ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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フェンスの向こうのアメリカ
いったいどこからだったろう?
覚えていないし、厳密な線というものは存在しない。
国境線じゃないから。
その、見ることのかなわない、国を仕切る線にしたところで、
幅に規定があるわけじゃない。
自然、その前後が緩衝地帯となる。
あやふやな、角のこそげた地帯。


バスで大陸を縦横断。
複雑な軌跡を描きながら。
あのピザに巡りあったのはどこのドライブインだったろう?
白い紙皿にのせられた三角形のピザにレッドペッパーをふる。
不思議な気持ちに包まれながら。
タバスコじゃなくレッドペッパー。
もう慣れてしまった。
不思議の輪郭が東へ向かうほどに明確なものとなっていく。
背景との境目が濃く、鮮やかな対比をなしていく。
さて、どこからを明確というのか?

それがNYのスタイルだった。
円盤状のカッターで直径50cm程のパイを放射状に切り分けていく。
ほぼ、均等に。
スライス。
途中の町までは小ぶりな1枚を頼まねばならなかった。
たったひとつの選択肢。
いつの頃からか三角形になったピザ。
スライス・ピザの文化。
よくも悪くも、この街では個人個人が独立していることの露れか?
選択肢、オプションのある街にて。

Papa John's Pizza
全米をおおう巨大ピザ・チェーン.
そういえば、最近ではLittle Ceasersを見かけない。
"Thank you, Thank you. Pizza, Pizza"というCMが好きだったのに。
行動半径が変わってしまったからなのか。

そんなPapa John'sですら、
NYのフランチャイズでは例外的にスライス売りをする。
さて、ハドソン川という幅広な境界線の向こう、ニュージャージー州ではどうだろう。
NYのベッドタウン化したホーボーケン市あたりではスライス売りをやっているかもしれない。
いや、あそこはイタリア移民の町。
フランク・シナトラの故郷。
Papa John's自体がないかも。
カフェ文化の遺るヨーロッパで、スターバックスを見つけるのが困難なように。



10日前のメールで知った《食の境界線》という言葉。
ボンヤリと言葉の残る頭、本の途中で立ち止まっていた。
斎藤緑雨『ひかえ帳』ページのはざまで。
「……コロッケ蕎麦といへるを、花屋敷のよし田にて出したり……」
明治31年。
思考停止のキーワードは明治ではなく、コロッケそば。
そんな魑魅魍魎(ちみもうりょう)のような食べ物が存在するなど想像だにしたことがない。
気になって検索をすると関東ではごく普通の食べ物らしい。
(昨日、再会した東京出身の友人に訊いてみると、
「あ、ある、ある。大学の学食にもあったかなー」、当然のような答えが返ってきた)
帰国時の拠点となる小田急線。
駅そばの『箱根そば』にもあるらしい。
次回は是非食べてみよう。
そういえば東京でそばを食べたのは数回しかないな。

その時、浮かんでいたのは
《食の境界線》ではなく、昨今よく聞かれる《ご当地グルメ》の方。
検索を重ねるうちに、《食の境界線》の方が濃くなっていく。



石川くん(枡野浩一さん表現)はふるさとの訛が恋しくなると、
停車場に足を向けたらしい。
NYにあるボロアパートのキッチンで、蕎麦にコロッケを浮かべる人もきっといるのだろう。

初帰国の時。
電車が故郷に近づくにつれ濃くなっていく地元のなまり。
歯切れよく、しかしベッタリと付着してくる。
流れ去るくたびれたホームを目で追いながら、
眠っていた方言が背伸びをして目覚めていくことを感じていた。
幅広い線。



静岡へ入った途端にコロッケ蕎麦が消えることはないだろう。
神奈川県のどこかの町では存在さえしないかもしれない。
線の幅は思いのほか広く、
Fade OutそしてFade inを繰り返す。



嵐の気配が残る港から乗ったバス。
高2の時、はじめての沖縄。
返還から日の浅い島は日本というよりも映画を見ているような不思議な街だった。
Budweiser, PEPSI.……乱雑に重なりあいながら調和をする、英語の看板で埋め尽くされた国際通り。
原付バイクにふたり乗りするノーヘルの若者は、歩道に乗り上げてバスを追い越していく。

混沌。

今、思うとそんな言葉がはじき出されてくる。
無秩序の中でかろうじてとれているバランス。
フェンスからは間違いなくアメリカがにじみ出してきていた。


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by seikiny1 | 2010-05-30 08:49 | 思うこと
がらんとした部屋
なつかしいけどど拾わない。
通勤の途中で。
ちょっと前までは、どの友人の部屋へ行ってもあったもの。
木製のカセット収納箱。
長方形の仕切りの中には60本以上のカセットテープが収まる。

