元ニューヨーク・ホームレスの眼
2010-06-02T08:18:36+09:00
seikiny1
ニューヨーク、街と人、そして……
Excite Blog
引っ越しました
http://seikiny1.exblog.jp/13395476/
2010-06-02T08:14:00+09:00
2010-06-02T08:18:36+09:00
2010-06-02T08:14:41+09:00
seikiny1
その他
今後の記事は下から飛んでください。
ニューヨーク狂人日記]]>
引越日和
http://seikiny1.exblog.jp/13385499/
2010-05-31T09:55:00+09:00
2010-05-31T09:57:15+09:00
2010-05-31T09:55:23+09:00
seikiny1
日ごろのこと
そんなわけで6年ほど路上に。
交通の便、住環境、家賃、ペット、家族、転勤……。
引越しには様々な理由がある。
差し迫ったものもの。
「そろそろ……」というもの。
「そろそろ……」と思ってはいても、
引越しの実際を想像するだけで気は重くなり先延ばし。
「そろそろ……」のほとんどは、住もうと思えば住めるから。
これまでに何回の引越しをしてきたか?
NYC→CHICAGO→LA→CHICAGO→NYC
大都市間だけで4回。小さなものを入れると両手、両足では足りない。
あの6年間をあわせると、あたりまえだが、2000回はくだらない。
ほぼ毎日が引越しだったから。
今日、引っ越しをする。
0円から0円へ。
とはいっても仮想空間上、ブログの引越。
アドレス(住所)も入れ物も変わるのだからこれも引越しだ。
シェルターに住むホームレスの口から「満足」という言葉は出ない。
無料ブログとはいえ、長く住めばアラも目立つ。
「隣の音がうるさい」、「ねずみが出る」、「シャワーが冷たい」……。
引越しと同様、「そろそろ……」レベルの文句ではあるのだけれど。
「そろそろ……」の腰を上げたきっかけは、友人がはじめたブログ。
早速コメントをしようとおもったら。
できない。
会員でなければできないということ。
そんなわけで会員になり、ついでにブログを作り試用すること2ヶ月。
釘も打てるし、ペットも飼える。交通至便。
住み心地も悪くはないので、「そろそろ……」の腰を上げた次第。
「そろそろ……」から3年がたっていた。
こんなところが、ぼくがぼくである所以なんだろう。
今日は晴れ。
月末でもあり、引越トラックがあちこちに停まる。
来る者あり、去る者あり。
散歩の途中、このところ探していた植木鉢を拾い、今日の引越しを決めた。
引っ越します。
エキサイトではみなさんに長らくお世話になりました。
5年半という歳月。あと半年で小学校の卒業証書。
登校日数のたらないときもあったけど。
ブックマークして下さっているみなさん、お手数ですが下記URLに変更ください。
今後ともよろしくお願いいたします。
NY狂人日記
*引越しで失うものは多い。
だからこそ、ぼくのように植木鉢を拾うニンマリ男もいるわけで。
エキサイトからアメブロへは記事の引越しはできないらしく、
今日までのものはこのままに。
まさに、身ひとつでFurnished Roomへお引越し。
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フェンスの向こうのアメリカ
http://seikiny1.exblog.jp/13380020/
2010-05-30T08:49:27+09:00
2010-05-30T08:49:22+09:00
2010-05-30T08:49:22+09:00
seikiny1
思うこと
覚えていないし、厳密な線というものは存在しない。
国境線じゃないから。
その、見ることのかなわない、国を仕切る線にしたところで、
幅に規定があるわけじゃない。
自然、その前後が緩衝地帯となる。
あやふやな、角のこそげた地帯。
バスで大陸を縦横断。
複雑な軌跡を描きながら。
あのピザに巡りあったのはどこのドライブインだったろう?
白い紙皿にのせられた三角形のピザにレッドペッパーをふる。
不思議な気持ちに包まれながら。
タバスコじゃなくレッドペッパー。
もう慣れてしまった。
不思議の輪郭が東へ向かうほどに明確なものとなっていく。
背景との境目が濃く、鮮やかな対比をなしていく。
さて、どこからを明確というのか?
それがNYのスタイルだった。
円盤状のカッターで直径50cm程のパイを放射状に切り分けていく。
ほぼ、均等に。
スライス。
途中の町までは小ぶりな1枚を頼まねばならなかった。
たったひとつの選択肢。
いつの頃からか三角形になったピザ。
スライス・ピザの文化。
よくも悪くも、この街では個人個人が独立していることの露れか?
選択肢、オプションのある街にて。
Papa John's Pizza
全米をおおう巨大ピザ・チェーン.
