「ほっ」と。キャンペーン

ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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カテゴリ:53rd stories on 53rd( 6 )
ニューヨークのアマゾン
「ガチャッ、ジー」
「ガチャッ、ジー」
「ガチャッ、ジー」
 ………
「あ、だめだ」

 今では、その影もないけれど、かつてはかなりの新し物好きった。
 最初のコンピューターを手に入れた翌日には、プリンター欲しくなっている。もちろん当時はレーザーやインクジエットなんてものはなく、その音には寝た子も起きるドットマトリクスプリンタが王道だった。簡単に言えば、進化したタイプライターだけれど、迷うくらいだから値段も決してお手軽ではない。今となっては、普通のコンピューターショップではなかなかお目にかかれない代物になってしまった。
 もちろん、当時グラフィックなどはごく一握りのプロのすることだったし、デジカメなんかが登場する気配もない。 

 最近ではコンピューターを買えばプリンターがおまけについてきたりする。
 特売品のプリンターなどは、本体が内蔵されているインクカートリッジの額と変わらないものや、時としてそれ以下のものすらある。不思議な世界だ。
    

「ガチャッ、ジー」
 以前では考えられないスピードで、きれいなプリントアウトが出てくる。
「ガチャッ、ジー」
 赤児も起きないだろう。
「ガチャッ、ジー」
 色がついている。
「ガチャッ、ジー」
 紙の両端に穴なんか開いていない。
「ガチャッ、ジー」
 コピー用紙が使える。
「ガチャッ、ジー」
「あ、また失敗しちゃった。やり直しだ」
「ガチャッ、ジー」
「あれ?」
「ガチャッ、ジー」
「おかしいな?」

 十数年前、「ペーパーレスの時代がやってくる」と言われていた。
 実情はこの通り。
 アマゾンの木よ元気かー?




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by seikiny1 | 2007-08-16 09:36 | 53rd stories on 53rd
I’m NOT just A Plastic bag! (4)

(つづき)

 爆発事故。
 現場近くに居合わせた知り合いは
「泥だらけになった人達が、てんでばらばらの方向へ逃げていっていた」と言う。
 誰の頭にも〈テロ〉という言葉が間違いなく浮かんでいたはずだ。
 朝と夕の出来事。同じ日に、同じ島のそれほど離れていない場所で起こった色の違う出来事。表面上は正反対の色をしているけれど、突き詰めていけばきっと同じ色になっていく。

 爆発事故の映像を見ながら、僕の頭は数日前に起こった中越地方での地震につながっていく。被害にあった町並み、家に帰れない人たち、亡くなられた人たち。そして原発事故。その遅すぎた発表。
 原発が停止してしまったために自動車工場も操業停止を余儀なくされたという。東京では夏を控えてエアコンの電力が不安だともいう。何よりも日本という国の原発依存度がそんなに高かったことに驚いてしまった。この先、経済にも何らかの影響が出てくるかもしれない。風力発電はまだまだ当てにはならないし、代替エネルギーとして火力発電を使えば間違いなく地球の温度は上がっていくだろう。そんなところを原発関係、電力会社、国は突いてくるんだろう。
「あなたたちはこの国がどうなってもいいんですか?貧乏に耐えられますか?」

「どちらか?」ときかれれば僕は原発には反対の方だ。それでも積極的な運動はしないし、これからしようとも思わない。すべてにおいて自分にできることを、自分の範囲でやっていこうと思う。それを〈逃げ〉と思う人もいるかもしれないけれどそれでもいい。無理をしたら、どこかで無理が出てしまう。それよりも自分にできることを、自分なりに、自分のペースでやっていく。