デリ・カウンターの右袖にあるプラスチックケース。
生テープのパッケージが変わっていることがある。
本数も増えていたり、減っていたり。
ある程度の需要はあるんだろう、どの程度だかは知らない。

「ヒーッ!」
日本から来たSさんは、悲鳴にも似たうめき声を飲みこんでいた。
「好きなんだよねー、カセットのジャンクな音がさー」
15年前のタワーレコード地階。
あの日、彼女は何十本のテープを買ったんだろうか。
今でも聴いているんだろうか。
今でもカセット・ウォークマンをバッグにつっこんでいるのか。
買いだめをしていても不思議じゃない。


ここ数年よく見かけるゴミ。

道ばたに「ゴロン」と転がるブラウン管式モニター。
NYではまだ一般ゴミとして捨てることができるらしい。
LCDモニターの登場は、四半世紀もの間、窮屈だった机を昔にもどしている。
すこしばかり紙類が減ったが、その分増えているものもあって、おあいこ。
キーボードだっていつまであるかはわからない。
10年後のぼく達は、机の表面を軽くタイプしているだけかもしれない。
マウスだって。
いや、モニターだって、
オフィス・ワーカーのすべてが変な眼鏡をかけている光景が浮かんできた。

テレビ台という家具はもうそろそろ消えうせるだろう。
電子書籍が普及すれば、50年後の家庭から本棚は消える。
紙の本に固執する現代詩作家・荒川洋治さんですら、
「紙の本は消えてゆくでしょう。しかも思っている以上のスピードで」と語る。

2人で、3人で……。
囲むのはアルバムよりも、モニターであることの方が多くなってきた。
写真中の人すべてが過去となったとき、
アルバムを囲む光景はセピア色に包まれる。

iPodが出て数百枚のCDを中古屋の手にゆだねた友人。
驚愕の目で見ていたが、あれから日本の政権は何回変わったのか。

紙の本が消えてしまえば、《文庫本サイズ》なんて言葉は意味をなさなくなる。
実際にNY Times, Wall Street Journal……相次ぐ新聞の小型化で、
《新聞紙大》という言葉は死語となった。


道ばたで転げるモニターを見るたびに重なる映像。
そこもまた道ばた。
友人宅への途中で見かけた旧式(氷式)冷蔵庫。
大型金庫を思わせる鉄の塊がゴロリ。
半ば開いている2枚のドア。
2ドアより、1ドアのほうが新しかった時代。
日本へ帰っても氷屋さんなんて見ない。


本棚、CDラック、ステレオ、テレビ台、机……
部屋の中が空っぽになってゆく。
残るのはなんだ?

根本的な食の変化で電子レンジ、冷蔵庫が消えていないとは言えない。
皿やカップだって。
人々が裸で歩いていてもおかしくない。
家に住むという習慣すら消えているかもしれない。
美徳だった大量消費は50年を経て悪徳となった。
「男の美学」といわれた喫煙は、今では非難の対象だ。
たしかなことなんて何もない。
本を手に持つ、たしかな感覚が失われてゆくように、
この先、現実界のぼくたちはどんどん非・仮想現実の中に身を置くことになる。


「非現実界に棲むやつら」
弥次さん、喜多さん。
2時間半で東海道を駆け抜けるぼく達にそんな目を向けていることだろう。
非現実界に住もうと、ずっと羽ばたいてきた。



「なんだこりゃ……!?」
寝ぼけまなこの先に広がる異様な光景。
この部屋も。あの部屋にも。
転がるカラフルな巨大芋虫たち。
常夜灯に目を凝らすと、寝袋に眠る人、人、人……。
20年前のある日、友だち数人がシェアする日本の旧農家に泊った時のこと。
この家にはベッドというものがなかった。

100年後のぼくたちは眠ることすら必要としていないかもしれない。


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by seikiny1 | 2010-05-27 08:20 | 思うこと
スゴロク
右手だったか、それとも左手?
小学1年生。
親指の爪下に刺さった鉛筆の芯。、
そのままにしていた。
どうやって刺さったのか、
抜かなかったのか、抜けなかったのか。
わからない。

いつかくるだろう、思い出す日が。


意外と元気そうでよかった。
あごひげが伸びているものの、きれいに刈り揃えられている。
白いものの多さから年齢を数えてみたり。
2週間前にアパートを失ってしまった隣のオジサン。
玄関の前で偶然にいきあった10分後に、
ぼくはパリにいた。

「明日あたり、プリペイドの携帯を買おうと思ってんだ。
次は電話番号教えるよ。
あ、そうそう。この間電話したんだぜ。電源切れてたみたいだけど……」
連絡手段を失するのは家をなくすより怖ろしいことなのかもしれない。
今の世は。

部屋の鍵を開けながら思い当たる。
路上にいるとはいえ、なんとか目処が立ちそうなんだろう。
元気な姿を前にして頭が回りきっていない。
「風呂は……?」
どうしているんだろう、清潔そうには見えたが。

