ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
お願い
当サイト・メインコンテンツ内にある全ての著作権は筆者に帰属いたします。無断転載及び流用は固くお断りいたします(トラックバックに関しましてはこの限りではありません)。
以前の記事
カテゴリ
カテゴリ:RCサクセション( 6 )
野垂れ死
生きるということしか考えてなかった。
いや、
死ぬという言葉の浮かんだことがなかった。
この方が正しい。

「オクスリおいしいかな?」
「空缶どれくらい集まるだろう?」
未来はいつも疑問形。
手近にあるはずでの未来を考えながら生きていた。
1月後、1年後、20年後……。
そんな気の遠くなるようなものでなくても、未来。
すなわち生きている自分を見ていることに変りない。


「この人たちって幸せになれるのかな?」

《タイムズ・スクエア、最後のホームレス》
New York Timesの記事を読みながら浮かんできた疑問。

“Times Square Seven”
その筋の人たちは彼らのことをこう呼んでいたらしい。
タイムズ・スクエア界隈に残った7人のホームレス達。
2009年夏以来。

今、2010年3月にはとうとう1人にまで減らすことができたという。
この快挙をボランティア、市関係、警察の人たちは喜んでいる。
活動を続けてきた人として。
善意ある人として。
市民として。
ひとりの人間として。
色々な理由で。
結果を出した。
平均17年を路上で暮らしてきた彼ら。
6人の気持ちははどうなんだろう?

本人の意思を尊重し、根気強くに説得を続けてきた成果だという。


おじさんの名前はHeavy。
彼のねぐらが近所なので、仕事のある日には毎日見かけている。
いつもの場所で。
巨大な荷物を押しているかと思えば、
時に、全所有物を失い身ひとつで段ボールに寝転ぶ。
雨の日も、雪の日も。
もちろん今日だって。
タイムズ・スクエア最後の1人となってしまったおじさん。
1人、2人……。
欠けていく。
残されてしまった男。
"Times Square ONE"
屋根と壁を拒み続ける。


野垂れ死。
悪い語じゃない。
悪い行為とも思わない。
いつだって世間の一面だけを説明してくれる辞書には、
「道ばたなどに倒れて看護もされずそのまま死ぬこと。行き倒れ。また、それに似たみじめな死に方」
と出ている。

昔、自分の死を思い描く時には必ずこの言葉が出てきてた。
野垂れ死。
こんな生き方にどこか惹かれる自分がいる。

市役所そばの公園で、ウオッカの瓶を抱いて凍死していたTippie。
トンネル料金所そばで轢かれ、ぼろぎれのようになったShorty。
クスリ代を踏み倒し、穴のあいた身体で見つかったJack。

コンクリートという檻の中でしか生きることのできないホームレス。、
自由と引きかえに、野垂れ死をする自由さえ失ったホームレス。
道ばたで事切れようと、誰かの手をわずらわさなければならない。
たとえ物として処分されるにしても、
無表情ないくつかの手から手へ渡されなければ旅立つことを許されない。
自然に土へ還ることも、
野鳥についばまれることも、
風や水になることさえも許されない。
都会に飼われたホームレスは、最期の時すらも都会にゆだねる。

路上にで死を見つめる人は少ない。
「なんのために生きている?」
「生きるために生きている」
先にある時間がたったの1日という小さな塊であっても、
懸命に手を伸ばして掴もうともがく。

そんな場所から立ち上がるのに必要なのは
きっかけ。
偶然を必然と思える調子よさ。
そんなもん。

Times Square Six。
今ごろどうしているだろう。





にほんブログ村 海外生活ブログ ニューヨーク情報
[PR]
by seikiny1 | 2010-03-31 09:00 | RCサクセション
あこがれの北朝鮮





北朝鮮で遊ぼう たのしい北朝鮮
北朝鮮はいい国 みんなの北朝鮮
金日成 金正日 金金 金賢姫
「お~い、キム!」って呼べば みんなが振り向く

北朝鮮で遊ぼう あこがれの北朝鮮
北朝鮮はいい国 平和な北朝鮮
あこがれの北朝鮮

いつかきっと みんな仲良くなれる
いつかきっと そんな世界が来るさ
差別も偏見も 国境もなくなるさ
あこがれの・・・

朝鮮民主主義人民共和国

シャララララ・・・ ビビンバ・・・



〓<こんな歌詞もあります>〓
北朝鮮で遊ぼう たのしい北朝鮮
北朝鮮はいい国 みんなの北朝鮮
金日成 金正日 金金 金賢姫
「お~い、キム!」って呼べば みんなが振り向く

