ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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カテゴリ:日本とアメリカと( 72 )
Almighty: 全能なる……
告白できない。
そんな気分になる時があります。
そんな場所が日本にはあります。

谷間でで弄ばれているように。
やっぱりゼロ円というのは罪だ。
5円でも取ってくれたら気楽なのに。
《居酒屋 革命》はやめて《居酒屋 幸ちゃん》にしようか。

食べるのはいい。いや、好きだ。
面倒くさいのが去り際だとか、駆け引きだとか。
日本では。

相手がそんなこを思っていないことはわかっている。
売り子さんは仕事に徹してるだけだし。
社長さんにしても太っ腹なところを見せとかないとアチコチ障りがある。

小さな半透明カップ入りの釜揚げうどんを渡してくれるのだって、
ライトバンであちこちへ立ち寄りながら、
ウーロン茶を自動販売機に補給していくのと気分的には変わらないはずだ。
日常として、仕事上の一景として通り過ぎていくだけ。
試食の客はお茶っ葉の何枚分ぐらいに相当するんだろう。

もっとも、そんなやり取りを楽しむ人だっているし、
「ゼンゼン関係ありません」なんて人は相当の数だろう。
「腹減った」それだけで行く人もいる。


それでも足を踏み入れなければならないときがある。
100%の客候補なのに、なぜかソワソワしている後ろ姿。
デパ地下の片隅にあるご贈答品売り場にて。

「さて、どれにしようか」
「なんだか嵩ばって荷物になりそうだな」
「煎餅が12枚か。人数分に2枚足りない」
「羊羹も美味そうだけど、切り分けるのがめんどくさいな」

店内をグルグルまわっていると、
小さなさつま揚げを差し出すオネーさんと何度か目があう。
「なんだこのおっちゃん物欲しそうな顔して……」
そんなこ吹き出しが見えるような気がしたり。
ウーロン茶、ウーロン茶……。わたしはウーロン茶。

もちろん義務感だけではなく、「届けたい」という思いもあり、予算がある。
行儀よく白い箱に並ぶ小袋たち、
ブックカバーにでも使いたくなるような包装紙。
思うところ、あの箱と包装紙にこそ本当の価値が宿っているのでは。
それでも買います。
でも、あと一周。
伝えたかった言葉をポケットに、あの子の家のまわりを歩いているように。

デパ地下歩きはどうも苦手。
かといって、もし日本でホームレスをしていたらどうだろう?
やっぱり食事に行っていたかな?
その辺はまた別世界。



日本で便利だと思うのはおみやげ文化。
需要があるので供給側にもぬかりはない。
儀礼だとか義理だとかが潤滑油になる国で、
心をカタチにするひとつの方法。
毎度、いろいろな場面で助けられる。

一方で困るのは日本へ帰るとき。
多くの人が口を揃えて言う。
「NYみやげは困ってしまう」
テロ煎餅、自由の女神饅頭、クラック最中、イーストリバー巨大うなぎパイ……。
もちろんない。
それは銘菓や名産がないからではなく、
そういう文化が薄いために需要がなく供給も生まれない。
「あの人のおみやげは激マズだった」
などと陰口を叩く人もそんなにはいない。

それでも義理と人情の世界に帰るわけだから、
手ぶらでは高い敷居。

昔は迷ったり、時間を費やすことはなかった。
すべての人に全能なる神、GODIVAのチョコレートを。
念のため、数個のスペアを用意して。
NY産でもないのに。
箱の大きさは愛の容量を代弁するわけじゃない。


そんなチョコを買うのでも精神的負担には結構なった。
今はおみやげを買うことが楽しい。
贈答品じゃなくておみやげを買って帰る。
カタチを持って飛行機に乗る。


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by seikiny1 | 2010-05-10 09:28 | 日本とアメリカと
立ちどまるな ふりむくな
ひと休み。

しばらくは30℃近くまで上昇する日々だってけど。
その上湿度も高くて。
とはいえ朝晩は少し冷え込むし、
冷房の効き過ぎた地下鉄も珍しくはないので、
出かける時には薄手のパーカーを羽おって。

暑くなってくれば立ちどまって脱ぎ、
手に持ち、腰に巻き、カバンのある時は入れることも。
そんな時、何かの音がしてふり向くことだって。



さてさて。
NYPD(NY市警察)にビデオを公開された男性は誰だったんだろう?
白人、40歳くらい。
危険物を積んだ車:ニッサン・パスファインダーから煙が立ち上る前に、
立ちどまり、シャツを脱ぎ、カバンに入れ、ふり返った後に歩き出した男。