目の前に広がるのはぼく自身のホームレス最終期。
真冬のある日、Nさん宅でシャワーを使わせてもらった。
イーストビレッジの外れに20年近く住んでいる。
かつてはアルファベット・シティーと呼ばれ、
貧困層の住む危険地帯だった。
その外れにあるアパート。
日本からの友だちの地図にドクロマークが書かれていたのは昔のこと。
ある人と会うため、その日ぼくはどうしてもシャワーを浴びなければならない。
真昼の暗い階段の壁で蛾が眠っている。
今でも白熱灯だろう、5年後も間違いなく。
芸術的と言えるほどに幾層にも落書きが重ねられたドア。
5組の錠が拒絶する。

懐かしい間取りだった。
台所の真ん中にあるシャワー。
円形に囲むアイボリーのビニールカーテン。
こんなアパートも最近のニューヨークではなかなかお目にかかれない。


フィレンツェのホテルにあった半畳ほどのガラス・キューブ。
この部屋のシャワーは隅にあった。
裏窓は架けられた絵のようにどこまでも波打つ赤茶けた瓦。


引きずるようなノックだった。
ぬるい大瓶のビール片手にドアを開けると、
「共同シャワーの水が出っぱなしだったよ」と翳りのある顔でオーナーは言う。
そんなはずはないんだが……。
ミラノの安宿、客はぼくだけ。


蒸し暑いパリの商店街入り口で見た蝋細工のようなパック寿司。
それでも「食べたいな……」と訴えてくる何か。
この手のマズそうな寿司を最初に見たのは、
スキポール空港のコンビニでのこと。
ヨーロッパに到着しMarllboroを買いに行った時だった。


ローマの繁華街にはNew York Pizzaの看板。
日本でSUSHIの暖簾を出すようなもんだ。
中国で日式鍋貼か。
モンゴルでジンギスカン鍋か。


冷えたビールがを探しに夜中のブリュセルの街へ。
どの国へ行っても頼みの綱はマクドナルドあることを知る。
なぜかハイネケン。
紙コップで飲む生ビールはあまりうまくない。


夜遅くに着いたニースで飛び込んだのは、
閉店間際の日本レストラン。
鉄板焼の店だった。
なぜか鉄火巻きが出てくる。
うまい。
それにしても、どうしてこの手の店をアメリカでは
HIBACHIと呼ぶようになったのだろう?
火鉢に鉄板なんかはのせない。
網だ。

誰が名前をつけたんだ。
名前はつけるものなのか、つくものなのか。
最初の衝撃はカリフォルニア・ロール。
24年前、ニューヨークにて。

リヨン駅から外へ出るとスト。
バスも地下鉄も動いていない。
仕方がないので山の中腹にあるユースまで歩く。
挫折。
暑さと重さでバックパックが腰の中心にこない。
大きなホテルに入りタクシーを呼ぶ。
夕暮れの、十分に湿気をたたえた古い町並みは美しく、
どこからか聞こえてくる生ギターは今も甦る。
ゆで卵入りのサラダ。



まるでスゴロクのように紐とけてゆく記憶。
未来へサイを振ってみようか。


オジサンの風呂はぼくをヨーロッパへと連れていってくれた。


スゴロクにはあがりがある。
オジサンにも、ぼくにも。


右手だっか、それとも左手?


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by seikiny1 | 2010-05-24 08:31 | 思うこと
方便
午前2時。
トイレへ行くために灯りをつけると、30度ずつほど頭をもたげる。
台所の椅子の上で。
脱衣かごの上で。
ソファーの上で。
フロアマットの上で。
「なんだ?」
「あ、そう」
「~……」
半開きの目をぼくに向け、それぞれの納得。
ゆっくりと、あるべき場所へと頭が埋まっていく。

ここで眠らないときはどんな夜を過ごしているんだろう。
毎晩、同じメンツであることはない。

10匹ほどのネコくんたち。
はじめの頃は小さな物音を立てただけで、
ロケット花火のように消えていっていた。
いまでは、それぞれが、それぞれの場所を見つけ、
本能の軸足は警戒から休息へとシフトしている。



週に2度ほど駅近くで行き会う人がいる。
朝、駅を出る彼。向かうぼく。
黒いスーツケースを引きずる日本人。

先週の水曜日、初めて微笑みかけてみた。
すれ違う5m手前で。
2m。
口元の照れくさそうな笑みで返してくれた。



ネコくんたちとの関係もこんなものと似ている。
警戒、氷解、そして安心。
たとえ、名も知らぬ草が相手であっても。



去年はちょっとうれしい出来事があった。
1年半。

よく顔をあわせる人がいる。
同じ場所で、同じ時間に。
どうしたわけか、ぼくの姿をみとめると斜め上方45度に顔が向く。
そっぽを向く、とも言う。
ま、生理的に合わない顔なのかもしれないし、
ぼくの過去に否定的なのかもしれない。
人間嫌いなのかもしれない。
ただ、そこを見るのが好きなのかもしれない。