そういえば、最近ではLittle Ceasersを見かけない。
"Thank you, Thank you. Pizza, Pizza"というCMが好きだったのに。
行動半径が変わってしまったからなのか。
そんなPapa John'sですら、
NYのフランチャイズでは例外的にスライス売りをする。
さて、ハドソン川という幅広な境界線の向こう、ニュージャージー州ではどうだろう。
NYのベッドタウン化したホーボーケン市あたりではスライス売りをやっているかもしれない。
いや、あそこはイタリア移民の町。
フランク・シナトラの故郷。
Papa John's自体がないかも。
カフェ文化の遺るヨーロッパで、スターバックスを見つけるのが困難なように。
10日前のメールで知った《食の境界線》という言葉。
ボンヤリと言葉の残る頭、本の途中で立ち止まっていた。
斎藤緑雨『ひかえ帳』ページのはざまで。
「……コロッケ蕎麦といへるを、花屋敷のよし田にて出したり……」
明治31年。
思考停止のキーワードは明治ではなく、コロッケそば。
そんな魑魅魍魎(ちみもうりょう)のような食べ物が存在するなど想像だにしたことがない。
気になって検索をすると関東ではごく普通の食べ物らしい。
(昨日、再会した東京出身の友人に訊いてみると、
「あ、ある、ある。大学の学食にもあったかなー」、当然のような答えが返ってきた)
帰国時の拠点となる小田急線。
駅そばの『箱根そば』にもあるらしい。
次回は是非食べてみよう。
そういえば東京でそばを食べたのは数回しかないな。
その時、浮かんでいたのは
《食の境界線》ではなく、昨今よく聞かれる《ご当地グルメ》の方。
検索を重ねるうちに、《食の境界線》の方が濃くなっていく。
石川くん(枡野浩一さん表現)はふるさとの訛が恋しくなると、
停車場に足を向けたらしい。
NYにあるボロアパートのキッチンで、蕎麦にコロッケを浮かべる人もきっといるのだろう。
初帰国の時。
電車が故郷に近づくにつれ濃くなっていく地元のなまり。
歯切れよく、しかしベッタリと付着してくる。
流れ去るくたびれたホームを目で追いながら、
眠っていた方言が背伸びをして目覚めていくことを感じていた。
幅広い線。
静岡へ入った途端にコロッケ蕎麦が消えることはないだろう。
神奈川県のどこかの町では存在さえしないかもしれない。
線の幅は思いのほか広く、
Fade OutそしてFade inを繰り返す。
嵐の気配が残る港から乗ったバス。
高2の時、はじめての沖縄。
返還から日の浅い島は日本というよりも映画を見ているような不思議な街だった。
Budweiser, PEPSI.……乱雑に重なりあいながら調和をする、英語の看板で埋め尽くされた国際通り。
原付バイクにふたり乗りするノーヘルの若者は、歩道に乗り上げてバスを追い越していく。
混沌。
今、思うとそんな言葉がはじき出されてくる。
無秩序の中でかろうじてとれているバランス。
フェンスからは間違いなくアメリカがにじみ出してきていた。
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雷雨、月をつかみに
http://seikiny1.exblog.jp/13370625/
2010-05-28T08:27:00+09:00
2010-05-28T08:48:48+09:00
2010-05-28T08:27:50+09:00
seikiny1
日ごろのこと
あるべきものが見つからないのはきもち悪い。
別に、あるべき場所になくってもいいけれど。
自分のものであれば、またいつかどこかで。
大抵の場合、なんとか気持ちを抑えつけることができる。
昨日からCup Noodleが食べたくて。
ビールを空にして出向いた近所のスーパーにはない。
いや、BEEFとCHICKENはあるんだが。
食べたいヤツがない。
思い描いていた絵が破れていく。
悪魔の囁き。
「Chilli Limeはおいしいよ」。
たまにではあるけれど、悪魔に魂を売るときがある。
まさに昨夜がそんなときだった。
ちなみに昨夜は満月の一日前、そんな夜だったせいか。
結局はビール4本の勢いで、
「ま、いいか」
と、いさぎよい。
しかし、
月の軌道と同期するかのように大きくなる一方の妄想。
「よし、あしたは誠心誠意さがしてみよう」
気持ちを寝技で押さえ込み、夜が明けてからのルートを考えてみる。
蒸し暑い……。
サンダーストームの予報に変更をした予定。
今日は傘を持って歩く気がしない。
かといって、レインコートでは心もとないし。
昼過ぎからのお店廻り。
4軒のスーパー、2軒のファーマシー。
それはともかく、
どうしてアメリカの扇風機って涼しくないんだ。
勢いはあるが風が細い。
2年前か、3年前か。
定かじゃないが見たことはある。
しかも徒歩5分にある昨夜のスーパーで。
似たようなものが数種あり、
TABASCOロゴが入っていたり、唐辛子マークがかわいくカーブしていたり。
あの日買ったものにはTABASCOの小さな袋が入っていた。
今ではCHICKENとBEEFだけ。
PORKすらもない。
その上、棚占有率でライバルに完敗。
MARUCHANの半分ほどの量しかなく、以前と立場が逆転している。
お見合い結婚の前後みたいだ。
問屋筋との取引なんてのもあるだろう。
その上、ここ数年、このエリアの白人率の上昇は凄まじい。
プエルトリカン、黒人たちが駆逐され、
白人たちが「わが街を!」と社会活動に元気がいい。
以前、殺風景だった商店街が今ではトレンドとしてテレビや雑誌に。
健康オタクの多いこの人種にとってCup Noodleなんてのは、
ノン・スモーカー vs スモーカー
そんな図式にも似ているのかもしれない。
公式だと、
Ramen Noodle=貧乏人
そんなのもある。
ニューヨークのレストランではここのところRamenブームだが、
それとインスタントはまったく別の世界にいまだにある。
それよりも出されたラーメンはすぐに食って欲しい。
ま、日本でもインスタント・ラーメン文化は独自世界を築くが。
実はこのChilli Lime味。
アメリカ西海岸の人が教えてくれたもの。
《食の境界線》というのがあるらしい。
そこを超えると、
天ぷらにはソースであったり、天つゆであったり。
赤飯に砂糖を入れたり。
そんな線。
もしかしたらCup Noodleにも境界線?