「ドキリ」。
ビデオが公開されたとき。
容疑者として別の男が拘束されたとき。

<あの時>、<あの場所>を歩いていた可能性はゼロじゃない。
植物園へ行かなかったら、
移転したブックオフ・ニューヨーク店をのぞいていた確率は高い。
冷房が効いた店内では上着に腕を通していたかもしれない。
歩いているうちに汗ばんでしまい、
立ちどまって脱いでいたかもしれない。
ブックオフへ行く時はいつも大きめのカバンを持っていく。
誰かに呼ばれたような気がして、
振り返っていないとは限らない。

被害者として爆弾事件に関わるのはもちろんいやだけれど、
心情的には日常の行為を<不審>と断定されてしまうことの方が怖い。

もちろん警察だって絶対的に材料が不足していたのだろう。
すべての可能性をしらみつぶしにしていく中、
わらにもすがる思いで観光客が撮ったビデオを公開したのだろうが。

とりあえず、シャツを脱いだ男のその後を耳にしていない。
拘束した男のニュースに埋もれてしまっているのかもしれないが。


それにしても容疑者の男。
パキスタンからアメリカに帰化した30歳の男。
「俺ひとりでやった」はいいけど、
車は1週間前にネットの掲示板を通して購入したという。
個人売買で。

報道があるまではてっきり盗難車だと決めつけていた。
刑事番組の見すぎかもしれない。
警察だってきっと驚いているはずだ。
自分の車をあんな事件に使うなんて、
「あーもしもし。オレオレ……」
と、見かけたことすらない老人に自宅から電話をかけるのと変らない。
ここはやっぱり盗難車でしょう、常識的に考えて。
自分の車じゃ間違いなく足がつく。

こいつはアホなのか?
それとも背後に何かが隠れているのか。

それにしても気になるな。
シャツを脱いでしまった男。


レディーのすべては女性だが、
女性のすべてはレディーじゃない。
誤りを謝らない権力は、
エレベーター前でふんぞり返る非レディー女性のよう。

足利事件のあの人にあの人は謝ったんだろうか?



6年ぶり。
饅頭屋の玄関には知らない名前ののれん。
そば屋はラーメン屋になっていた。
鶏肉店は昔のままだが、
さすがに車庫のボクサー犬2匹はいない。

昔つけた足跡を確かめるように、
きょろきょろしながらゆっくり歩く。
故郷はいつの間にか車社会になっていて、歩く人の姿はない。
《不審者に注意!》
電柱に巻きつけられた看板。
「……」


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by seikiny1 | 2010-05-07 08:38 | 日本とアメリカと
割り切れない気持ち
「あ、因数分解で数学が大好きになったんだ」


「ぼくは今年47になりますが、
2で割り切れないので人生の半分を考えるのは来年にします(笑)」

誕生日に届いた友人からのメッセージ。
ぼくが48になったこと。
アメリカでの生活が人生の半分になることに対して貰った。


実はひと昔前、理系でした。
高3の初夏頃までは。
その歳ごろには怠け者の性格も十分に作り上げられていたらしく、
転びバテレンよろしく、ゴロンと文系へ転向。
将来のことではなく目先の「楽そうだ」に転んだわけです。

中学で因数分解に出会うまで、
得意ではあったけど、数学は好きとか嫌いの対象ではなかった。
あったのは明解に答えが出る爽快感。


いくらアメリカとはいえ、
大手のフランチャイズ店にマニュアルは存在していると思う。
それをどこまで厳密に実施するかどうかは別として。
もちろん日本のもののように事細かにわたってはいないだろうが。
まあ、どちらも現物を目にしたわけではないから、
マニュアルはぼくの中では都市伝説にすぎない。

"I.m sorry I don't have no penny.
Have a good day.
Next!
Welcome to ●×.
May I take your order?"
まるで般若心経のようにひと息に言われてしまい、
顔はもう次の客の方を向いている。
考えてみればお経だって一種のマニュアルと言えないこともない。
心の平安マニュアル。

差し出していた左手には、
1ドル紙幣と25セント硬貨。
どちらも2枚ずつ。
ほんとうは2ドル51セントのお釣りのはずなのだけれど、
1セント硬貨(Penny)を切らしてしまったらしい。

しばらくあっけにとられていた。
0.5秒ほどは固まっていたと思う。
1セントを切らす店も、こんな対応も別段珍しいことではないのだが。

"Forget about penny."
99セントの買い物をに1ドル紙幣を渡して釣りを受け取らない人は多い。
今のぼくにしても1セントに困っているわけじゃなく、
ここ数年は1セントを歩道に見つけても、腰をかがめることがなくなっている。

あっけにとられてしまったのは、
1セントがあってもなくても成立してしまうその社会。
そこのところ。
そんな社会の真ん中に立っている自分をあらためて見つめていた。
これまでは
「そんなもの」
としてただ通り過ぎていただけで。

日本だって1円に目くじらをたてる人は少ないだろう。
それでも、この1円を正確にやり取りすることで社会が成り立っている。
「大変申し訳ございません。ただいま1円玉を切らしておりまして……」
店長らしき人が現れ深々とお辞儀。
自分の非をあやまる。
フランチャイズ展開しているコンビニやファーストフードでは、
こんなことすら起こらないだろう。