北朝鮮で遊ぼう あこがれの北朝鮮
北朝鮮はいい国 ただで連れて行ってくれる
アベックで浜辺でにいると 拉致して連れて行ってくれる

いつかきっと みんな仲良くなれる
いつかきっと そんな世界が来るさ
差別も偏見も国境もなくなるさ
食糧不足も核査察も工作船もテポドンもなくなるさ
あこがれの……

朝鮮民主主義人民共和国

シャララララ… ビビンバ…
カルビ、クッパ、ユッケ、マコリ






〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
「普通ってなんだろう?」

 普通の幸福、普通の結婚、少し古いところでは普通の女の子……。

 日ごろ何気なく使っている言葉だけれど、普通とはそんなに魅力的なのだろうか。ここで使われる普通は多数と言い換えることもでき、それは安心へと結びついていく。みんなと一緒だと安心ということか。
 普通が悪いと言うつもりはないけれど、普通と正しいがいつ、いかなる時であっても等号で結ばれるとは限らない。ま、正しいというもの自体も日々変わるものではあるけれど。
 昨日までの普通が目を覚ましてみると普通ではなくなっていたなんてことはざらにある。それの持つ本質自体はまったく変わっていなくとも。

 数・民主主義の論理で行けば僕は普通ではない。いや、昔は普通だった。
 ビルの壁に張りつくようにして吸うものより、歩きタバコは格段に気持ちがいい。少なくとも精神的には何倍も健康だ。かつての普通の風景は今では普通じゃない。もちろん吸わない人の指摘することにもうなずかされることがあるので、ああいう議論はあってよかったものだと思う。だってみんなの道だから。
 僕自身に関しては自分のルーツの中で歩きタバコをする。
 ①周りに人がいない道を
 ②ポイ捨てはしない

「???」
 いやいや、本当に不思議でならないことがひとつだけ。
 建物の前などで吸っている人を見ていると、半数以上の人が地面で踏み消したり、「ポンッ」と指先で弾き飛ばして歩き去ったり。たとえ灰皿の真横で吸っていようともそれが何のためにそこに立っているのかそれとも、見えないのか。罪悪感のかけらもないことが、歩き去る後姿から何の余韻も感じ取ることができないのでわかる。
 フランスなどではかつて、そこがレストランであろうとも床で踏み消すのが普通だったと聞いたことがある。彼らの中には、そんなフランス性普通菌DNAでも潜伏しえいるのだろうか。
今度、「ボンジュール~」とでも声をかけてみるか。

 天気のいい日には、いや、数日前のように霧雨の一日であっても歩きタバコ虫の騒ぎ出すことがある。そんなときは歩道ではなく車道を歩く。人通りの少ない道を選び、歩道からできるだけ離れた車の邪魔にならない辺りの線を見極めながら。
 これまでのところ「オラオラ、そんなとこ歩いてんじゃねー」と運ちゃんに怒鳴られたことはないけれど、そんなときに備えて言葉だけは用意している。「おめーらの方こそ、排気ガスばら撒きながらちんたら走ってんじゃねぇ」と。
 
 この街は一方通行が多いので、歩きタバコの半分は車を背にしてということになる。
 
「……」

 だんだんと大きくなってくるトラックのエンジン音を聞きながら頭に浮かんだ言葉。
 
 北朝鮮

 運ちゃんががいきなりハンドルを切り、アクセルを踏み込まないという保証はない。
 僕らは何の保証もないか細い糸のようなお約束事の上に暮らしている。
 プラットホームで携帯画面をのぞきこんでいる人の背中を押さないのが普通なんですが……。
[PR]
by seikiny1 | 2009-05-31 02:22 | RCサクセション
どろだらけの海
 18、9の頃に何を考えていたかというと勉強のことでも、将来のことでもなかった。
 何も考えていなかったというのが一番正確だろう。

 屋外スケッチへ行けば、クラス中、誰の画用紙をのぞいてもどこかに煙突が描きこまれている。赤白に塗り分けられた太くて高い煙突が。
♪……とどろくエンジン 煙の虹なびく平和のふるさとに 力の文化打ち立てん……♪
 こんな歌詞を持つ小学校の行進曲を大きな声を張りあげてで唄う。
 繁華街を二分する川は「七色の川」の異名を持ち、小石を投げ込むとバスクリン色のしぶきが上がる。
 次々に人の手で作られていく陸地は、堤防から海をどんどんと遠さけ、沖に浮かぶ二つの人工島には巨大なドブネズミが生息すると大人たちは言う。
 たぶん、真黒な煙を吐き出すC11型蒸気機関車から力強さを感じた最後の世代だろう。