 ただ「反対」と叫ぶだけではなく、コンビニでPlastic Bagをもらわない。割り箸をもらわない。ナプキンは必要なだけ。車を買い換えるのを一年我慢する。エアコンをつける前に水風呂に体を沈めてみたり……。
 そんなことをたまにやってみたらどうだろう。
 ごみを作るのに電力が使われ、地球が暖かくなり、それを処理するにもまた電力その他が費やされたりする。消費をしなければごみも出ないし、少なくすればごみも減る。原発だって要らなくなるかもしれない。夏だってそれほどエアコンが必要じゃなくなるかもしれない。「クールビズです」なんて宣伝する必要はなく、すべてをやる必要なんてさらさらなく、たまに。思い出した時にでもやればいい。
「あ、今日はバッグいりません」と。
 それだけで原発のひとつや、ふたつ要らなくなってしまうはずだ。
 叫んで主張をすることも大切だろう。ただ、それと同時に、生活を原発反対にしなければ絶対になくなることはないだろう。誰かが、どこかが割を食わなくちゃいけなくなってしまう。
 無理して、がんばってエコ100男、エコ100女になる必要なんてない。あのイチロー選手だって打率は3割台なのだから。みんなが3割か2割のエコ男、エコ女になるだけで原発は消えていく。自然災害だって減るはずだし、もっと暮らしやすくなる。たったの2割で。

 エコバッグ。
 いいじゃないですか。
 使おうと、使うまいと。高値で売ろうと。
 この<I’m NOT just A Plastic bag〉の出現とその巻き起こした社会現象で、針が少しだけプラス方向に振れたように思う。それだけでいい。所詮入り口なんだから。
 自動車メーカーだって〈Hybrid〉のエンブレムを車につけたいだろうし、消費者だってそれがなかったら「買いたい」気持ちの何割かは落ちてしまうだろう。このエンブレムだってブランド志向だし、エコやリサイクルに協賛している企業だってそれは宣伝というブランドの側面があり、消費者にもそれはある。入り口は何だっていい。
 ブランド物のバッグを下げる女の子は消えなくても、たくさんの2割打者が集まれば、自動車の後ろにわざわざ〈Hybrid〉のエンブレムを貼り付けるのがばからしく思える日だって来るだろう。普通になる。

 2割バッターでいきましょう。


 たった一枚のPlastic Bagが様々なことを考えさせてくれました。それを持つ時にはいつでも”I’m NOT just A Plastic bag!”と心の中で叫んでいたいです。

 長くなってしまいましたが、読んでくださった皆さんありがとうございます。
 そういえば、ガキの頃、顔を洗うときにはいつも洗面器に水をためてやっていました。
 次にチャイナタウンへ行った時に(覚えていれば)探してみることにします。

(おわり)
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by seikiny1 | 2007-07-28 07:28 | 53rd stories on 53rd
I’m NOT just A Plastic bag! (3)
(つづき)

そこには、新宿でクリスピー·クリーム·ドーナツを求めて列をなす人々が映し出されていた。

ニューヨークにいるくせに人ごみが嫌いで、行列が嫌いで。
なにも行列は日本人だけの専売特許ではなく、ゲーム、i-phone、ハリーポッターの最新刊、そして"I’m NOT A Plastic bag!"と大書された有名デザイナー作のエコバッグ。この街にも、こと「初物」に関しては並ぶのをいとわない人達は多い。
エコバッグを求める人達の行列。それは朝からの豪雨ということもあって、どこか滝に打たれる修行僧を思わせた。

「いいんじゃない、僕はゴメンだけど」
今ではそんな気持ちになってきている。

テレビ、新聞、ネット......
あらゆるところでこの行列が報じられ、様々な意見が飛ぶ。否定的な、もしくは「なんでしょうね、これは......」といった印象のものが多い。そん中で気になるキーワードが。
<転売>
この行列のおかげで初めてオークション·サイトというものを訪れた。
そこでは人々の欲望が渦を巻き、競い、妥協をする。その数だけの価値観が、それが一箇所にとどまることなく刻々と変貌していくのも面白い。特に今回のバッグは「旬」の物ということもあってか、ニュースによると売り出し前から出点している人もいたらしい。
そうなってくると「先物取引と中央卸売市場のマグロの競りが一緒になればこんな具合になるのかな?」などと思いながら、移りゆく数字を眺めつつ、その向う側にいる人達の表情を想像したり、と結構楽しませてくれた。