1セントにまつわる事情。
このことがアメリカという国を回している。
「気にしないよ」
「気にしないでしょ」
一抹の不安も疑念もない。
平等な価値観を共有することの上にこの国はある。


数というものが割り切れない数の集合体であることを知ったとき、
数学が好きになった。
たったひとつの解を求める、
「割り切れないものはない」数学の世界に割り切れないモノがある。
合理の中に見つけた不合理というか、
整合の中の不整合といか。
「割り切れないものがある」
明快に言い切ってしまうところに魅かれたんだろう。
もちろん当時、そんなことを思うはずはない。

アメリカを好きになったのも、
素数の寄せ集めを割り切っているところに魅かれたんだろう。


さて、次の割り切れない歳まであと5年。


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by seikiny1 | 2010-04-30 19:25 | 日本とアメリカと
異景
「自信がない」というよりも「自分がわからない」。
電車の中でそんな思いに取りつかれた。

いつもより1分早く家を出る。
いつもよりひとつ早い電車はこみあっていた。
それでもぼくの座る向かい側には、
径2mほどの空白がある。
柄物の化繊混じりのセーターを頭の上まで引き上げたホームレスが眠っている。
サンダルばきの白い靴下が少し汚れている。

(やっぱり寒いんだろうか……)

隣に腰を下ろした野球帽の男は、
ウールコートの袖口が厚手のセーターのせいでモコモコしている。
駅から地上へ上がる階段で慌ててマフラーを巻く女。
フードをかぶって歩く人がいる。

そんな目でストリートを歩いていたせいもあるだろう、
なんだか黒っぽく映る街。
いつもより厚着をしている人が多いように思われる。

「いつも」はいったいいつなんだ?
昨日?
この1週間?
1年前?
平均的?
それでも冬の日々よりはあたたかい。
冬の日はいつもではないようだ。
黒いカバンをたすきがけにした男はストライプのシャツ1枚だけ。
Quicksilverの緑色ロゴがどんどん小さくなっていく。


どうやら寒いらしい。
少しだけわかってきた。
いつもはシャツ1枚で朝のタバコを楽しんでいる男も、
今朝はナイロンのジャンパーを着込んでいる。

今日は寒いんだ。
自身がもててきた。
ベンチに座っているといつの間にか肩に力が入っていて、
手がかじかんで小さな字をうまく書けない。


今日はいつもより寒いらしい。

いつも?
いつもってなんだ?
少なくとも昨朝より気温が落ちていることは体に刻まれた。
周囲を見渡す必要はなくなった。

時計に目を落とすといつよりは10分早い。
立ち上がって仕事場へと向かう。
今日、新装開店をする寿司屋のウィンドウが変っていた。

粗い織りをしたきなりの木綿が窓いっぱいに張られている。
縦横に走る魚ヘンの漢字たちは、
マンハッタンの街並みをあらわしているのか。
紙芝居のように画像を取り替えていく、
かたわらに置かれたモニターとのコントラストは、
この店の味に不安を抱かせる。

2年前のいつもはうまかった。
最近のいつもはたいしたことなかった。
装いを新たにし新しいいつもがはじまるのだろうか。


いつもと違うことには昨朝から気づいていた。
2日連続はいつもへの助走ということなのか。
仕事場の近所。
新聞の街頭売りが立つようになった。
どこか怯えたような共通の表情を持つ3人が、
10mずつほど離れて今日の新聞を胸にかかげる。
「こんな立ち方では効率が悪いのでは?
通り過ぎながら心配になっていた。
この光景もいつの間にかいつもとなってしまうのか。


いつも。
実に不安定だけど確実に存在をする。
日本で触れた様々な異景。
2週間プラスではいつもとなることはなかった。
いつもにはどれがけの時間と回数が必要なんだろう。
ぼくのいつも。
少なくとも今現在はこの街、ニューヨークにある。


電光掲示板を見上げると42度。
5.5℃。



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by seikiny1 | 2010-04-29 10:43 | 日本とアメリカと
自死
無料より安いものは?
思い当たるのは、
品物・サービスを提供された上で金銭を受け取るということくらい。

そうそうは転がってない。
とりあえず見つけることができるのは、
某有名C大学病院等が実施するドラッグ・リハビリ・プログラム程度。
入院し、治療を受けてウン千ドルを受け取る。
ドラッグやめれて、お金。
いいじゃないですか。
15年位前で3000ドルだったけど今はいくらなんだろう?