 生まれ育ったのは公害の町。
 それは後付けの知識で、小さい頃はどこの町にもある風景だと思っていたし、大きな煙突は僕らの中で矜りに近いような存在だった。
 僕にとって原点の海はどろだらけの海であり、そんな海が大好きだった。
 堤防の鉄条網を潜り抜け戦争ごっこをした海。ヘドロ混じりの底なし沼のような潟に身体を引き込まれ死にそこなった海。
 映画ブレードランナーを観て「あっ、工場街を突っ切る時に見える夜景にそっくりだ」などとを思い、今でも郊外でモクモクと煙を吐き出す煙突を目にすると身体中に力がみなぎってくる。
 
 どろだらけの海が好きなのは、まだまだましな時期にあの町を出てしまったからかもしれない。
 あの町に残り、町を愛し、支えている人達にはまた別の感情があることだろう。某財閥系企業の城下町と呼ばれ、頼り、共に成長をし、妥協をし、そして捨てられた上に様々な負の遺産を押し付けられたのだから。

 今、僕が故郷に残っていたとしたら、いったいどんな詩を書くだろう。
 激しい詩か?侘しい詩か?悲しい詩か?諦観まじりか……

 18、9の頃に「詩を書こう」と思った記憶はない。
 もし、よその町で美しい海を目にした後に詩心が湧いていたとしても「あの海はきれいだった」、そんなことしか書けなかっただろう。自分の住む町、属する何かを否定する勇気なんて持ち合わせていなかったから。
 あの歳でこんな詩を書いてしまう清志郎さんは、僕と比べるのも甚だ失礼だけれど、深い人だなー。

 数年前、故郷を訪れた。
 一段と遠くなった海と、魚の姿を見ることのできる川を持つ町は静かな寝息をたてていた。 
[PR]
by seikiny1 | 2009-05-20 08:28 | RCサクセション
僕の好きな先生
僕の好きな先生

【先生】〔もと、相手より先に勉学した人の意〕指導者として自分が教えを受ける人。〔狭義では教育家・医師を指し、広義では芸術家や芸道の師匠・議員なども含む。また、軽蔑、揶揄の意を含めて言われることがしばしばある。例、「先生と言われるほどのばかでなし」〕

【教師】(組織化された教育機関で)知識を授け技芸を指導する立場にある人。「人生の教師/家庭教師・反面教師」
 →→【師】(自分が心から指示し尊敬する)先生

【教員】〔職員・事務員と違って〕学校と名のつく教育機関で教育に直接従事する人。




〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
 手近にある辞書からの抜粋に従うならば、学校時代を通して周りに先生と呼べる人は一人しかおらず、それが「僕の好きな先生」でもある。
 彼は高校時代の体育の先生で、飄々という言葉がぴったりとくる人だった。担任だったわけでも、部活の顧問であったわけでもなかったし素敵な話なんかしてくれなかったが、ここぞという時にはいつもただ一人だけ生徒をかばい、守ってくれる側だった。
 <師>という言葉にこだわるならば、小学校から高校にかけての12年間、1人を除き、担任・担当をされたすべての方が教員に過ぎなかったのは不幸なことなのかもしれない。また、こんな生徒を持ってしまったあちらにしても。
 もちろん同級生にとっては先生であり、教師であったかもしれないのだが僕には教員に過ぎなかっただけ。
 僕の立ち居地が不幸であったのか、それとも精神が不幸であったのか。
 
 ただの人間に過ぎない教員に完璧を求めるのはやはり酷だろう。それでも、あの頃の僕は先生が欲しかった。

 問題を起こす。起きた。起きてしまった。巻き込まれた。
 そんな時に大人の狡猾さを見てしまっていた。
 怒る、逃げ(避け)る、押し付ける、変節……。
 問題を起こしていながら実にあつかましいのだけれど、そんな時、当事者である僕はまるで他人事であるかのように冷めた目で大騒ぎをする大人たちを見ていた。
 勉強・学問とは違った世界で僕はこの人たちを見ていた。もしかしたら彼等、彼女等はそんな子供の視線に気づき、居たたまれなくなり、結果として不本意なふるまいをしてしまったのかもしれない。
 それにしても、ほんの数人だけでも先生と思える人が身近にいたならばひねくれた大人が一人は減っていたかもしれないのにと人のせいにしてみたりする。

