いたいことが言える世の中になってきた>。これはHNがもたらした最大の恩恵。<見たくない、聞きたくないことの蔓延、そして悪意による誹謗、中傷>これはあだ花。両刃の刃だ。この刃の先に行ける者こそ真の情報を把握し、そこからの第一歩を踏み出すことが出来るのだろう。それはきびしい道だろう。秩序や道徳が確立していない現代は乱世と言えるのかもしれない。

 <もう一人の自分>の体験は一度味わえばやめられない甘美なものかもしれない。ただ、その顔を持たない自分にも責任と的確な判断力が求められている事を忘れてはならない。
 大人でさえ自分を失いそうなこの世界で、まだ一個の人間としての途上過程にある子供達が、もう一人の自分と共に成長していく事を空恐ろしく感じることがある。日常で現実と非現実がないまぜになり、最悪の場合本当の自分の人格すら制御不能に陥ってしまう可能性すら想定されるからだ。

 これからはこれまで以上に人間との関わり方が重要になり、そのうえ機械・情報とのそれ、自分自身との対話がもっと必要とされてくることだろう。集団が社会を統制することよりも、個がそれを形成し導いていく可能性が高い。その為に、自己制御、情報選択力そして他人への思いやりなど今からやっておかなければならないことが山積されている。

 もし今HN禁止法案なるものが施行されれば世界は大混乱に陥ることだろう。
 多重人格症および対人恐怖症の患者がこの先増えぬことを願って。
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by seikiny1 | 2004-12-28 08:59 | 思うこと
自己活字欲
 自分の血液型を知らない。
 恥ずかしながら、この歳になるまで献血はおろか採血すらやったことがない。両親はA型とB型なので全ての血液型の可能性があるらしい。
 友人らと集まる時、何かにつけて血液型の話になることが多くそういった時には皆が僕の血液型を推測し、あれやこれやとしばしおしゃべりの花が咲く。
 ほとんどは何もしないのだけれど、一度何かに没頭したらとことん行ってしまう性格であることは自分でも感じている。ある人はそこに<完璧主義>の烙印を押し、A型論を導き出す。

 小学校に上がる前から本は読んでいたが、はじめて自分の活字の所有欲を意識したのは僕が四年生の時だったと記憶する。三歳年上の姉が中学生になり、<中一時代>という雑誌を買ってきた。僕は物珍しいそれを手に取り眺めた。その裏表紙は僕を吸い込んで行った。そこには赤いボディーを持つオリベッティーというイタリア製のタイプライターが毎月印刷されていた。この衝撃が変形して、後に僕をアメリカまで引っ張って来たことは紛れもない事実。

 本や映画の映像が自分の内に堆積し、僕自身が描くタイプライターのイメージは次第に拡がり、そして固まっていった。それは白黒の映像で、薄暗い部屋の中でタバコの煙を照らし出す卓上スタンドが乗った机に向かう男の後姿。彼の指は重いキーボードの上をそれでも器用に動き回り、タイプライターからはハンドルの操作と共に文字列が吐き出される。「カタ、カタ、カタ……」という乾いた音が部屋には充満している。
 こういったイメージと共に僕の自己活字欲はどんどんと高まっていった。

 現在、ワープロとコンピュータの普及により自分の活字はほぼ生活の一部となっている。生まれた時からそういう環境にある人の割合もかなりの数字だろう。
 僕自身もキーボードを叩き、それが活字になる喜びを今でも持ち続けている。たとえそれが誰に読まれることがなくとも、プリンターから吐き出された文字列を見ているだけで相変わらず嬉しくなってしまう。ただの自己満足といえるかもしれないが。
 しかし、時を経るに従いその喜びと平行し、「何かが違う」、という感覚にとらわれ始めた。
 e-mailのような短文ではそれほどは感じないのだが、ある程度の文字量を持った文章になると、そういった違和感に包まれてしまう。
 誰の文章にも独自のリズム、スピード、流れ、しなやかさ、そして全体像などといった特徴、個性が存在する。僕自身に関して言えば、キーボードを通し次々と画面に現われてくる文字列に「自分のものではない」といった感覚を頻繁に持ってしまうし、手書きで書いたものと、直接入力したものを読み比べてみるとそれはやはり別種のものに仕上がっていることが多い。魂とでも言うのだろうか、そういったものの欠如を感じてしまう。