もちろん対価として医学生らのおもちゃとなるのだから、単発の仕事と言えないこともない。

かつて、
何度も考えて、やめた。
モルモットにはなりたくない。

無料でもなく、報酬もなく。
それを考えたらモルモットらが哀れでならないね。

対価の低い分無料の方がまだましだ。
危険は少なく、低い。
でも慣れてしまうとジワジワやってくる。


日本での幸福をひとつ。
コタツに寝転がってると
「ハイヨ」
新聞がやってくる。
とはいっても、
新聞屋さんが
「おじゃましまーす」
挨拶をして、靴を脱ぎ揃えたあとに
「毎度!」
と廊下をやってくるわけじゃない。
母が新聞受けから配達を担当してくれるわけだが。

むろん、新聞屋さんには毎月支払いがされている。


コタツに寝転んで読む新聞。
幸福だったのはそのことではなく、
良質のものが身近にあるということ。
各新聞の論調、横暴、扇動の話はしません。
寝ているだけで良質の日本語読み物がやってくる環境。
常に触れることのできる存在として。
思想抜きで読んでおもしろかったり、呆れたり。
呆れてはみても読み物として良質であることにかわりはない。
触れられるところに良質のものがあり、
対価として金を払う。

「これが身銭を切るということか。身銭の幸せか……齢をとったもんだ」
肘枕でを考える。


無料紙の普及で、NYにいながら日本語に枯渇することはなくなった。
手を伸ばせばとりあえず日本語を、新しい情報を読むことはできる。
ただ、与えられたものが泥水であるか美酒であるか。
砂漠では泥水だって飲んでたくせに。


枯渇することはなくなっても、
成田ではス相も変わらずスーツケースが重量オーバー。
本と焼酎は小さくても目方がある。
渇きが潤ってはいなのを深部が自覚をしている。

無料紙とはある面において、
漂流中にがぶ飲みしてしまった海水といってもいい。


「最後のときのために……」
大切に船倉にしまっていた真水の樽。
(やっぱり海水じゃダメだな)
船倉に下りてみると樽には穴が開いてしまっていた。

Y新聞は撤退し、
質の高い雑誌だったOニュースも消えた。
無料紙以外で残存するのは、
N紙とA紙のみ。
どちらも高価で定期購読する気は今のところなし。
難破船に横付けされた商船で唯一売られているのは、
高級飲料水のみとなっていたわけだ。
パリス・ヒルトンが飼い犬に与えるような。

「ちょっと前まではHolland Spring、Deer Creekなんて手ごろのもあったけど、
みんな水道水ばかり飲んで買わないんだよねー。
盛ってても損するばかりでやめちまったよ。
今あるのっていえば、たまに酔狂な奴が買ってくこのオタカイ水だけさ」
売り子は言う。

むかし、むかし。
水道の水はただ同然だった。
「ゴクゴク」
「おいしい」
と飲んでいた。
今では多くの人がペットボトルの水を持ち歩く。
一方では、ぼくのように水道水を飲みつづける者もあり、
最近はペットボトル派に水筒回帰の動きもある。
ペットボトル入り飲料水の社会的・健康的よしあしではなく、
無料と有料のあり方としては実に理想的な関係。
選択できるということが。
手の届くもののあるということが。

無料という安易さに手を出した結果として、
良質なものを駆逐してしまった。
読みたくても読めない良質なもの。
読みたくなくても読んでしまうもの。

表面上活字の枯渇からは救われたが、
今「それは自死ではなかったのか」
そんなことを考えている。
海水を飲んでしまった、と。
喉が焼けている。

雨を待つしか術はないのか。
それとも蒸留水を作ろうか。
諭吉さんが無料という言葉も自由とすりかえておいてくれたら。


《居酒屋 革命》の無料焼酎。
どうなっていく。
ま、こんな男ですから、
いざ金を払わなければならない段になると、
きっとブツブツ言うことでしょう。



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by seikiny1 | 2010-04-28 07:53 | 日本とアメリカと
自由のビール
フリーマーケット。
どこかにそんな空間があることは知っていたが、
どんなものなのかイメージと現実がひとつにならなかった。
蚤の市。
言葉は知っていたけれど、
勝手にフランスの風を吹かせ、
どこかにしまいこんでいる。
フリーマーケットはFree Marketとして長い間ぼくの中に定着をしていた。
自由市場。

傍線で消されたFreeがFleaにとって変られたのはアメリカへ来てから。


それにしても「自由」と「無料」がひとつ言葉で表わされるのはおもしろい。
「無料のものだから自由に取れる」
そんなところなのだろうけれど、
日本人頭ではどうしてもがっちりとつながらない。

自由という言葉は明治期に作られた言葉らしい。
福沢諭吉の作。
自由という状態が存在しなかったから、
言葉が生まれなかった。

猫、ドア、茶碗、セックス、四次元、宇宙人……
見えるもの、見えないもの。
存在するもの、存在するらしいもの。
そんなもののすべては名前を持つ。
『ティファニーで朝食を』の主人公は猫に名前をつけない。
名前をつけることはネコの自由を拘束することになる。
そんなことを思っちたらしい。


その頃の日本に自由や自由という発想はなかったが、
無料というものは存在していただろ。
オカミからの下されものとして。


もうなつかしい光景になってしまった。
15年位前まではたまに見かけていた無料のタバコ。
新製品が発売されるとグランドセントラル駅周辺など、
人通りの多い場所で無料配布がされる。
何度も行ったり来たりを繰りかえす。
今そんなことをやれば世論の袋叩きどころか、
もしかすると逮捕されるのかな?