 僕の好きな先生はたったの一人だけれど、僕の好きなおじさんはたくさんいた。
 だからこそ大人になることの希望を持ち続けることもできた。自分はどんな大人になるんだろうと。
 近所のおじさんであり、見知らぬ店のおっちゃんであり、親戚や親の友人であり、友達の親であり、通りすがりの人であったり……。とにかく素敵な大人に恵まれ、そんな大人たちは自分の生きる姿勢で、時にはガキに向かってくそ真面目に説教をたれながら学校では習わないことを教えてくれる。
 学校を出てしばらく経つと先生に事欠くことはなくなった。
 学校時代は付き合いの薄かった同級生、従兄、毎朝道ですれ違うだけの名も知らぬ人々、ガールフレンド……。文字に違うことない生きる・生き残る術を教えてくれたホームレスもいれば、商売のコツを教えてくれた詐欺師、野良猫たちは境界線との付き合い方を、雑草は生と死について教えてくれる。反面教師までを数えるのならばカウントすることなんて到底できない。

 それにしても、職業としての先生、教師、教員は大変だ。年端もいかないガキからはこんな目で見られ、30年以上を過ぎてまでつつきまわされるのだから。その上、最近では「うちの子を劇の主役に」と学芸会では配役に頭を痛め、運動会を開けば1等賞をあげることすらもできない。そのくせ「なんで払わなきゃいけないのよ」と、理屈をこねて給食費を払わないバカ親の所を集金に駆け回らねばならず、まさに一年中が師走である。子供が減っても仕事は増えるばかり、その上こんな状態を目にしていれば教職に就きたいと思う子供たちも減るだろう。
 行くも地獄、退くも地獄とは教員の口から漏れた言葉かな、と疑ってみたくもなってくる。

 彼らの心境はそれこそ「先生と言われるほどのバカでなし」ということだろう。


 僕の好きな先生が贈ってくれた忘れられない言葉がある。
「男なら、言いわけをするな」
[PR]
by seikiny1 | 2009-05-14 08:40 | RC
君が僕を知っている
N20090511 君が僕を知っている

 このバンドの存在を知らなかった。数日前、友人の藤井芳樹さんの日記を見るまでは。
 彼も清志郎さんのファンで青山ロックンロールショーでのレポートはどんなニュースを見るよりも臨場感あふれていて「さすが……」とうならされます。
 参加できなかった僕は終日彼の歌を聴き、眠りに落ちながら音楽を聴くという一日。考えてみたら眠りながら音楽を聴くのは13年ぶりでした。

藤井さんの「青山ロツクンロールショー」レポート

 THE アルカイダーズ







決めたい 燃やしてくれ
貿易センタービル  二つとも

Hey Hey with THEアルカイダーズ
破壊が大好き 
いつでもどんなときも
素敵なテロリズム

冗談じゃねえ アメリカ
デブばっかりの くだらない国さ

Hey Hey with THEアルカイダーズ
山岳地帯
洞窟の中で
ヘラヘラ笑うぜ

Hey Hey with THEアルカイダーズ
破壊が大好き
次の標的は
おまえの家さ
アルカイダーズ アルカイダーズ WaaaaaHH!!



 もう10数年前の話になるけれど、ニューヨークにある某日系書店最大の顧客はCI永だとか、FB愛だとかいう話だった。情報収集は彼らの仕事の基本だから納得はいくけれど、「実に怖い話だなー」と思った記憶がある。
 ということは清志郎さんはジョン・レノンのように要注意人物としてマークされていた可能性がある。もしそうだとしたら、早くKIYOSHIRO Fileを公開してくれないだろうか。

 主張という言葉を聞いて真っ先に思い出すのが、かつて毎年成人の日にNHKで放映されていた『青年の主張コンクール』という番組。簡単に言えば弁論大会の全国版のようなもので、もちろん先生方オススメの番組だった。しかし、内容を聞く前にあの独特な口調に虫唾が走り、毎年チャンネルをひねってしまう。学校で監視のもと開かれる弁論大会もそうだが、いったいあの独特な口調は誰が生み出したのだろう?
 それ以来、主張という言葉を聞くとどこかで拒絶反応袋が「ピチッ」とはじける音がする。

 そんな過去があるからなのか、それとも関係ないのか……。
「ここはニューヨークだから……」
「言わなきゃ損でしょ……」
などといった、ステロタイプのアメリカは主張の国論を聞かされるとガックリと疲れてしまう。まるで主張をしない人間がアホか、悪であるかのような物言いに。そんなやつの意見に、気まぐれに耳を傾けてみると、ほとんどの場合大したことを言っていない。簡単に言えば、主張することを主張しているようにしか聞こえてこない。