今思えばあの行列はそんなに悪いことはなかった。
あれだけ世間を騒がせ、報道をされて。小さな社会現象と言っても決して言い過ぎじゃないだろう。発売者の思惑がどこにあるのかは知らないけれど、お役所の広報や、環境保護団体による啓蒙活動とは比べものにならないくらいのインパクトがあり、時限爆弾が仕掛られた。奥深いところに。
子供にも、お年寄りにも、これまで全く興味のなかった人達にも、その回路のどこかに<エコバッグ>という名の時限爆弾が仕掛けられた。「そういうものがある」という事実、そういうことを考えている人がいるということは頭のどこかに間違いなくインプットされたはずだ。
買い物をする時、家にたまってしまったPlastic Bagを見る時、
「ん?」と一瞬だけでも思う時があるだろう。それだけでいい。ちょっとひっかかるだけで。

「おしゃれだから」
「ブランド物だから」
「高く売れるから」
「環境を考えて」
「思い出に」
入り口はなんだっていい。
そこから入れれば、そこに入り口があることさえ分かっていればそれでいい。別に出口を探さなければいけないわけでもなく、また入り口から出たって構わない。入り口を見かけ瞬間に、もうそれは<ゼロ>ではなくなってしまっているのだから。
釣竿に国旗をつけたっていい。
人を殴るのはやばいけれど、バットで干した布団を叩いたっていい。
釣竿を買う誰もが釣り師になるわけでもなければ、バットを買えばプロ野球の選手になれるわけでもない。
ただそれを手にした時本人の意思とは無関係に<ゼロ>でなくなるだけ。


雨もほとんどやんでしまった夕方になって、それは起こった。

(つづく)


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by seikiny1 | 2007-07-25 05:22 | 53rd stories on 53rd
I’m NOT just A Plastic bag! (2)
(つづき)

アメリカの味がするコカコーラ。
年に一度、独立記念日に開放される佐世保米軍基地にある売店で買ってきたものだった。Coca-Colaのロゴまでがどことなく違って見える。
今<コカコーラ>と聞いて、そのロゴを見て何かを感じる人はどれくらいいるんだろう?僕にとってそれは完全な等号でアメリカという国と、その匂いと結ばれていた。真っ赤な地に白で抜かれたロゴ入りTシャツを喜々として着ていた頃があったほどに。

たばこの箱、ビールのラベルや王冠、そんなところにアメリカを感じ、海を超えてからは普通のお店の看板、ブックマッチに刷り込まれた図柄、お世辞にも上手とは言いがたい車のドアに描かれたイラストからもその匂いをかいでいる。
そしてスーパーマーケット。
あの頃はちょうどbrown bagからplastic bagへの過渡期だった。最近では嫌われものになりつつあるplastic bagも、アメリカの豊かさの象徴と言うこともできるスーパーマーケットのロゴをのせ町中にあふれ出していた。
そんな中でのお気に入りはShop RiteとKey Foodのもの。少しバタ臭いデザインがいい。その古っぽさが今でもあの頃に連れて行ってくれる。
袋としてよりも文化の切れはしとして、僕はplastic bagを愛している。突きつめれば、ああいった物がなかったら僕は今この国にはいないだろう。
大量消費が美徳であり、夢、憧れであった頃のアメリカ。自分を正当化するつもりはないけれど、あれはあれでよかったのではないかと思う。

そして時代は変わった。
こんなことを言っている僕も、今では空のplastic bagを持って買い物に行ったりする。100%とまでは行かないけれど打率は6〜7割程度かな。打率6割エコ男。
"It's NOT just A Plastic Bag!"