それでもスナック・バー、ガム、新聞、清涼飲料水……。
(清涼飲料水というネーミングもすごい)
この時期人ごみを歩けば無料のものによく行き当たる。
「ぜひ試してみてください……」
と笑顔で渡される。
お願いをされてしまう。
笑いながら鷹揚にうなずく。

なかには詐欺まがいの無料もあるが、
彼らが身をもって教えてくれるのは、
厳密な意味で無料というものがこの世に存在しないそのことだ。
哲学者・ソクラテスそのものだ。


同じ無料でも日本だと肌合いが少し違ってくる。

《開店2周年記念!定食を頼まれた方にビール1本を無料進呈》

「あのー、すいません……」
「ヘヘーッ」
どうしても恐々とありがたがってしまい胸を張れないでいる。
ありがたいような、申し訳ないような。
一方、お店の人は平坦な目で見てもどこかエラソーである。
威儀を正してなにかを下されるお武家様のようでもある。
そんな風に見えてしまうのは、
身体の奥深くに焼きついている江戸・百姓根性のせいだろうか。


さて、本当の意味でのフリーは日本に根づいたのだろうか?


知りうる範囲内では《居酒屋 革命》の焼酎は無料というよりも、
Free、自由の方に近い匂いがする。
少なくとも言葉の向こうに卑しげな笑みの気配がない。
もちろん商人である以上打算、勝算もあるだろうが、
これまでとは異質なものを感じる。


NYの日系フリーペーパー(無料紙)・バブルも落ち着きつつあるみたいだ。

見慣れた紙面に、見慣れぬロゴ。
Daily(日刊)がBi-Daily(隔日刊)になっていた。
植物を思わせるロゴを見ながら浮かんできた言葉は自死。
フリーペーパーのことではない。
自分のこと、周りのことを考えていた。



明治維新。
諭吉さんが自由という言葉を作ったときに、
無料という言葉をも自由に置き換えてしまっていたら……。
定食を頼みながら、
「あ、ビールもね。グラスは2つ」
と胸をはれていたかもしれない。


無料のビールは自由の味がするのか?
無料の焼酎は自由の味がするのか?


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by seikiny1 | 2010-04-27 08:23 | 日本とアメリカと
革命
舛添新党。
言葉だけが長い間歩いていてやっとカタチになった。
《新党改革》。

日本を離れてから、
勘定できないほどの政党が生まれ、ほとんど消えた。
ドタバタ劇の中で作るからなのか、
それにしても政党名ってどうしてこうもセンスがないんだろう。


センスがないといえば、
昨日手にした日系無料紙。
日本からザブちゃんらを招き、
《ジャパン・シンギング・チャンピオン・コンサート》というのを開催する。
それは、まあいい。
数名のゲストのほか、カラオケ歌唱コンクール入賞者がステージに上るという。
これだって、まあいい。
収益はユニセフ・ハイチ基金とJapan Day桜の木植樹に全額寄付。
全額ハイチ基金だともっといい。
それにしても、
どうしてこうもカーネギー・ホールにこだわるのだろう?
恒例となりつつあるJapan Dayもなぜかセントラル・パークに固執するし。
まるでルィ・ヴィトンのバッグにこだわる女の子みたいだ。

ところでカーネギーホールでもカラオケで歌うんだろうか?


革命。
いつの時代にも、どこかできかれる言葉。
かつては怒りのあるところに生まれた。
いまは誰もが口にするがしばらく経つと周りの表情をのぞきこんだり、
「手堅く……」
そんな人達にはRevolution(革命)ではなく、
Evolution(進展)、Reform(改革)。
きな臭いやつもけっこうある。


初めて聴いたのは中1の時。
2歳年上のT先輩から貸してもらった。
Beatles『White Album』。

日本のレコードのスゴイところはなんといってもライナーノートの充実。
様々なうんちくのある解説はもちろんのこと、
歌詞、訳詞までがついている。

初めてRevolutionという言葉を知った。
それが革命の意であることも。
初めてEvolutionという言葉を知った。
それが進展と訳されることも。

<R>1字がつくだけでまったく違った顔をする。

本来のCycleを破壊してしまい機能することがなくなったために、
Recycleに頼らざるを得なくなったわれわれのように。
文字の足し算引き算も成り立つ言語。
<R>のもつ意味を考えさせられる。

