ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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カテゴリ:旅のボヤキ( 12 )
まばたきシャッター
「友人と知人の違いは?」

国語辞典の解説はいらない。
「そんなもの友達じゃないよ」
そう言う人もいるかもしれない。
ただ、少なくともぼくには、
道で倒れることがあっても手を差し伸べてくれる。
電話番号も、住まいも、名前すらも知らない友人がいる。
かなりの数いる。
ネットではなく実生活の上で存在している。
ぼくにとって彼らは知人ではなく友人。


ボソっとつぶやいてみても反応がない。
気配が消えている。
ふり返ると立ち止まっていた。
足蹴にされる女のいる場所へたどり着くまで、
そんなことが数回あった。

崖の上を見上げていたり。
地面をのぞきこんでいたり。
息のかかるほど饅頭に接近していたり。

そのたびに彼の指はシャッターボタンの上。

立ち止まる男。
熱海でぼくの隣を歩いている男。
ほんの数時間前に会った男。
彼はぼくの友人だ。
さっき会ったばかりだけれど。

本名はさておき、
ひげフレディーというお方。


「ははぁーん……」
静止する姿を見ながら、
生命の神秘に立ち会っているような気がしてきた。
本職はカメラマンじゃない。
実は彼のブログに登場する写真が好きなんです。
「それら」はこうやって「生産」されている。
ぼくはその場に立ち会っていた。

気になる。
止まる。
押す。

そんなことを繰りかえしながら歩く。
一連の動作に5秒とかかってはいないだろう。
何度も、何度も立ち止まる。



NYへ帰る前日だった。
そんなひげフレディーさんから届いたメール。
《2010.2.27 熱海をご覧ください》

立ち止まる男が送ってくれた熱海のアルバム。
まったく同じルートを、まったく同じ時間に歩いていた。
目に映るものはそれぞれに違う。

立ちあうまで写真から感じていたのは、
「結構、時間をかけて撮られてるのかな?」
そんなことだったので出来上がりを見て2度ビックリした。
おまけにぼくの後姿、何かに熱中している姿まで……。
たしかにあの手際、スピードなら一瞬の隙も逃さないだろう。

お礼と、そんな感想を送る。

「ぼくの写真はパッと見て、アッと思って、サッと撮る。
『アッ』の瞬間をできるだけ速く切り取ることに専念しております。
……ホントはまばたきぐらいのスピードで撮れれば最高なのですが(笑)」


『アッ』の瞬間、よくわかります。
実際ぼくもその『アッ』を大切にしたくて、
今回の帰国でPILOT Capless Decimoというノック式万年筆を買った。
旅行者の太っ腹銭勘定で。
写真におさめたいものもあるけれど、
日頃持ち歩くのは携帯電話付属のものなので、
シャッターが押せるまでの6~7秒にいらつき、気が萎えてしまってる。
かといって携帯とカメラ両方を持ち歩く気はなし。
電話付きのカメラがあればいいのに。


「辞書はすぐに引けるように箱は捨ててしまいなさい」
小学生の頃、こんなことをどこかで読み、
「なるほど、頭がよくなるためにはまずここからだ」
ひとり納得をした。
百科事典を含む、家中の辞書の箱を捨て親からさんざん怒られた。
幸い未遂に終り(箱を回収)、親は安堵していたが。

瞬間を切り取る。
考えるのではなく感じる。
素晴らしいモノは、
時を自由に扱える、
捕らえることのできる者の元へと舞い下りる。
やたらと体内フィルムを浪費するときがある。
そう、ぼくはまばたきシャッターが欲しい。
本物はまぶたの裏にしかない。


夕方には東京から到着した(実の)妹と合流。
『メイポール』という昭和臭な喫茶店でおしゃべり。
その日一番喋ったような気がします。

ここでもひげフレディーさん「アッ」と思われたようです。
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by seikiny1 | 2010-04-22 10:52 | 旅のボヤキ
ケバ落とし
 まだまだケバだっている。

 突如はじまった旅はやはり突如終わった。
 土壇場まで行く先のわからなかった旅はやはり最後の土壇場まで行く先がわからなかった。
 そしてニューヨーク。やっと帰ってくることが出来た。