いつも微笑む。
たまに声を出し、少しだけ頭を傾けてみたり。
斜め上方45度。
別に、相手の態度が気に入らないからとかではなく、
意地悪してるわけでもない。
ただ、よく会う人だからあいさつくらいしなくちゃね。
名前は知らない。
素性を知もしらない。

これはぼくの物差し。
気のすむようにやっているだけ。


意地になっていたわけではないけれど、
正直なところ、ゲームと似たような感覚が出てきたことも否めない。

ある日の夕方、ニッコリと笑顔が還ってきた。
冷麦の中に緑色の麺を見つけたような気分になる。
そこに至るまでが1年半。

微笑を交換するだけでなにをするわけでもなく、
地下鉄サービス低下の話をするわけでもない。
ただ、顔を合わせたら微笑むだけ。
まったく、なにをやっているんだろう。



言葉は方便に過ぎない。
相手が未知の言葉しか操ることができなくても。
目が、耳が、口が不自由でも。
人間界以外の生き物であっても。
いや、もしかしたら椅子だって、靴ひもだって、枕だって
時間さえ与えてくれれば届く。
どう解釈をするか、どう返してくるかは別として。
ただ、手っ取り早く伝える道具として言葉があり、
時としてそれは音楽であったり。
絵画であったり。
ダンスであったり。
すべては方便。



それでもカタチを渡したいときがある。
カタチとして持っておきたいことがある。
ただ、本棚を見上げるように。

時々「ありがとう」を、しっかり言う。
無口なぼくだが、口を、舌を、のどを動かし、カタチにする。
たとえ相手が身近な人であっても。
いや、そうであればあるほどに。
そんなときの「ありがとう」は、
ライターを拾ってくれた人に向けるものとは少しだけ違う。


午後7時15分
左から感じる何か。
宙にある冷奴を皿へ戻し、ご飯をあげるために窓へ近づく。
慌てて非常階段を3段ほど降り、
心配そうな顔で様子をうかがっている3匹。
この絶妙な距離感。


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by seikiny1 | 2010-05-19 09:41 | 思うこと
星くず兄弟
スパム・メイラーだったことがあります。
3ヶ月ほど。

それが仕事だった頃。
いや、それによって直接的にも間接的にも、
1セントの収入も結局はなかったことを考えれば、
職業的スパム・メイラーというよりも、
ボランティア・スパム・メイラーという方が的を得ている。



Kata, Kata......Click,Click......
3ヶ月かけて送ったメール総数は約6000通。
振り返ってみるとよく送ったものです。
2002年という時代だったからこそ成し得た技で、
今だったら迷惑メールホルダー経由奈落行き。



実は本は出たものの営業予算ゼロ円。
いったい何を考えて本を発行しているのかわからない出版社でした。
白菜を仕入れてシャッターを開けない八百屋みたいなもんです。
今になって考えてみると、はてなマークばかり。

もちろん当時は「本が出る」そのことだけに舞い上がってしまい、
はてなマークなんて浮かんでこない。
こんなところにもオメデタイ性格が顕著に出る。

新刊として本屋の店頭に並ぶのは数週間。
早ければ1週間で無数という名の海の一滴になってしまう。
浮かんでいるならまだしも、
酸素タンクを背負ってまで海底を物色する人はほとんどいない。
あとは闇から闇の裏街道をまっしぐら。

その上、こちらはNYに釘付けで、
グリーンカードはおろか、パスポートすら再取得していないのだから、
日本の本屋行脚するわけにもいかない。
いや、その前に飛行機に乗る金なんてなかった。
出版社とて、どんな頭をしているのか、営業に1銭すら使う気はない。

「とにかく誰かに気づいてもらわなければ……」
そんなわけで始めたのが自己本紹介メール作戦だった。
新聞社、雑誌社、放送局、書店では飽き足らず、
<本>、<書評>、<読書>、<ホームレス>……
考えられる限りのキーワードでGoogleの世界を駆けまわることに。
送りに送ったその数が約6000通だった。



「迷惑だと思わないんですか……」、長文のお叱りメールを頂いたり、
HP上で糾弾する人もいた。、
しかし返事のほとんどは好意の感じられるものたち。
紙にネットに電波に載せてくださった人たち。

「約6000通出して、400通近くの返信という数字。悪くはありませんよ」
励ましてくれたマスコミに携わる人もいた。
大手チェーン書店の社長さんから返信をもらい大々的に押し出してくれたり。
地方書店主の奥さんは、ぼくの地元書店の娘さんであったり。
買って、読んでくれたではなく、多くの人にすすめてくれた人が何人もいた。
今、思い出し、あらためてありがとうを言いたくなった。
「ありがとうございます!」



