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by seikiny1
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2010年 04月 27日 ( 1 )
自由のビール
フリーマーケット。
どこかにそんな空間があることは知っていたが、
どんなものなのかイメージと現実がひとつにならなかった。
蚤の市。
言葉は知っていたけれど、
勝手にフランスの風を吹かせ、
どこかにしまいこんでいる。
フリーマーケットはFree Marketとして長い間ぼくの中に定着をしていた。
自由市場。

傍線で消されたFreeがFleaにとって変られたのはアメリカへ来てから。


それにしても「自由」と「無料」がひとつ言葉で表わされるのはおもしろい。
「無料のものだから自由に取れる」
そんなところなのだろうけれど、
日本人頭ではどうしてもがっちりとつながらない。

自由という言葉は明治期に作られた言葉らしい。
福沢諭吉の作。
自由という状態が存在しなかったから、
言葉が生まれなかった。

猫、ドア、茶碗、セックス、四次元、宇宙人……
見えるもの、見えないもの。
存在するもの、存在するらしいもの。
そんなもののすべては名前を持つ。
『ティファニーで朝食を』の主人公は猫に名前をつけない。
名前をつけることはネコの自由を拘束することになる。
そんなことを思っちたらしい。


その頃の日本に自由や自由という発想はなかったが、
無料というものは存在していただろ。
オカミからの下されものとして。


もうなつかしい光景になってしまった。
15年位前まではたまに見かけていた無料のタバコ。
新製品が発売されるとグランドセントラル駅周辺など、
人通りの多い場所で無料配布がされる。
何度も行ったり来たりを繰りかえす。
今そんなことをやれば世論の袋叩きどころか、
もしかすると逮捕されるのかな?

それでもスナック・バー、ガム、新聞、清涼飲料水……。
(清涼飲料水というネーミングもすごい)
この時期人ごみを歩けば無料のものによく行き当たる。
「ぜひ試してみてください……」
と笑顔で渡される。
お願いをされてしまう。
笑いながら鷹揚にうなずく。

なかには詐欺まがいの無料もあるが、
彼らが身をもって教えてくれるのは、
厳密な意味で無料というものがこの世に存在しないそのことだ。
哲学者・ソクラテスそのものだ。


同じ無料でも日本だと肌合いが少し違ってくる。

《開店2周年記念!定食を頼まれた方にビール1本を無料進呈》

「あのー、すいません……」
「ヘヘーッ」
どうしても恐々とありがたがってしまい胸を張れないでいる。
ありがたいような、申し訳ないような。
一方、お店の人は平坦な目で見てもどこかエラソーである。
威儀を正してなにかを下されるお武家様のようでもある。
そんな風に見えてしまうのは、
身体の奥深くに焼きついている江戸・百姓根性のせいだろうか。


さて、本当の意味でのフリーは日本に根づいたのだろうか?


知りうる範囲内では《居酒屋 革命》の焼酎は無料というよりも、
Free、自由の方に近い匂いがする。
少なくとも言葉の向こうに卑しげな笑みの気配がない。
もちろん商人である以上打算、勝算もあるだろうが、
これまでとは異質なものを感じる。


NYの日系フリーペーパー(無料紙)・バブルも落ち着きつつあるみたいだ。

見慣れた紙面に、見慣れぬロゴ。
Daily(日刊)がBi-Daily(隔日刊)になっていた。
植物を思わせるロゴを見ながら浮かんできた言葉は自死。
フリーペーパーのことではない。
自分のこと、周りのことを考えていた。



明治維新。
諭吉さんが自由という言葉を作ったときに、
無料という言葉をも自由に置き換えてしまっていたら……。
定食を頼みながら、
「あ、ビールもね。グラスは2つ」
と胸をはれていたかもしれない。


無料のビールは自由の味がするのか?
無料の焼酎は自由の味がするのか?


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by seikiny1 | 2010-04-27 08:23 | 日本とアメリカと
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