 今はケバを落としている最中。いつそれが完全に落ちるのか、完全に落とすことが出来るのかすら全く見当がつかないのだけれど、とにかく少しずつ落ちていっていることだけはわかる。「ハラハラ」でもなければ「サラサラ」でもないけれどひとつずつ落ちていっている。
 気づいているもの、気づかないもの、この先気付くであろうもの、気づくことすらなく棺桶まで持って行くであろうもの。この旅で得たものは確実にあるはずだ。多分、たくさんあるのだろう。そして失ったもの確実にそしてたくさんある。これに限らず、とかく目に付くものは失ったものである事が多い。なんとかそこへ戻ろうと、何もすることなく二日間を送っていた。
 何かを失わなければ何ものも得ることは出来ない。荷物を持って歩かなければ快適な旅を送ることは出来ない。そんなことは頭のどこかではわかっている。それでも残してきたものがとてもいとおしく見えてきてしまう。はっきりわかっている事といえば、もう決してそこへ戻る事は出来ない。ただそれだけ。
 どこかへと踏み出し、そして帰って来る。その時にいつも感じることはやはり「『そこ』へはもう決して還ることが出来ない」というただそれだけのこと。もしかしたら、人はただそれだけのことを知るために、確認するために旅に出るのかもしれない。
 帰って来てしばし時間の経過に身をまかせる。忘れてきたなにかを感じる。取り戻そうとする。そこで取り戻すことの出来る「なにか」が自分なのだろう。
 さて、僕は今、何を取り戻そうとしているのだろう?
 そんなことわかりはしない。そうやって何度も離れては取り戻す。こんなことを繰り返しながら人はやっと自分というもののカケラだけを知る事ができるのだろう。
 今取り戻したいのはやはり白色。しいて言うなら白い時間。この三ヶ月間ほとんど手にすることのできなかった白い時間を少しずつでいいから取り戻していきたい。自然と運ぶ足取りが意識せずに戻った時にそれは還ってくるような気がしてならない。白い時間があるからゆっくりと歩むのではなく、自分の歩調で歩く事が出来るからこそ、ここにも、そこにも白い時間を見つけて行くことができる。現在の僕にとってそれを得ることが出来るのはやはりこの街、ニューヨークをおいて他にはない。ここでは全てがバランスしてくれる。それこそが僕がこの街にこだわり続ける理由だ。
 ただ、得たものはある。そう感じているものはある。それはまだクリーム色であったり、ピンク色であったりはするのだけれど白い時間を持つことのできそうな街に、土にいくつか巡り会うことが出来た。今は白色ではなくてもいつの日か白にしたい。そんな希望とも予感とも言うことが出来る町や土に出会うことが出来た。それがこの旅で得たもの。それでも今の僕にとってはまず白を取り戻すこれが最優先課題であるのだから、クリーム色やピンク色は後回しにしておこう。

 この二日間で確実に取り戻しつつあるもの。それはノートの上を走る鉛筆の感覚。鉛筆をとぐ時にうっすらと鼻に広がる木の香り。やっとボールペンにサヨナラを言うことが出来たこの気持ちは何ものにも替えることは出来ない。こんなところから自分のケバが落ちていくのを感じてしまう。自分に戻りつつある事を体感する事が出来る。
「別れた女は恋しいものだ」という人がいるけれどそれはきっとその時の自分が恋しいだけなのかもしれない。決して戻ることの出来ない自分自身が。決して落ちることのないケバがあることへの苛立ちがそういったことを言わせてしまうのかもしれない。

「僕の白が他人の白か?」と問われれば、答えは否。人はそれぞれの白色を持っているのだから。だからこそおもしろい。
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by seikiny1 | 2006-07-25 11:32 | 旅のボヤキ
ひまわり: Where It All Begins
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 もうこの夏は終わりつつあるような感覚がある。
 5月初旬のまだ春浅いシカゴを皮切りに一気に800マイルを南下。炎天下のテキサスで数週間を過ごした。砂漠の中の町での日々、そして「やけた」という言葉がぴったりのロス。かたやモーテルの部屋では、連日エアコンが最強の風を吹き出しこごえている。
 この一週間ほど、午前中はモーテルの部屋同様にウィンドブレーカーと仲良くしている。それほど肌寒い場所へとやってきた。街行く人々の格好を見るとスプリングコート(秋物かもしれない)をまとったり、中にはフリース製のマフラーを巻いている人をさえ見かける。
 ひとつの夏が終わり、そして秋を迎えつつあるように僕の身体は理解しはじめている。

 7月15日。今、僕はサンフランシスコにいる。
 日本ではまだ夏休みにさえはいっていない。それなのに僕の中ではすでにひと夏が終わりかけようとしている。

 夏は本当に終わりつつあるのだろうか?

 季節、それは基本的に一年という周期単位でくり返される。四季があろうと、夏だけであろうといつまでも、いつまでもその軌道の上を回り続けることにかわりはない。この街でそんな簡単なことを日々感じ続けているわけだ。
「ひとまわりしたな」
そんな感覚が僕をとらえて離さない。もっともそれは一年ではなく、二十年という軌道なのだけれど。とにかくひとまわりした(しようとしている)。
 この街、サンフランシスコ。すべてが一度終わり、始まった街。そしてまた始まろうとしている。
 1986年9月30日
 成田発のシンガポール航空便はロスへ到着した。サンフランシスコ行きの乗り換え便へと向かう僕の頭の中では移民官の“Go Ahead!”の声がいつまでもこだましていた。この国ではじめて地に足をつけた町。はじめてこの国で普通に生活をする人たちとふれあった町。それがサンフランシスコだった。ちょうど二十年を経て、奇しくも僕はこの町に帰ってきたことになる。
 たった数ヶ月の間だったけれどロスに住んでいたこともあった。それでも訪れようとすら思わなかったこの町。まだ季節が巡ってきていなかったのだろう。
 その町に今僕はいる。
 この二十年。春もあれば夏もあり冬もあった。そうそう秋の日々もだ。
 今、また新しい季節が始まろうとしている。それは夏なのか、それとも冬なのか?予想だにできない。それがいかなる季節であろうとも受けとめて暮らしていくしかない。吹雪の翌日が真夏日であるなんてことはこの軌道上では決して珍しいことではないのだから。