ぼくにとっては無数と言いかえることのできる点を世に放ち、
そのうちのいくつがキラリと輝いた3ヶ月。
今でも星座を結んでいるのは10粒くらいだろうか。
スパムメール座。
しかし星々は増殖をくりかえし、星座に、星雲になっていく。

10/6000=0.167%
この数が減ることはない。
ブラックホールとならない限り。

8年前だったからこそ出会えた人たち。
18年前だったた出会う可能性のなかった人たち。
星が生まれるネットの世界。
星くず兄弟の伝説。


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by seikiny1 | 2010-05-14 09:24 | 思うこと
ハトよ
糞害に憤慨か。
いつもの場所、いつもの時間。
いつもとはちょっとだけ違う風景。

「こんな色にしたい」
「この色を守りたい」
そんな気持ちの露れだろうか。
1メートルほどの黒いポールの上につけられた立て看板は、
主張しないように主張している。
いや、主張しつつも主張しないよう心がけている、か。

黒枠に入れられた銀色の金属板にある言葉は、
"Please Do Not Feed The Birds"

目立たぬように、目立つ。
なんだか靴下に凝る男みたいだ。
調和を崩さぬように。ぬきんでないように。
かといって認識されなければ稲の中に埋もれる案山子とかわらない。

この配慮というか苦悩は、場所を運営する会社のものなのだろう。
ここでは警備員すら、
仕立てのいい細身のグレースーツに紺色のネクタイで巡回をしている。
風景に溶け込むように。
時折りトランシーバーに向かってしゃべりながら。
ここはビルの谷間にあるパブリック・スペース。

3年ほど通いつめているけど、
2年前までハトの姿を見かけることはなかった。
たまに見るのは数羽のスズメ程度で。
少しずつ、少しずつ増えゆく鳩の数。
200mほど離れた、別のパブリック・スペースからベンチが撤去されてからは。

ベンチがなくなり人が寄らなくなった。
エサをあげる人そのものがいないのだから、
空腹を抱えたハトはさまよう。
まるで肥満対策としてコーラにデブ税をのっけるみたいだ。
「どうしたんだ、最近また血色よくなってきたんじゃないか?」
「ああ、あそこの角のところでたらふく食ってるからな」

それにしても、いつも思うのだけれど、
ハトは、鳥はどのようにして情報の伝達をするのだろう?
誰かがエサを与えると、
遠くの高い空から一直線にやってくる集団を目にすることがある。
テレパシーでも持ってるんだろうか?
ハト語とスズメ語は共通なのだろうか?
それとも方言のようなもので、だいたいは互いにわかりあえるんだろうか?


効を奏して、とは言いたくないが、
作戦が的中しハトの寄ることがなくなったパブリック・スペース。
掃除は楽になったことだろう。
しかし、人も寄りつかない25mプールほどの2つの空間。
細い幹の木が10本ずつ植えてはあるが、
そこに生命はなく、まったく死空間となってしまった。
体はあるのに流れない血。
無駄なスペース。
沙漠の真ん中に置かれた卓球台のように。
立ちどまる人はいても、
ラケットとボールのないことがわかるとまた歩き出す。



普段はそれほど気にかけるわけじゃない。
風景の一部として、たまに目をあずける程度。
入り口に置かれた看板のせいだろか、
ハトたちの表情が、どこかもの悲しく見える。
緩慢な動きは、ひもじさのせいだろうか。
今朝、出現した看板で、今はまだ朝。
黒文字の功徳が顕れるには早すぎる。
ハトの表情はぼくが作り出しているのだろう。
人がハトにえさを与えるのと同じように。

さて、清掃の人が毎朝の棒雑巾から解放される日は来るんだろうか。
このハトたちはどこへ翼を向けるのだろう。



そういえば2年程前話題になったニューヨーク市の
「鳥への餌やり禁止条例法案」
はどうなったろう?
当時、世論を騒がせていたけれど。



"Please Do Not Feed The Birds"
この看板を目にするたびに悲しい気分になる。
最近では、糞に命中されても腹がたたなくなった。
そんな日は宝くじを買いにいく。

野性に還ることのできないハトたち。
土もなく、天敵もなく、飯もなく。
ハトは泣く。
都会に暮らす人間のように。



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by seikiny1 | 2010-05-13 08:07 | 思うこと
ベルボトム・ブルーズ
もう会えないと思ってた。
異国で生き別れになってしまった母子のように。
状況はかなり違うが、
7年近く行方不明となっていたぼく。
母の思いはどうだったのだろうか?
なかなかきくことができない。