♪……
体制を変えてやるとあんたは言う
それよりも
あんたの頭の構造を変えてやりたいね
新しい社会をつくるんだとあんたは言う
それよりも
まず自分の精神を解放したらどうだい
毛主席の写真を持ち歩いてるようじゃ
革命なんてとてもおぼつかない
そんなことするまでもなく 今に何とかなるさ
大丈夫 何とかなるよ
……♪
       ビートルズ『レヴォリューション』


《居酒屋革命》という店。
革命家や夢見る者たちの吹きだまりというわけではない。
焼酎が無料。
飲食業界では革命的な商法を売りとする店。
その上、タバコまでがタダ。
こんな発想のできる人は正直すごい。
でも、無料というのはどうだろう。
もし、その場に座り合わせていたとしたら、
ニコニコしながら飲んでいる自分を発見することに間違いはないのだが……。


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by seikiny1 | 2010-04-26 08:18 | 日本とアメリカと
ゲップ
久しぶりに逆走する自転車に出会った。
ほとんどのストリートが一方通行のNY。

顔の下半分はヒゲに埋もれてる。
長髪、35歳くらいの白人男性が丸めた背でフラフラと。
最近のNY、自転車社会は手入れの行き届いた日本車みたい。
権利主張の対価として義務の履行を強要され、
ポリスは駅員のように違反切符を切り出した。

日本の町を、歩道を歩いていて一番怖いのは、
後ろから駆け抜けていく自転車。
携帯画面を見ながらだんだんと近づいてくる歩行者。
日本の歩道は普通の歩行者にとって、
決してやさしいエリアじゃない。

あたりまえのことかもしれない。
それでも
「なんだかなー」。
疑問符がつきまとう。
横断歩道がポツリとしかない車道。
信号のない横断歩道で待っていても決して車は停らない。
車の切れ目を狙い、万引きをするようなタイミングで横切る。
これほど車にやさしい町は世界でも珍しいんじゃないか。

すきあらば車道を横切る歩行者。
信号は選択肢のひとつとして道路の角に立つ。
白色をつけたり、赤色を灯したりしながら。

途中まで渡り、いきなり引き返す人。
目力で車を止める人。
斜めに横断する人。
押し売りウィンドシールド拭きを初めて目撃したときには、
この国がもつエネルギーの高さに圧倒された。
タイムズ・スクエアだった。
今ではあれも遺物。


歩行。
唯一の交通機関が足という時代が6年ほど。
東京ほど広大ではないマンハッタンでは、
この自前機関でもかなりのエリアをカバーすることができる。
急ぐということのない生活であれば。


「直角クン」
そう言われることがある。
横断歩道の白い枠内を直進し、
歩道の足を踏み上げてから曲がる。
右に、左に。
意識していないこともないけれど、
躰が動いていることの方が多い。
車道を斜めに横切った同行者は苦笑をまじえて待っている。


長期間にわたり積み重ねていけば、
ある日、莫大な量になっているということは誰もが知っている。
無意識にやっていたあの頃。

信号なんて関係はない。
交差点は必ず斜めの線をつける。
車をにらみつけながら。
足の時代。
直角三角形にいは斜辺しか存在していなかった。
積み重ねた距離と時間はどれほどの山になったろう。

今、ぼくは横断歩道を真っ直ぐに渡り、
信号を遵守する模範的市民。
絶滅危惧種というよりもバカ。
この範疇においては。
その上、ガキに追い越されるほど歩みがのろい。
信号で立ち止まるぼくをイグアナでも見るような眼でのぞきこむ人々。
ゆっくり歩く。


日本の友人で一時期公園に住んでいた人がいる。
別に公園オタクだったわけではないが。
彼は今でも公園をどこかで避けているという。
あまり好きでないという。
嫌いではないらしいが。
躰のどこかが避けているのだと。
花見には行かない。


おなかいっぱいになってしまうと、
大好きなお好み焼きも食べる気はしない。
しばらくは見たくもない。
食べ放題は、
順番、配分、ペース……。
躰を科学しながら取り組まないと
「あー、モトとったね」
笑顔でため息をつくことはできない。

あーあ、欲しいな無限胃袋。


カーペットの敷かれた幅2mほどの仕事場の廊下。
トイレへ向かうと向こうから人が歩いてくる。
右側通行なのか、左側通行なのか。
最近は至るところで混乱が生じる。
斜めについた自分の足跡を後頭部にある目で見ながら、
花見に行かない友達のことを考る。



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by seikiny1 | 2010-04-24 12:19 | 日本とアメリカと
絶滅危惧種
すこしずつ、すこしずつ。