 前の休日にはこの足で町を歩いてみた。
 街路樹のわきに生える一本のひまわりが僕を引き寄せる。こんな所にひまわりを植えている人がいた。そしてゆっくりとひまわりを見つめるのは何年ぶりのことだったのだろう。最後に見たのがいつだったのかすら思い出せない。のぞきこんでみるとつぼみの奥にはしっかりと夏が存在していた。子供の頃の夏休みの象徴、ひまわりの黄色い花びらがそこにはもう準備万端整えて夏の来るのを待ちわびている。
 この国に来て、ひまわりといえば、ピーナッツのような豆菓子に変わっていたのだけれど二十年目にしてまた夏の花となる。次にひまわりを見つめるのはいつの日のことなのだろう?その日にはきっとこの日のことを思い出しているに違いない。いつ、どこで見つめるかはわからないけれど、この日はひまわりの黄色とともに僕の中に残っていくことだろう。
 
 二十年目の夏。

 冒頭のピンボケ写真。
 ここから僕の春夏秋冬は始まった。サンフランシスコのバス・ディーポ。ここでサンフランシスコ国際空港からのバスを下り、また六十日間のバスの旅に発った。そして今帰ってくる。
 現在は待合室としての機能はなく、それでも時の風化にまかせるように当時の姿のまま残っている。なにもするわけではないのにただそこに存在し続ける。この国のこんな面が限りなく好きだ。


 この旅の表の目的が仕事であることは間違いない。疑う余地はまったくない。
 それでもその裏に敷かれた<意>というものを考えさせられてしまう。一つの周期を終えて。それは僕自身の存在確認といったものであるのかもしれない。カミサマのいたずら。
 僕の中にはここへ来る、そして二十年後に戻ってくるというDNAが存在していたのか?またまた偶然と必然という言葉に行き当たってしまった。

さて次はどんな季節が来るのだろう?


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by seikiny1 | 2006-07-16 09:42 | 旅のボヤキ
五時前五分のサイレン
「今日は早く帰ってくるのよ!」
「何時まで……」
「昨夜みたいに晩御飯に間に合わなかったら承知しないからね!」
「九時半までには帰るよっ!」
「そうね。どんなに遅くてもそれが限度ね」
 モーテルの三階とプールの間で行われる母娘の交渉。新しい友達ができたせいか、プールの中から見上げる子供の顔は太陽を浴びてこころなしか愉しげに見える。どうやら昨夜は時間を忘れて遅くまで遊びすぎたようだ。子供には反省なんかよりも<そのとき>の方がよく似合う。それが子供らしさというもの。
 誰が、どこから、どう見たって、彼女の顔は楽しさ以外のなにものでもない。
 建物の外部に取り付けられた階段に座りタバコを喫う僕の横を母親がおりていく。
“Kids things……”と言いながら苦笑いを浮かべる彼女。その口もとには母親としての厳しさ、子供の成長の喜び、照れくささなどなど実に様々な感情がたたえられている。微笑みを返して時計に目を落としてみると、時計の短針は五を指していた。

 五という数字の奥に子供時代がよみがえる。
「五時までに帰ってこんといけんヨーッ!」
 遊びに出かける僕の背を毎日追ってくる母親の言葉。なぜ五時だったのだろう。
<便利な>と言うか、それとも<いまわしい>と言うべきか。僕の生まれ育った町では毎夕五時五分前になると(今はなくなってしまった)デパートのてっぺんからメロディーをともなった大きなサイレンの音が下りてきていた。町中のどこにいようとも誰もが時を知らされてしまう。「時間がわからなかった」では赤子の言い訳にしかならない。
 その日もいつもの声を聞きながら家を後にした僕。いつもと違っていたのは腕が重かったことくらいのはずだ。ちいさな手首には前日に父親からもらった大きなおふるの腕時計がぶら下がっていた。玄関のドアを閉めるなりそいつをいじじってニヤッと笑う。

「ただいまー」
 何食わぬ顔で帰ってきた僕の頭を母親はポカリと殴る。重たい左腕を振り上げてみると針はまだ五時をまわっていないのに……。そこでまたポカリとやられた。たしかに辺りはとうに暗くなっていた。出かける時に一所懸命に何回も逆転させた針はなんの助けにもならない。しょせん子供の浅知恵に過ぎなかったようだ。
 水辺での母娘の会話はそんなことを思い出させてくれた。頭の中でサイレンがなっている。
 さて、あの時の母はどんな顔をしていたのだろう?やはり先ほどの女性と同じ顔をしていたのだろうか。それとも鬼のような顔をしていたのか。真剣に反省していなかった証拠にまったく思い出すことができない。そして育った僕はこんな風である。
 さて、今、母親は僕のことを思ってどんな顔をしているのだろう?やはり先ほどの女性と同じ顔をしているのだろうか。ため息を交えながら。僕にできることと言えば、それが絶望のため息でないことを願うばかり。もう時計の針を戻すことはできないのだから。