右手にリーバイス646のベルボトム・ジーンズ。
左手に花柄シャツを下げてレジへ向かった。

15年前、ホームレスになったとき、
住みかとともに失った無数の洋服。
そんな中の1枚。
同色、同サイズ。
もしかすると「あの」シャツそのものかもしれない。


今でも考えることがある。
「あのとき、どうして売ることをしなかったんだろう?」
古着とデッドストックを1枚も。
手放していれば、たとえ足元を見られ買い叩かれたにしても、
莫大な金銭を手にしていたはずなのに。
それは、わかっていたことだったのに。


リクエストのGパンを見つけたあと、
何気なく店内を見回す。
グングングングン引きつけられていく。

最高の1枚だった。
これまで無数の古着を目に、手にしてきたけれど、
まったく同じものがあらわれた。
早足の夢遊病患者のように、しかし一直線に進みむ。
肩がぶつかっても知ったこっちゃない。
腕を通す。
ぴたり。

メジャーなブランドで同種、同サイズというのは、たまに、たまにある。
同種、特大サイズというのはたまにある。

無名といってもいいメーカーのもので、
それほど大量に作られたとは考えがたい。
40年近くの時が生産されてから流れている。
古着マーケットでもほとんど流通していない可能性のほうが高い。

まるで、この日、この時間に、
肉塊とオリーブオイルを持ったぼくがドアを押すことがわかっていたかのように。
待っていたかのように。

これは「あの」シャツなんだ。

もう絶対に手放しはしない。
たとえこの先、太ってしまっても。

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こんな体験をしてみると偶然という言葉は信じられなくなる。
これはたった1本の道だった、と。

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by seikiny1 | 2010-05-12 09:22 | 思うこと
ティフアニーで晩酌を
ドーナツ屋に中華があったりする今日この頃だけど、
そば屋に座って
「フィレミニョンをミディアム・レアで。ほうれん草のソテーをつけてね」
と、言う人は普通いないだろう。
チョコレートを買うのであればチョコレート屋へ行けばいい。

以前はおみやげに対する姿勢が農夫型だった。
今はさしずめ金鉱掘りといったところ。
山に入り、勘と経験を頼りにツルハシを振り上げる。
筍を見つけたり、松茸と出会ったり。


「なに食べる?」
「うーん……和食かな……。たぶん」
おみやげの焦点といえばこの程度なので、
回転寿司へ入るわけにもそば屋に座るわけにもいかない。
とりあえず街へ出てアチコチのロウ細工サンプルをのぞいて。

「あの人の趣味は版画だったな」
「どんな日常を送ってたっけ?」
歩き回るうちに湧いたイメージがだんだんと強固なものとなっていく。
そのうち「これでなければ」というほどカチカチになる。
もうそれでなければ世界が終わりそうになってくる。


不思議なこと。
そんな物たちのほとんどが「もうだめだな、こりゃ」
諦めはじめた頃に見つかる。

暖を取るために飛び込んだ店の一番奥の棚でで見つけたり。
探し続けたペンダント・ヘッドをソー方の先にある闇市のよような露店で発見したり。
水筒の下見に入ったところで一点物のTシャツを見つけたり。
求めているものが絶望のふちで、
1度、2度、3度……。
次々と花開いていく。
冬の花火のように。

無駄足。
ギリギリ。
おみやげのキーワードはこのあたり。
もちろん日常でその人のことを思い、
アンテナを張っておくにこしたことはないのだろうけど。
怠け者。


今回の最難関は一番簡単と思っていたものだった。
従兄弟からのピンポイント指名。
チョコレート屋へ行けばチョコレートはあるはずだった。

Levi's 646のジーンズ。

「いや、具体的なリクエストって楽でうれしいな。
これならヴィンテージ・ショップへ行けば……」
相変わらず古着は好きだけど、
ヴィンテージ・ショップなんて10年位以上のぞいたことがない。
日頃はスリフト・ストアか、落ちてる物か。

甘かった……。

NYのヴィンテージ・ショップも、以前と比べるとなかなかの品揃えになっている。
しかし。
今回の徘徊で感じたのは画一性。
どの店へ入っても似たような印象しか受けない。
Gパンに関しては、ほとんどの店が501しか置いていない。
NY、古着屋に関してはかなり保守的なよう。
はっきり言って面白味ナシ。

「646ある?」
虚をつかれたような顔。
しばらくして苦笑を交じえながら「いやー、うちでは置いてないね」
そんなやりとりばかり。
ストックを持つ店もあったけれど、
出てきたのはウエストが40インチ以上もありそうな巨大なもの。