 僕の稚拙なキーボード操作にも一因はあるのだろうが、これはやはり生まれた時にペン感覚でキーボードを触ったか否かによるところが大きいと思う。僕の場合はやはり、脳で考えた事を一度頭の中で文字列に置き換えてからでないとキーボードを叩くことが出来ない。その一瞬で魂が失われてしまうのだろう。一方、ノートに鉛筆で書く時には、文字が脳に直結しているのを感じる。考えるのと同時にそれは文字となって現われそこに定着する。何のフィルターも通さずに目の前に現われてくれる。

 僕にとって<書くこと>というのはやはりその文字面どおり書くことに尽きる。脳と十本の指が直結することはこれから将来も起こることはないだろう。鉛筆がすべるように埋めていったノートの中にしか本当の自分自身を見出すことはできない。いくらブラインドタッチが完璧になっても、そこから生まれたものは別個のものでしかない。
 僕にとってキーボードとは単なる一事務機器、優秀な校正機器であるに過ぎないようだ。

 活字になった瞬間に文字達は命を失ってしまうのかもしれない。

 やはり僕は完璧主義者ではないようだ、それとも別の意味で完璧主義者なのだろうか?
 さて、血液型は一体何型なのだろう?
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by seikiny1 | 2004-12-27 09:05 | 思うこと
トップランナー(プロ野球という会社の里親たち)
映画:東映、大映、松竹……
新聞;読売、毎日、中日……
鉄道;東急、西鉄、阪神、南海、阪急、近鉄、西武……
デパート;東急、阪神、阪急、近鉄、西武、ダイエー
IT:楽園、ソフトバンク。

こうやって思い出せる限りのプロ野球チームのスポンサー名、そしてそれらの球団がどういう時代に位置していたかを併せて考えてみると、各時代のトップランナー企業の栄枯盛衰とかさなっていく。そしてその向こうに、日本の文化風景をかいま見ることさえ出来る。
プロ野球には全く興味がない自分でさえある程度の球団名や、選手名くらい自然と覚えてしまう。日本で暮らしていたらいやでも目に、耳に入ってくる、それほどプロ野球とは日本人にとって影響力の強い企業なのだろう。そして時代のトップランナーでなければ引っ張れないほど金のかかる企業でもあるようだ。一体球団とはどれくらいの規模の企業であるかは想像もつかないが、たった数百人(?)規模の会社で、いくら計り知れない宣伝効果があるといはえ一億を越す年俸を取る社員が数人もいたらそりゃたいへんだろう。結果として今は、各企業の<数字でははかる事が出来ない>キャラクター子会社となって独立採算は不可能、常に親会社からの援助を頼るしか生きのびる道はない。そして、お荷物になったら里親を探して放浪しなければならない運命。そんな、損覚悟で養子にとってくれる企業はやっぱり時代のトップランナーぐらいしかいないのだろう。

やはり経費、特に人件費が異常に高すぎるのではないだろうか(バブル時の負債は別として。まぁ、これも先を読みきれなかった企業幹部の責任であるのだろうけれど)?もう、天井知らずで毎年上がっているように思う。最近、労働組合の方での活動も活発のようだが本当に愛社精神があり、失業という問題を真剣に考えて、後輩たちの就職のこと、業界の未来のことなどを考えるのであれば、自分らの権利の主張だけではなく自腹を切ってでも業界の、会社のために少しは頑張ったらどうだろう?アメリカの某大手企業では、社員全部が会社側が示した給料の数割減棒の提示を飲み、倒産の危機を乗り切っているところもある。物まねしろとは言わない。ただ、会社と個人、収入と支出のバランスをもう少し冷静に考えるべきではないのだろうか?まぁ、年季奉公の契約社員が高給取りのほとんどなのだから、会社側も企業を運営する人間として妥協点が見つからなければバッサリ斬るくらいのつもりで望まなければ。そうでなければこれらの企業のたらいまわしのような流転は永遠に続くのではないだろうか?とにかく「給料取り過ぎや、キミたち」、と思う。

さて、次の時代にはどんな里親達が手を上げるのだろう?
それとも孤児が増えるのか、行き倒れになってしまうのか?
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by seikiny1 | 2004-12-08 05:28 | 思うこと
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