 この夏、僕自身にはまったく関係がなく、したがってなんの恩恵にあずかることもできないけれどアメリカは今日から独立記念日の四連休に入った。いつもは出張者が目立つこのモーテルでも数日前からは子供の声がよく聞かれるようになってきている。朝方、表に腰を下ろしていると子供たちを乗せた何台もの車が道路へと吐き出されていく。この国最大の夏の日々。あの車の中ではどんな会話が交わされているのだろう?陽が落ちて帰ってくる車の中。そこでは疲れ果てた子供たちの寝息しか聞くことができないかもしれない。言葉はなくても密度の高い空気が充満している車内。それは子供たちから発せられ、それを吸い込んだ大人たちからまた吐き出されていく。濃いにもかかわらずとても軽やかな空気がゆっくりと循環していく車内。そしてそれをいとおしむかのようにする大人たち。
 世界のどこにいても家族でいることができる、ただそれだけで幸せなのだろう。

 僕にはたった一日のそれしかないけれど、そんな素敵な空気を思い出させてくれたいい休日だった。
 さて、あと数時間しかない休日の残りはビールでも飲もう。


 五時五分前ののサイレンのメロディーは「夕焼け小焼け」。


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by seikiny1 | 2006-07-02 11:41 | 旅のボヤキ
YOKOHAMA STREET
 霧が少しずつはれていく。

 サンディエゴに到着した日、そしてその翌日は晴れていた。
 幸だったのか、それとも不幸だったのか?
 日程がサンディエゴ・マラソンの開催と重ってしまい、しかも相棒の都合でダウンタウンに部屋を探さなければならない。やっとのことで見つけた空室は料金がいつもの倍以上はしたがやはり快適だった。久しぶりにビルの灯かりを見上げながら床につくことができる。ニューヨークと異質ではあるけれど、ここの匂いは南部、南西部のどの町よりもニューヨークに近い。身体のどこかが安心して心地よく眠りに落ちていく。
 夜半から広がりだした霧は町の光を幻想的に包み込む。それがはじまりだった。翌日のマラソンは曇り空。それ以来晴れることがない。来る日も来る日も曇り空で朝方には小さな水滴が混じっていることもある。「カリフォルニアの青い空」とはまったく縁のない日が続いている。
 今日聞いたのだけれど、この季節のことをgloomy June(うす暗い、陰鬱な六月)in Californiaと呼ぶらしい。
 そんなモヤの中、一昨日ロスに着いた。

 相方が予約を入れていてくれたモーテルに車がすべり込む。
 利便性を考えて拠点にすることに決めた町、そこは十八年前に三ヵ月ほど住んだことのある町だった。相方が口にしたモーテルのある通りに出る。その名前はすぐに記憶の片隅から引っ張り出すことはできたけれど、周りの風景になぜかピンとくるものがない。気候のせいなのかなにもかもに薄く雲がかかったように見える。記憶は美化されるものだというけれど、それにしても少し様子がおかしい。
 そんなことを考えながら窓の外に流れ行く景色を追っているうちに視界が開ける。実際はモーテルの敷地内に入り込んだのだから狭まっているはずなのだけれど、グングンとすごいスピードでしかも明確に広がりだしていた。
 あの頃とまったく変わらない視界。まるで時間の狭間に足をすくい取られたような気がしていた。実際には一瞬のことだろう、それでも自分の中ではしばらくの間なにが起こったのかがわからずにいた。
「ここだ!」
 あの日、ニューヨークからこの地に降り立ってアパートを決めるまでの数週間を過ごしたモーテルだった。名前(フランチャイジー)が変わっていたし、住所なんかおぼえているはずもない。着いてみるその時までまったく気づかなかったし、想像だにしていなかったのだけれど、そこはそこだった。フロントの男性までもがあの時と同じ口調で受付の手続きを済ませる。着ているシャツまでが同じに見えてしまうのは気のせいだろうか。

 今日も曇っている。不慮のことがあり、少しだけ自由にできる時間ができたのでなつかしい町で自転車のペダルを踏んでみた。少しずつ記憶の引き出しから顔を覗かせてくる通りの名。あの角ではあいかわらずYOSHINOYAが営業を続けている。たまに行っていた酒屋の前を通り過ぎ角を曲がる。
「こんなのなかったなー」というのがあちこちにあり、
「あの三ヵ月はこの季節じゃなかったからなー」と自転車を停めて並木道に咲き乱れる薄紫色の花にみとれる。新しいこと、古いことが交差しながら自転車は前へ前へと進んでいく。以前は車で通っていた道を十八年後に自転車でたどる。こんな日が来るとは想像だにしていなかった。足が動くにつれて不思議なことに脳みその方までやわらかくなっていくようだ。
 そして、着いた。
 もう消えてしまっていた。そこにはそれはもうなかった。引越しをしてしまったのだろう。あの頃毎日通っていたオフィスのドアには違う会社名が書かれていた。一ブロック向こうにはまたなつかしい風景がある。よく昼食を買いに行っていた日本風(?)ファーストフードのお店がはいっていた小さなモール。前まで行ってみるとそこもやはり変わっていた。以前は薄暗く、どこかあやしげな雰囲気を漂わせていた店もすっかり新しくなり店内は黄色に笑っている。見上げてみると、真新しいテントの上にひるがえるGRAND OPENINGの旗の横には違った屋号が記されていた。YOKOHAMA STREETはMIYOSHIに変わっていた。