30軒ほどの店を回る。
途中、スリフトに首を突っ込みながら。

もうあきらめていた。
「なかったら、よかバイ」
従兄のやさしい声がこだまする。
甘えよう……。


休日。
スーパーの帰り道。
《魔がさす》というのはこんな場合にもあてはまるのかどうか。

日頃、敬遠している店がある。
ウチの近所も最近では、
おしゃれ君、おしゃれちゃん度が高くなった。
そんな人たち御用達の店。
「ふん、買ってやるかよ」
安くて、たまに掘り出し物の出ることは知っていたが、
そんな若者といっしょにされてたまるかい。
家から50mも離れていない古着屋には、意地で足を踏み入れてやらない。
そんな意地をも溶かしてしまうおみやげのチカラ。
ぼくはここでも転び伴天連となり、
肉塊とオリーブオイルの大きな缶をぶら下げて古着屋のドアを押す。

あった。
ウエスト、レングスぴたり。
青々とした生地はまだうっすらと毛羽立っていて程度は極上のAクラス。
おまけにラージEと呼ばれるタイプ。
破格値。

これはまわり道じゃなかった。
あそこに。
あそこに。
あそこに。
寄らなければ出会えなかった。
偶然なんかじゃない。

最近、偶然なんてものを信じなくなってきている。

こみ上げてくる笑いを抑えながら、Gパンとある物を手にレジへ。


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by seikiny1 | 2010-05-11 08:58 | 思うこと
杖引き
ウソをつける人。
マメで頭のいい人。
ぼくには向かない。
正直者というわけでもないけれど。
1回や2回くらいならそうそうボロも出ないだろう。
でも、一生つきあうと思うと気が重い。

そんなわけでペンネームという選択もあったけれど、
迷うことなく本名をとった。
ただ、ファーストネームの方は
「ほとんどの人が正しく読んでくれないだろう」
ということで、誠輝をセイキに。


死ぬまでに何度自分の名前を書くんだろう?
というのも、これを書きながら、
あらためて自分の名前を書くのが久しぶりであることに気づいたから。
ローマ字で書くことはあっても、
漢字で書く機会はほとんどない。
パスポートの更新をするときくらいかな。

最後に書いたのは……。
そうだ、スーツケースを送るときの送り状だ。
実家から成田への。

一番身近で、大切なテキストなんだからこからはもっと書くようにしよう。
好きな名前だからせめて一日一回。
とは思うもののどうしたらそうなるか?
朝起きて手帳に書くくらいしか思いつかない。
それにしても40年以上書いてるのに、
いまだに納得のいくように欠けたことのない自分の名前。


そんなわけで本名。
もう7年が経つというのに。

「いやー、おもしろい経歴をお持ちですね」
「大変じゃなかったですか」
「誰もができるワケじゃない貴重な経験ですよ」
「人生、そんなこともありますよ」
……
NYは狭いから嘘はつかない方がいい。

自己紹介のあとはほとんどがこんな風に会話が進んでゆく。
好奇と、感嘆と、時に揶揄がないまぜになった言葉たち。
毎度のこと反応に窮してしまい、
最近はアルカイック・スマイルをたたえるだけなのだけれど、
立場が逆転したとしたら。
事前に基礎知識がなかったら、
ぼくだって名前を聞いたあとの反応に困ってしまうだろう。
おあいこ。
もっとも、はなっから無視を決めこんでいる人もいまだにいるにはいる。

こんな言葉の背後にいくらかでも、
「大丈夫だぁ」感じとってしまうぼくはオメデタいのか。
それとも人々はやさしい気持ちを余分に持ちあわせているのか。


ちょっと長かったから寄り道ではあるかもしれない。
でも、回り道だったとは思わない。
その気持は日を追うに従って強固なものとなっていく。

Long and Winding Road
それはぼく自身のこころにも似て、
ぐにゃぐにゃに蛇行し、行きつ戻りつしながらの道かもしれないけど、
たった1本の道だと。
あの場所を通らなかったらここにたどり着くことはなかったと。
ここに通じているのはたった1本の道なんだと。
近道なんてないんだと。
で、ここが<なにか>であるかと問われると返答に困る。
それでもワン・アンド・オンリー。

その道をただ歩いてきただけ。
他の人が大学を卒業し、ちゃんと就職し……。
そんな道とまったく同じ道で。

でも、ぼくはここを通らなければあそこにはいけないわけで。
そんなふうに生まれ、そんなふうに生きている。

確信を持って言えるのは、
すべては一本道。

近道があったと思っても、
それも最初からそこにあった一本道。
回り道も近道も存在はしない。
歩いていさえいれば、いつかはどこかに着く。
あそこに着く。
歩いてさえいれば。


お散歩。


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by seikiny1 | 2010-05-08 08:28 | 思うこと
ヘンクツオヤジの作り方
60/40。
最近では「ロク・ヨン」と呼ばれたりするらしい。
好きな洋服生地のひとつ。
名前の由来は綿60%、ナイロン40%で織られているから。
こんなネーミングをすることができるのは、
世界広しといえどもアメリカ人くらいしかいない。
もちろんアメリカ生まれの生地です。