しかし確実に増え、定着している。
電車の中で、公園でKindle(電子書籍リーダー)を手にする人びと。、
iPadはまだ街で見てないな。

数年中に日本でも普通の光景になっているだろう。
電気じかけのカラクリ板。
小田急線のつり革にぶら下がって週刊少年ジャンプを読む。
あのザラツいたページの感触や、匂いまで再現してくれたらいいのだけれど。
でも独特の厚味は無理だね。

ここのところ獲物が少なくなってきている。
網棚の週刊誌でわずかばかりの現金を手にするハンターたち。
彼らはどうなってしまうのだろう?
ここ数年NYのホームレスたちの間で定着しつつあるコース。
ブックオフ。
「んー、こいつかー。こいつはねー……」
しかめっ面の店主がもっともらしい態度で足元を見たりしない。
美品でありさえすればソコソコの値で引きとってくれる。
わかりやすい基準というものに国境はないんだな。
ブックオフNYの出現はホームレスにとって朗報だった。
しかし20年後はどうだろう?


不思議。
全米一の規模を誇り、
最盛期にはメジャーリーグ球団まで持っていた。
レンタルビデオ・チェーンBlockbuster Videoの閉店が相次いでいる。
一方、日本のTSUTAYAは元気だ。

レコード時代の象徴であったTower Recordの閉店から3年。
日本ではCD屋が元気であることを帰国時に実感する。
もちろんメーカーや、店舗の努力もあるのだろうが。
この辺りに日本人質の原点があるような気がする。


不安。
電子書籍の日本でのフォーマット。
横組みか?それとも縦組みか?
VHS対Beta。
ブルーレイの規格争いどころの話じゃない。
絶対に縦組みでいって欲しい。


さまざまな背景を持つ人々の暮らすNY。
数え切れない、数えたくもないほど多種の新聞が存在する。
それぞれの言葉で。
有料で。
無料で。
そんな中で縦組みをしているのは、
知る限り日本紙だけとなってしまった。
中国紙も、韓国紙もとうの昔に横組みに寝返った。

もっとも中国は一時期「すべてをローマ字に!」
毛沢東がそんな運動を展開した国。
韓国にしろ漢字廃止を断行した国。
同じアジアでもこの辺の背景が日本とはまったく違う。

科学的なことには暗いのだけれど、
上から下へと繰り返す目の動き。
これは間違いなく横方向の動きとは別な影響を脳に与えるはず。
少なくとも、
「NOと言わない日本人」
根源に縦読みが深く関わっているのは間違いない。

本を読みながら。
気づいてみると若干だが首が縦方向に動いている。
一生で何億回うなずいているんだろう。
この体の動きが「Yes」に何らかの影響を与えているはず。
脳は体からも学習するのだから。
一方、欧米人は横方向。
すなわち「No」。
地球の上のすべてが「No」。
いやだね、そんなの。

もちろん悪い点だってある。
おいしい酒だけを飲み続けることはできない。
たまには泥水を飲んで清水のありがたさを知る。
いくらコンピューター・モニターで横組みに慣れていても、
解像度や光のせいだけではなく、快適ではない。
ぼく自身のことになるが、
モニター上の長文を読む際には必ず縦に組みなおす。


NY日系社会のフリーペーパー・バブルも終わろうとしている。

4年前、『日刊●ン』というロス、ハワイを拠点とする日刊紙が進出。
1年余りで撤退。
理由は収支、すなわち広告が取れなかったということだろうが、
タイミングや質ではないところに遠因があった。
この新聞、日本語を横組みで発行していた。
かたくなに。
どうしたわけか。

まったく読む気がかきたてられない。
手に取ろうとすら。
無料にも関わらず部数がまったくはけなかった原因はそれに尽きる。
読みたくないから。
読まれなければ広告効果もなく、広告を出す人もいないだろう。


横組みされた日本活字。
我々は本能的に拒否反応を示すのではないかな。
コンピューターの場合は
「しかたない」
とあきらめた。


欧米。横文字に日本人は弱い。
今でも政治家をはじめ多くの人が、
ワケの分からぬ外国語を交えご満悦の顔をさらす。
ご当人、その意味を理解しているのかどうか、
ぼくは知らない。

もちろんぼくも横文字に憧れ、
その結果としてこの国にいる。
小学校低学年、
国語や社会の帳面を横書きに使い先生に怒られもした。
われわれは常に、かっこよくありたい。
大多数の人が。


文明はたしかに便利で、
時代の先っぽにいるとかっこうのいいものだが、
文化を捨てでまで尻尾を振るほどのものだろうか?