 ほんのちょっとのつもりだった。
 それにしても十八年は長すぎたようだ。ひとりの人間が生まれ、高校を卒業するのと同じ歳月だ。YOKOHAMA STREETがMIYOSHIになってもなんの不思議もない(それにしてもどうしてこんなくだらないことを覚えているのだろう?いや、人間はくだらないものをいつまでも覚えているものだ。大事なことは忘れ、忘れてしまいたいことを消し去ることだってできる。さて、YOKOHAMA STREETは僕にとってなんだったのだろう?)。
 自分ではなにも変わっていないつもりでいても確実になにかが変わっている。あの頃に戻ろうと思ってももうそうすることはできない。最初はなつかしくて「あの頃と同じだ!」と思っていたこのモーテルですらあちこちにその歳月を見出すことができるように。少なくともあの古ぼけてしまったプール程度には僕もあちこちにガタがきていることだろう。

それでもここに帰ってくることができてよかった。偶然という名のイタズラに感謝している。

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by seikiny1 | 2006-06-09 12:45 | 旅のボヤキ
likeとwant。そしてjobとwork。
D:“I don‘t want to stay here, do you?”
(この町はよくないな、行こう。いいだろ?)
S:“I told you.”
(だ・か・ら、行く前から何度も「無駄足になるからやめよう」って言ってるだろ。だいたいここは目的地じゃないんだから)

D:“I like this room, don‘t you think so? Let’s  stay a couple of nights here.”
(この部屋いいねー、そう思わないか?あと2、3日ここに泊まろうよ)
A:“No.”
(あ・の・ねー、ほんのさっきまで「高いなー。でも疲れちゃってもう他をさがす気力ないよ。一泊だけここでいいだろ?」って言ってたくせに。なんで冷蔵庫と電子レンジを見た瞬間にそんなに変わることができるんだ?いい部屋だよたしかに。でもタ・カ・イ。あんたはいいかもしんないけど後でしわ寄せがくんのは俺なのよ……)

 僕は短い英語に長い日本語をこめるのが得意だ。
 砂漠の中を走り抜け、なんとかアリゾナ州フェニックスに着く。ニューメキシコ州のアルバカーキは急遽キャンセル。そしてこの町を来週の頭まで出ることができないことは昨日の朝にはわかっていた。どうやら、明日からの二日間を除いてまたもや無為な週になりそうな気がする。

一ヶ月が過ぎ、いまだに引っ張りまわされている。


「一番好きなことを仕事にしちゃけないよ」
 十数年前に言われた言葉。これまでも折に触れて思い出していたけれど、まさか砂漠のど真ん中で思い出す羽目になろうとは。この言葉を言われた状況、その人の顔までもが蜃気楼の中に浮かんでくる。
 聞こえてきたものはしょうがない。聞いておくことにしよう。
 そりゃあ、好きなことを仕事にできることは理想ではある。けれども、そうは問屋がおろしてくれない。
「大好きなことを仕事にしています。だからとっても楽しくて充実した毎日です」
 うん、うん。そりゃよかった。おめでとう。
 それでもかく言う人も百のうち百が好きであるはずはない。その仕事の本質が好きであるからこそ、普通では「いやだ」と思うようなこともこなせてしまう。なにかを我慢しているという意識すらないことだろう。それはあり余るプラスを持った<好き>が、<いや>の凹みを埋めてくれるから。
 ずっと好きなことをして生きてきた。きっとこれからもそうだろう。こんな僕でも「全てが好き」、と言い切ることのできる仕事を持ったことはない。たったの一度だけそれに近いものを手に入れたけれど、それですら先ほど言ったように穴ぼこに「好き」と書かれた砂利をドサドサと流し込んで平地にしながら歩いていたように思う。百分の百に出会うことはこの先もないだろう。出会いたいとも思わない。パッと見たかぎりでは平地に見えるそこも実はプラスの砂利で埋められている。だからこそおもしろいし、やりがいも出てくる。ただただ平坦な路を歩くのはなんの面白味も伴わない。

 生きていく上でlikeとwantは必要な言葉だ。いや、その言葉のために誰もが生きている。
 jobの中にlikeとwantをあまりにも露骨に出しすぎてはいけない。それができる人を羨望のまなざしで見る僕はたしかにいるのだけれど。それを出していいところ、そこはwork。

「許す」べきか「許さない」べきか。
 テキサスに来てから花が好きになった。これからは花びらをちぎりながら決めていこうか……。
大変です。


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by seikiny1 | 2006-05-30 13:19 | 旅のボヤキ
許す
 今日は再びサン・アントニオ。明日はテキサス最後の町となるエルパソへ向かいます。


「しょうがないな」
 ここのところそんな言葉が頭の中に浮かび、そして消える。多い時には数分おきに言葉が追いかけっこをくり広げて見せてくれる。

 僕は基本的に相手のプライベートに属するものを聞くのが好きではない。名前そして「パッ」と見た印象、あとはその後に積み重ねていく相手の歴史、ただそれだけがあればいい。それは自分がそういった材料で判断を下されることを嫌う裏返しなのだろうけれど。
 そういったわけだからだまされもすれば、苦い思いもする。学ばない人間とはこんな者を指すためにある言葉なのかもしれない。とにかく自分と相手の関係では「しょうがないな」と思う程度で済むことがほとんどなのでいいのではないだろうか。僕の人生のほとんどは「しょうがないな」でできている。たぶん幽霊には一番向かない性格だろう。
 ただ、そこに三人目が入ったときはまた別の話になってくるのだけれど。人間関係とは三人以上を指して言う言葉だと僕は思う。それがまたややこしく、だからこそ面白くもあるのだろう、きっと。