「あーあ。2時間待ちだってさ」
三月頃のことだったと思う。
暖房のきいた部屋で冷えたビールを飲みながら、僕はテレビに映し出される東京の光景をビールと同じくらい冷ややかな視線で眺めていた。

(つづく)


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by seikiny1 | 2007-07-24 05:18 | 53rd stories on 53rd
I’m NOT just A Plastic bag! (1)
 気づいてみると短パンやTシャツでゴルフができるようになっており、ゴルフにも野球にも王子がいるらしい。ここまで解釈を広めるならば金正日だってかつては王子だった。
 Tシャツしか着ない僕がたまにえり付きを着たりすると
「おっ、今日はお出かけですか?」と言われ、サラリーマンの友達がネクタイなしで外出をすると
「今日はカジュアルデーですか?」と声が飛んでくる。
 どうだっていいのにこだわる、それが今の、いや、ずっと僕たちが住んでいる世界なのかもしれない。

 IZOD社が作るラコステのポロシャツが消えてだいぶ経ってしまった。あの洗いざらしの風合いが懐かしい。あれだけはフランス製では絶対に出てこないから。それでも昔はあのマークが嫌いで、嫌いで(どこかで時代に押し流されている自分を認めたくなかったのだと思う)、買ったばかりのポロシャツにナイフを入れていた。ワニを縫い付けてある糸を切り、それからやっと腕を通していた。これだって一種のこだわりに過ぎず、有名ブランドのバッグをぶら下げて歩く女の子とたいした違いはない、と今にして思ったりもする
 色々な人がいて、そして僕がいるのだから。

 釣竿、グローブ、旅先の三角ペナント……。
 アメリカに来る前の部屋を見回してみると様々なものに囲まれていた。ただ息をしている、それだけの物たち。友達からもらった、一度も使ったことのないスキー道具すらあった。それでも決して無駄だったとは思わない。
 今でも機会があれば釣りに行きたいし、グローブはスポーツ万能だった僕に球技の才能が欠落していることを、けばけばしいペナントは旅のすばらしさを教えてくれた。まったく関係がないかに思えるけれど、ヤンキースの某日本人選手が好きになれないのもどこかで関連しているのかもしれない。スキーと聞くたびに足首の故障を思い出す。
 そしてあの当時としては少し太めだった缶入りのコカ・コーラ。

(つづく)



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by seikiny1 | 2007-07-23 07:35 | 53rd stories on 53rd
ふたつのanything
“You don’t have to buy anything in this country.”
 ベテランホームレスは言う。

 物を捨てるのが苦手だ。部屋の片づけを手伝ってくれながら親はぼくのことをボロ屋と呼ぶ。三つ子の魂百まで、というわけではないけれど捨てるのが苦手なことにかわりはない。
 約十年前のハロウィーンの日、一瞬にして全てを失ったボロ屋は「捨てたくなければ手に入れなければいい」そんな簡単なことに気づく。
 ぼくの中でアメリカへの憧れは大量消費とダブルところが多い。あふれかえる物、鯨のような車たち。豊かな物に囲まれることが幸せだと思っていたあの頃。
 時が経ち、目に映る物も変わった。それ以上にぼくの方が変わってしまった。豊かさの象徴であったごみの山を前に今では薄笑いとため息が半分ずつ出てくる。

“You’ll never find anything in Chinatown.”
チャイナタウンの片隅で耳にしたホームレスの会話だった。
 二つのanythingはどちらも核心をついている。

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このカテゴリー<53rd stories on 53rd street>では、
ゴミ〈53〉にまつわる話、ゴミからヒントを得て考えたことを書いていこうかな、と思っています。

53 storiesで終わる予定でも、53rd streetのお話でもありません。あしからず。
ただの洒落です。
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by seikiny1 | 2007-07-11 07:53 | 53rd stories on 53rd
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