出だしの時期、ハードがソフトを引っ張っていく。
そして、お定まりのコースのようにいつか立場は逆転をする。
アマゾンさん。
アップルさん。
日本向けの電子書籍リーダーは縦組みでお願いします、是非。


もちろん日本人のことは日本人が一番知っている。
両津勘吉巡査長には横書きでしゃべらせない。


ちなみに「手で書く」という一事に関しては、
ぼくの場合90%以上が横。
日本に住む方と感覚がずれているのはこんなところにも起因がある。
それでも大したことじゃない。
ビール瓶の傾け方、泡の立て方の違いと同じ程度だから。
麦とホップは作り手だから、
大切なのは工程と保存方法。




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by seikiny1 | 2010-04-23 08:58 | 日本とアメリカと
熱海でランデブー
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<熱海はこんな町でした>




今さらながら。
インターネットは多くのスタイルを変えてしまった。
海外在住者特有の病。
日本の活字に対する枯渇もほぼ解消された。
ホイッスルを吹きながら車の間を縫う自転車。
メッセンジャーのニーサンも以前ほどは見かけない。

Tweeterで援助者を同時進行で募集。
日本一周を企てるオネダリ上手な少女も出現すれば、
それまででは考えられなかった出会いもある。


なんとなくだが、顔は知っている。
声を聞いたことがあるばかりか、
電話で3時間以上も喋ったことだってある。
文章や写真から推しはかった性格だって、
そうかけ離れてはいないだろう。
でも、会ったことはない。

そんな人と熱海で待ち合わせ。
当初は「東京で」ということだったが、
一方的な都合で「熱海でお願い」、ということに。

なんとなく顔は知っている。
それでも半生な世界で仕込んだ材料での組み立てには限度がある。
焼きつけたイメージを改札口で探したのだけれど……。

「セイキさん!」
先に見つけたのはあちら。
大柄な男性、という勝手な造形とのギャップに、
悪い意味ではなくショックでしばらくの間立ち直れない。

霧雨の中、
「とりあえず《寛一・お宮の像》だけは押さえとかないと」
意見が一致する。
海岸沿いににあるという、
下駄で足蹴にされる女の像まで歩くことに。

無口な50前の男2人。
職業不詳な外見の2人。
ボソボソと語りながら、
片方は時折り一瞬立ち止まったりしながら熱海の町を歩く。
昭和でパンパンそうなボーリング場。
トンネルよりも隧道という名が似合う洞穴を通って。
廃墟に踏み込んでみたり。
「あそこが眺めのいい露天風呂らしいですね」
ホテルのフロントへ行くとやんわりと断られたり。
路地に迷い込んでみたり。
熱海に来ているというのに、
蕎麦屋の2階でカツ丼を食ってしまったり……。

「なにしてんだ?この人たち」
はた目にはそうとしか映らないかもしれない。
それでも、少なくとも、ぼくには充実した楽しいひと時だった。

あたみ桜のまだ残る川沿いの道を歩きながら、
小さな頃のことを考えていた。

昔から無口だった。
仲のいい友達と遊んでいてもそれほど喋る方じゃない。
ただ、5分ほどの沈黙が訪れると、
「悪いなー」
と、思う。
それでも黙ったままだった。

今でも変らない。
少しだけ変ったところは
「通じる人には、通じる」
わかってくれるやつだけで十分。
そんな希望と決意のようなものを持っている。
彼はそんな人であるように感じ続けていた。
甘えかもしれないが。

もちろん齢を食い、
今では社交的な会話をできるようにはなったけれど。
そんなときぼくは自分である気持ちがしない。



通じる人には通じる。
この確信をもったのはNYへ来てから。
しかもホームレスになってしばらく経ってからだった。

様々な肌の色、言葉、民族的背景……。
NYを表わすとき、こんな表現がよく使われる。
加えて不信、裏切り、笑顔の裏の泣き顔……
中でもひときわ混沌としているのがホームレスの世界だ。
まことに厄介な付属物がある。

どこへ行っても日本人なんて1人もいない。
物理的は同じ島にいるわけだが、
あの人たちはここにはいない。
たったひとりの日本人だった。

時が過ぎるに従い、
「見たことあるな、あいつ」
そんな人間が段々と増えはじめる。
黒い人、白い人、浅黒い人。
交差することはあっても、
互いに立ち止まることをなかなかしない。
あちらは何かを警戒しているだろうし、
こちらは天性の無口ときている。

それでもやっぱり通じるものはある。
1人、2人、3人……。
ほころびは加速度的に広がっていく。
生涯、忘れることのできない人々と出会い、
ぼくも彼らもすこしずつ心を開いていく。

言葉はいらない。
オシでもいい。
ツンボでも構わない

ホームレスという社会こそ人間の原風景なのではないだろうか。
人種も言葉も肌の色も関係なく、
ただ生きるためだけに生きている。
弱い者は倒れ、
助ける者もいるが常に死とも隣り合わせている。
いい意味でも、悪い意味でも差別はなく、
誰もが人を人としか見ないし。
それ以上でも以下でもない。
人としてしか接する術を知らない。
あそこは本当の意味での平等社会ではなかったのかな。


知っているのに知らない人と熱海の町を歩きながら。




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by seikiny1 | 2010-04-21 08:52 | 日本とアメリカと
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