 偶然のことから、今一緒に仕事をしている相方の正確な年齢を知ることになった。想像していたものと十ほど違うことになる。人を見かけで判断するのはやはり難しい。彼は十分に敬われ、いたわれてよい年齢に達しているといっても決して言い過ぎではない。
 そして実年齢を知った次の瞬間に自分の中で変化が起こっていた。ある程度のことは<許せる>ようになっていた。これまでは彼の行動に時には腹を立て、時には力を落とし、また時には「コイツアホと違うか?」と真剣に考えていた。そんなことも同時にどこかへ流れてしまった。
 残った言葉が「しょうがないな」。

 そこで一段落つくはずだった。それだったらどんなに楽だったことだろう。しかし世の中そんなに甘くはないようだ。その数時間後には
「いや、待てよ『○○だから』」
 ○○の部分には様々な言葉が入る。誤解を怖れつつ書けば、
 -女、子供、年寄り、身体が不自由、頭が悪い、堅物-などなど。その気さえあればどんな言葉でもねじ込むことができる。これほど自分を納得させるには便利な言葉はあまりない。ただ、そのいづれの場合も自分だけひとつ高いところに立ったような気になってハンディ・キャップを持つ者を指しているような気がしてならない。
「しょうがない」
 その言葉の裏側には○○でなければできないことだってたくさんあるのに、そんなことは忘れてしまっている。

 便利な言葉:「○○だから」で自分を納得させることは、その時点で相手をひとつ低いものとみなし差別してしまっている。そうされることを嫌がる○○だってたくさんいるはずだ。それなのにこちら側で強引にそこに落ち着けようとしている。

「普通に見てよ」という言葉が聞こえてくる。
 もちろん「○○だから」こそ、いたわらなければならない点もあり、あちらがわも<そこ>にほのかな期待をいだいていたりすることもある。その辺の兼ね合いがとても難しく、ここのところ着地点を見つけようとしているのだけれどそう簡単に見つけることができるはずもない。

「許す」ことは「許さない」ということの何倍も難しいことだ。そもそもこういったことを考えてしまうこと自体、僕が差別意識のかたまりであるからなのだろう。いろんな人に会って、いろんな着地点を探していくしかない。近道なんてないはずだから。

 ただひとつだけ言えることがある。
 僕が一番嫌いな人間は○○の上にあぐらをかいてハナクソをほじくっているやつ。虫唾が走りどうしようもなくなってしまう。


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by seikiny1 | 2006-05-28 11:58 | 旅のボヤキ
“Morning!”
 陽射し。
 文字通り身体が陽に射(刺)されているよう。あぶられているよう。十日以上も華氏九十度を超える日が続いている。テキサスに入ってからは街中を自転車でまわっているのでこの暑さはかなりこたえる。モーテルを出る時には氷でいっぱいだったアイスコーヒーも、飲む頃にはホットコーヒーになっている。
 それでもフォートワースでの仕事はあらかた終わった。それなのに相棒の都合でここから動くことが出来ない。こちらでも刺されている。

 テキサスの人。のんびりとしているようだけれど、この地に射す日の光のようなものを感じることが多い。射られるようなまなざし。決して熱はないのだけれど。イタイ。
 東洋人を見慣れていないせいもあるのだろう。ニューヨークに比べて白人の率がかなり高いことを感じる。もちろん都市によってはメキシカンの比率がかなり高い、などの差はあるけれど、それ以外の人種をアマリ見かけない。
 特に男性の視線がイタイ。熱くないだけにイタイ。目が合ってこちらが微笑みを送っても、それを投げ返してくれる人はあまり多くはない。やはり「住む」ということになると僕たちにとってこの地は少しきびしいものがあるようだ。「お客さん」である間はまだ良い方なのだろう。

 それは蔑視なのか、それとも警戒なのか。閉ざされた心の中はうかがいようもない。街中を歩く人の数はニューヨークと比べものにならないほど少なく、そのほとんどがスーツを着込むか、ハイヒールを履くかしている。
「何かが足りない」
 やっと気づいたこと。それは若いアンちゃん、ネーちゃんがいないことだった。口の悪い連中に言わせれば「いてもいなくてもどうでもいいような連中」となる人々がいない。数十万、百数十万の人口を抱えた町の中心部なのにに彼らの姿を見つけることはとても難しい。スーツを着た町。ハイヒールで踏み固められた町。そんな中で有色人種(?)を見かけることもまた少ない。白い町。汚れのない(?)町。
 有色人種?
 彼らにも白という色がある。決して無色ではなく《白》という色が。白が無だと決めてかかっているのは彼らだけなのかもしれない。「白はどんな色にも染めることができる」、と言うけれど人間の場合、事はそう簡単ではないようだ。ただ、彼らの多くが「染まりたくない」、と思っている「染まらない」、と信じているだけなのではないだろうか。ニューヨークですらそれを感じることがたまにある。人種の混ざり具合の低い他所の土地ではなおさらのことだ。
 こんな風景を目にしていると、都会の条件に<人種の混合率の高さ>というものがはいるのもそう遠い日ではないような気がしてくる。