 主張をすべき時はたしかにある。
 ここ一番の時に。
 それでも年から年中、同じ調子の大声を上げていると「王様の耳はロバの耳」になってしまう。大切なのは主張ではなく、自分を表現すること。それに最も効果的な方法を持つ、模索すること。表現をすることを忘れてしまうといつの間にか自分というものがなくなってしまう。

 清志郎さんが<天才>であるひとつの理由は天性の表現者であるということだろう。しかも、ただ感じたままの直球を投げるだけではなく、時として考える人でもあるというところ。もちろんそれは様々な苦渋を飲んできたからこそできるのだろうけれど。

 清志郎さんが亡くなる約1ヶ月前のこと。
 タイマーズでドラムを叩いていたパァ(杉山章二丸さ)んがおっしゃっていた。
「今、清志郎さんがアルバム作ったら、題材がいっぱいあるので一気に数枚出せるでしょうね」
 そして、
「ただ嘆いたり、愚痴るのは情けない……。怒りには瞬発とパワーが必要なんだ」
「旬であるからこそ大量に作って、出せるもんだけ出して、やって、逃げる!」と。

 この言葉には教えられることが多く、この1ヶ月というもの頻繁に口と胃袋を行ったり来たり。
 この中で僕にあてはまるものは「逃げる」ということくらいかな。あー、まだ道は遠い。その一方で、僕を、僕という人間の表現・発露のすみずみまで理解してくれる人が世界に一人いればそれで幸せだとも思う。

THE タイマーズ



*今回は友人の話ばかりですいません。
[PR]
by seikiny1 | 2009-05-12 08:12 | RCサクセション
ボスしけてるぜ
 月給$800。
 家賃を払った残りは$200で「よくこんなんでやっていけたなー」と今さらながら感心をする。3ヵ月後に$300の昇給がありやっと人心地がついた。もう22年前のこと。
 当時は「このシケた野郎、足元見やがって」と常々悪態をついていたけれど、少なくとも毎月きっちりと払ってくれた上、素人の僕に根気よく仕事というものを叩き込み、グリーンカードまで手にすることができたのだから感謝をしている。当時は憎いだけだった社長とも、最近では酒を飲んだりすることもある。

 僕らが生きた時代というのは、まだ幸せな部類に属するのかもしれない。少なくとも生きる糧だけは保証をされていたのだから。

 そこがどこであろうと生きていくことが大変だ。特に異国で生活をする者達にとっては。まず、生きる立場、権利がなければ弱みをつつかれながら生きていくしかなく、そのために費やす労力、払う犠牲は大きい。ニューヨーク、アメリカで言えばそれはビザを持つことで、条件の差こそあれ全ての外国人に平等な関門だ。手に入れるために人々は何をし、手にした後どう動くか。

 7年前に浮かび上がって来てびっくりしたことのひとつが《無給インターン募集!》という新聞広告。出版社、貿易会社、不動産屋、営業職、小売店、デザインオフィス、画廊、果てはベビーシッターまで。無給で人を使う厚顔、甲斐性のなさと、それでも応募があるという現実。募集の謳い文句に「NYで人脈を広げませんか」などとあるのだからあきれてものも言えない。
 雇われる側は「チャンスの糸口でも」といった思いがあるのだが、企業側の目論見は……。もちろん真剣に「後進を育てる」というスタンスの企業もあるが、残念ながらその数は決して多くはないようだ。「NYで起業」などと言えば実に聞こえはかっこいいけれど、はなっから労働力をインターンでまかなう腹積もりの自称起業家は詐欺師に等しい。中には「NYでインターン!」の言葉に誘われ、ビザを取ることもなく日本の斡旋業者にお金を払ってまでNYにやって来るというおめでたい人までがいるくらいだから、企業にとってはありがたや、ありがたや。
 この状況を見ていると、高い葬式費用にどこかで納得をしてしまう遺族のことを思い浮かべる。

 NYには獏がいる。自分もかつては夢を求めていたはずの奴等がが、いつの間にか他人の夢を食って露命をつなぐ獏と成り下がり、夢をつかんだ男と胸を張る。
 夢を喰われて帰国する人のなんと多いことか。さて、自分の欲のために人の夢まで喰って飲む酒はうまいのか?獏は本来悪夢だけを食べるものだが最近では草食どころか何でも喰うらしい。
 この国に来る人、居たいと思う人には、もっと「自分にとってのNYは何なのか?」ということを考えて欲しい。利用されないで欲しい、あなたの夢なのだから。いやはや情けない時代だ。
 
 さて、20年後に社長とうまい酒が飲めるのは何%くらいなのだろう? 
[PR]
by seikiny1 | 2009-05-11 08:44 | RCサクセション
記事ランキング 画像一覧