元々はマウンテンパーカーなどアウトドア・グッズに使われていたが、
今では街着としていろんな場面で見かける。
強度があり、通気性にすぐれ、防水性も高い。
そんな高機能な生地だけど、
機能だけを考えればゴアテックスの方が断然上。
でも、ぼくはこの60/40という生地が大好きだ。

なぜゴアテックスではなく60/40なのか。
メーカーの事情ははわからないけれど、ぼくに関して言えば
機能に加えて美しい。
というよりも機能を突き詰めたら美しくなった。
(もちろん後づけの理由になるが)
そこにある。
そして、ゴアテックスという生地がありながらも、
かたくなにこの生地を使って製品を作り続けるメーカーも。
製品として成り立っていくこの国も。

見る角度によって「ヌメッ」とした硬い波を打つ光沢があり、
「ゾクッ」とくる。
シルクやカシミヤなんかよりもぼくは魅かれる。

Wallsというブランドの黒い60/40パーカー。
秋以来の長いつきあいも終わり、
やっとクローゼットにしまえそうだ。
昨年に続き、今年も長い間活躍してくれた。
ありがとう。
只今の気温23℃。
とりあえず水曜日まではこの路線が続きそう。


機能美というものに弱い。
機能しないものに美しさを感じない。
博物館のSLよりもくすんだ赤色をした現役電気機関車に、
コロリといってしまう。
特に身の回りのものに関しては厳しい。
機能を突きつめたところに美がある。
そんな哲学が石になってしまっている。
身の回りに鑑賞のためだけに存在するものはない。
根っこが貧乏なのか。
寂しい心の持ち主なのか。

機能美は数式の美しさと似たものがある。
文庫本一冊すら入れることのできないダウンジャケットは道具ですらない。
「カッコ悪い」という価値観の人もいるが、
結構ポケットにモノを入れて歩く。
だから一時期はやった、
Ralph Lauren  Poloのシャツは嫌いだった。
ペンがさせない。
タバコの入れ場所に困る。
ボタン・ダウンを着るのならやはりBrooks Brothersか。
Ralph Laurenの作り出す服は今でもカッコいいと思うが、
彼の罪は、
あのシャツを着るだけで男たちを「おしゃれになった気」にさせたこと。
この罪はチト重い。
男たちは胸もとの刺繍に自分のすべてを委ね、安心してしまった。

ちなみに当たり前の話ですが、
昔、昔の洋服にポケットはなかった。
不便だからつけた、物を入れるために。
そして、カッコ悪いから取ったり、物を入れなくなったり。
さすがにすべてのポケットをモコモコさせて歩いたりはしませんが。
歩きにくいから。
機能的ではない。

ちょっと軌道を修正。
こんなにガチ、もしくはガチガチになってしまったのは
育った時期もあるだろう。
Gパンと米軍放出衣料が入門編で、
感受性豊かな頃には<ヘビー・デューティー・ブーム>というのがあった。
登山服や、労働着がカッコいいというブーム。
もちろん機能的に悪いはずはない。
命や作業効率にかかわる道具なのだから。

環境や、その後自分が好んで選びとったモノたちが
こんな大人を作り上げ、
そんな環の中でグルグル回っている。
中身も、外側も。
人はきっとこの環のことを悪循環と呼ぶだろう。
最近の言葉では負のスパイラルか。

その反面、実用書とか啓蒙書などにまったく食指は動かず、
そんなセミナーなんかがあると口元をゆがめて笑っていたり。

姿とは<次>の<女>のことなのか。
<女>の<次>に大切なものなのか。
最初は全然違ったことを書くつもりだったのだけれど、
この辺まで書いてきて自分のヘンクツさに少し呆れます。
ついでにもう少し。

そういった次第で、
ぼくは和太鼓奏者の手が大嫌いです。
まっすぐに天を指し、静止したままの姿に一片の美も感じることができない。
「おい!誰も見てねーぞ、背中なんて!」
見えるのはナルシストの文字だけで。
昔見た、林英哲さんとはまったく別世界。
剣道の残心はわかるけれど、
いったいいつからあんな<美>の世界が展開し始めたんだろう。


今日、明日とBrooklyn Botanic GardenでSakura Matsuriというのが開催されます。
桜は観たいが和太鼓はね……。
知り合いがほかのパフォーマンスで出るから、
行くには行くと思うけれど。
今年はアメリカも桜が早く、
先週金曜の時点で散り始めてたからSakura Matsuriになるかどうか。
(植物園の会員なのでよく行くんです)




ちょうど一年前の今日もこんな天気だった。
台所の窓からはやわらかな陽が差し込み鳥の声が聞こえていた。
「ん……?……!」
Yahooのトピックスが変な文字を並べている。

忌野清志郎さんが去られてから1年。


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by seikiny1 | 2010-05-02 00:49 | 思うこと
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