 先週末はサンアントニオにいた。二泊したモーテルの近所の看板はスペイン語で埋められている。。
 どこの町にいても移民が集まっているエリアはなぜかホッとさせてくれる。「同類相憐れむ」などと言う人もいることだろう。それでも彼らにしか、僕らにしかわからない<なにか>、そんな空気が流れ満ちている。呼吸をするとそれが胸いっぱいに広がり緊張がほぐれていく。だからこそニューヨークの街はやさしいのかもしれない。

 ホームレスの頃、空き缶のリサイクル場で口げんかをしているやつがいた。黒人が黒人のことを「ニガー」とののしる。
「どうして黒人同士なのにそんなことを言うんだ?」、彼は苦笑いをしながらも答えてくれた
「黒人には黒人にしかわからない事情ってもんがあるのさ」
 それは、日本人が。中国人が。朝鮮半島の人が。それぞれがそうであるのとも似ているのかもしれない。同じ肌の色をしている者同士の事情。
 色が同じでも、違っていてもそれは結局何の関係もないのかもしれない。色、それは単なるこじつけ、言い訳に過ぎないのかもしれない。ただ言えることは、世界は常に弱者を必要としているということ。


 数日前の朝だった。モーテルの朝はどこもあわただしい。それぞれが、それぞれの行き先に向かう。
 駐車場の向こうの方では親子連れのように見える二人が車に荷物を詰め込んでいた。ミニバンのルーフの上には荷物を入れるためのボックスがつけられている。よく見るとそれは手作りだった。新しい木目が日の光を照り返している。
 七、八歳くらいに見える男の子と父親はぴったりと息が合い黙々と仕事をこなしていく。父親のいでたちはと言えば、モーテルには不似合いな、しかしその爽やかさが朝の光に良く似合うチャコールグレーのスラックスとブルーのシャツ。どちらもきちんと折り目が入っているのが遠目にも良くわかる。なぜか、<古きよきアメリカ>そんな言葉を思い出させる光景だった。
 フロントにコーヒーをもらいに行った際、その二人連れとすれ違う。少し離れてはいたけれど、親子の口が合唱でもしているかのように
“Morning!”と揃う。父親とばかり思っていた男性は近づいてみるとどうやらおじいさんのようだった。お孫さんを連れての旅。この旅であの小さな二つの目は何を見、そして感じるのだろう。
 

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by seikiny1 | 2006-05-25 13:08 | 旅のボヤキ
窓のむこうは
 二日前にテキサス州サンアントニオに移動し、明日(5月21日)は州都オースチンへ向かいます。今回は近場で80マイル(130キロ)。

 シカゴからダラスへの移動中のこと。ミズーリー州あたりからハイウェイの周りに生えている木の形状が少しずつ変わってきた。テキサスではそのほとんどがオーク・トゥリーになる。
「なにかににてるよな」
その答えがサンアントニオへの移動中にやっと出た。

 間近に見た花よりも、どちらかと言えば車や電車の窓から目にしていたものの方が印象に残っていることが多い。それは窓の向こうに「アッ」という間に流れていってしまうからかもしれない。つかもうと思ってもつかむことの出来ない花たち。そうであるからこそ、そこにはいつもミステリーに似たようなものがある。
 それでも機会があれば手にとり、ゆっくりと眺めてみたいという衝動に駆られてしまう。本当はそんなことはしてはいけないのだけれど。流れ行くものは追わないほうがいいに決まっている。

 今の日本の状況ではほぼ不可能になってしまった。
 幼稚園の三年間、市バスで通園をしていた。路線バスだから当たり前の話だけれど、毎日お決まりのコースをたどる。僕の家から駅をはさんで大きなCの字を描きながらバスは三十分をかけて幼稚園へ、家へと向かう。Cの字の一番突端の部分にそれは咲いていた。春には一面がピンク色に埋もれる田植え前のレンゲ畑。田舎のバスはのんびりしたもので、ちょっと時刻表より早かったりすると時間調整のためどこかで数分間停まったりする。そのバスはいつも一番交通量の少ないレンゲ畑の前で停まっていた。バスを降りさえすればそれがなんであるかわかる。手にとることも出来る。それでもレンゲ畑はしばらくの間ミステリーであり続けた。駅前広場のしゅろの木の根元に広がっていた白つめ草もまた同じ。
 そのミステリーが現実になったのは自転車を乗り回すようになった小学生の頃。
「さわりたくて、さわりたくて。手にとってみたくて」しょうがなかった。親には内緒で、やっと乗れるようになった自転車をこいでレンゲ畑へと向かっていた。あんなに小さな花たちがその色で地面を染めてしまうことにびっくりしていた。そしてその<花>としての生命の短さにも。

 赤い草花を目にするとイタリアを思い出す。高速で走り抜ける電車の窓からはいつも真っ赤な、太陽の色をした花を見ることが出来た。ただ通り過ぎていくだけの花。チャンスがあっても決して近寄ることのなかった花。赤い花を見るたびにこれからもイタリアを、そこで過ごした日々を思い出すことだろう。
 花には手に取るべきもの、そしてただ遠くから見るべきものの二種類があるのかもしれない。この赤い花は僕の中では後者に属する。いつの日か手に取ることもあるだろう。それでも今はそのままにしておきたい。いつかその日がやってくるまでは。名前も知らないままでいい。ただの赤い花、それでいい。今はそういった場所がこの花に、そして僕にもあっているみたいだ。

 今進行中の花。
 シカゴでは郊外のいたるところを黄色に染めているタンポポだった。土曜日にモーテルのドアを開けるとどこからか気の早い綿帽子が迷い込む。
 サンアントニオに近づく頃、ハイウェイの中央分離帯にポツリ、ポツリと赤いものが目に付くようになってきた。それは小さな赤いバラのよう。そう、テキサスの赤いバラ。映画のタイトルどおりだ。

 深い、深いオーク・トゥリーの中を抜けながら考えていたことは、
「まるでブロッコリーの房の中を走るアリみたいだ」
 遠目に見るオーク・トゥリーはどれもブロッコリーに似ている。これから料理の彩りに添えられたブロッコリーを見るたびに僕はこの旅のことを思い出すことになるだろう。
 それがおいしいブロッコリーとなりますように。
 今はただのブロッコリー、それでいい。


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by seikiny1 | 2006-05-21 12:39 | 旅のボヤキ
白いエプロン
 テキサスはこごえるほど寒いです。とは言ってもここはモーテルの中。
 あれは道行く人の中にまだコート姿が混じっているシカゴでの初日だった。
「セイキ、俺さー暑いの苦手なんだ。ほら、生まれも育ちもシカゴだろ。寒いんだよ……」
モーテルにチエックインするや否や冷房をON。もちろんここテキサスでも判で押したようにまずエアコンへと直行する。つまみはいつも<強風>、<最冷>。最近、自分の中で季節感が麻痺していくのがうっすらとわかる。夏に長袖なんて着るのは生まれて初めてのことだ。それでも明日は何とかヒューストンからサンアントニオへ移動することが出来る。多分。ただ200マイルのドライブ。明日は仕事にはならないことは出かける前からもうわかっている。移動の日、彼はだめになってしまう。そしてあさっては金曜日。これまで、特に金曜日には落ち着いたためしがない。「このふたつをひとつに持ってくることで失う日がが一日だけになる」のだけれど。なにかタイミングが悪い。

 先週末はメキシカンフードを食べに行った。もちろんひとりで。ひとりで飯を食うのはそうきらいじゃない。
 週末にもかかわらず閑散としたレストラン。接客をしてくれたのは黒人の男性だった。彼のかけていた黒いエプロンは粉で真っ白になっている。色が白のせいなのか、まったく不潔感はない。もちろん神経質な人の中には顔をしかめる人もいるだろうけれど、僕にそんな神経はない。ていねいな言葉づかい。目つきや態度から彼の仕事に対する姿勢が伝わってくる。そんな彼の姿を見ているだけでこちらまでなんだかうれしくなってしまうから不思議だ。フレンドリーなのもいいけれどただそれだけで終わってしまい、ごまかされてしまった気分になることがある。そんなのに比べると「白いエプロンよ真っ白になってしまえ!」、と言いたくなるほど<働いている>ことを感じさせてくれる彼。

 たしかに客商売である以上清潔感は大事な要素のひとつだろう。ただ、それを重たがるあまりに本家のほうが留守になっていることのなんと多いことか。もちろん誰もが「汚れないように」、と気を使う。それでも汚れるものはしょうがない。
「一流の板前っていうものは手も、まな板も汚さないものさ」、と言う人もいるだろう。それでも僕は人間として二、三流のやつが作った一流料理より、まわりをとっちらかしながら一所懸命に作ってくれたサンドイッチのほうが好きだ。たとえパンの端っこからレタスがぶら下がっていようとも。

「こんな服汚れたっていいや」、と思った時に「プチッ」となにかがはじけることがある。
 きれいな洋服に身を固めて仕事をする人もいいだろう。それでも僕は黒のエプロンを真っ白にした彼、真っ白なつなぎのあちこちがオイルで汚れてしまっている整備工、白いスニーカーが油まみれになっているのにいつもニコニコ顔のウェイトレス、そんな人たちに惹かれてしまう。車の下にもぐりこむ。仕事をやりやすくするために、いい仕事をするためになんのためらいもなく地面に背をつけ、ひざを突く。一度やってしまえば実はなんということもないのだけれど、最初にそれをするまでがどれだけ大変なことであるか。
 ホームレスの頃のこと。人通りの激しいアベニューで空き缶を取るために初めてゴミ箱の中に腕を奥深くまで突っ込んだ。「プチッ」となにかがはじけた。そんな忘れかけていた感触を彼の白くなってしまったエプロンは思い出させてくれた。

 ひさびさのブリトー。ホットソースをたっぷりとかけ、頭の毛穴を開きながらおいしく食べることが出来た。どう考えても身体にはよくなさそうな食事だけれどたまにはいいだろう。しばらくは辛いものを食べるたびに彼のことを思い出すことだろう。
 きれいであるために、そうあり続けるためには泥水を飲む覚悟がいる時だってある。
 食事を終えて席の後ろを見てみると、そこでは黒人の親子連れが楽しそうに食事をしていた。この笑顔のためにお父さんも、お母さんも彼らのエプロンを真っ白にして働いている。





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by seikiny1 | 2006-05-18 14:49 | 旅のボヤキ
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