結果は、昨夜よりはマシというものだった。
マシという価値観はどこか悲しいね。
なぐさめられてるみたいで。
妥協。
Spicy Chilli ChickenとShirmp Picante Styleで手を打つことに。
こだわりを質に入れ安楽を手に入れる。
こだわりと。そして妥協……。
「こだわるっていうのは、結局、楽に生きるってことなんだよねー」
ミッキー・カーチスさんの声が聞こえてくる頭をふりふり帰途へ。
遠くで雷が鳴り出した。
月が見れない。
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がらんとした部屋
http://seikiny1.exblog.jp/13365839/
2010-05-27T08:20:39+09:00
2010-05-27T08:20:35+09:00
2010-05-27T08:20:35+09:00
seikiny1
思うこと
通勤の途中で。
ちょっと前までは、どの友人の部屋へ行ってもあったもの。
木製のカセット収納箱。
長方形の仕切りの中には60本以上のカセットテープが収まる。
デリ・カウンターの右袖にあるプラスチックケース。
生テープのパッケージが変わっていることがある。
本数も増えていたり、減っていたり。
ある程度の需要はあるんだろう、どの程度だかは知らない。
「ヒーッ!」
日本から来たSさんは、悲鳴にも似たうめき声を飲みこんでいた。
「好きなんだよねー、カセットのジャンクな音がさー」
15年前のタワーレコード地階。
あの日、彼女は何十本のテープを買ったんだろうか。
今でも聴いているんだろうか。
今でもカセット・ウォークマンをバッグにつっこんでいるのか。
買いだめをしていても不思議じゃない。
ここ数年よく見かけるゴミ。
道ばたに「ゴロン」と転がるブラウン管式モニター。
NYではまだ一般ゴミとして捨てることができるらしい。
LCDモニターの登場は、四半世紀もの間、窮屈だった机を昔にもどしている。
すこしばかり紙類が減ったが、その分増えているものもあって、おあいこ。
キーボードだっていつまであるかはわからない。
10年後のぼく達は、机の表面を軽くタイプしているだけかもしれない。
マウスだって。
いや、モニターだって、
オフィス・ワーカーのすべてが変な眼鏡をかけている光景が浮かんできた。
テレビ台という家具はもうそろそろ消えうせるだろう。
電子書籍が普及すれば、50年後の家庭から本棚は消える。
紙の本に固執する現代詩作家・荒川洋治さんですら、
「紙の本は消えてゆくでしょう。しかも思っている以上のスピードで」と語る。
2人で、3人で……。
囲むのはアルバムよりも、モニターであることの方が多くなってきた。
写真中の人すべてが過去となったとき、
アルバムを囲む光景はセピア色に包まれる。
iPodが出て数百枚のCDを中古屋の手にゆだねた友人。
驚愕の目で見ていたが、あれから日本の政権は何回変わったのか。
紙の本が消えてしまえば、《文庫本サイズ》なんて言葉は意味をなさなくなる。
実際にNY Times, Wall Street Journal……相次ぐ新聞の小型化で、
《新聞紙大》という言葉は死語となった。
道ばたで転げるモニターを見るたびに重なる映像。
そこもまた道ばた。
友人宅への途中で見かけた旧式(氷式)冷蔵庫。
大型金庫を思わせる鉄の塊がゴロリ。
半ば開いている2枚のドア。
2ドアより、1ドアのほうが新しかった時代。
日本へ帰っても氷屋さんなんて見ない。
本棚、CDラック、ステレオ、テレビ台、机……
部屋の中が空っぽになってゆく。
残るのはなんだ?
根本的な食の変化で電子レンジ、冷蔵庫が消えていないとは言えない。
皿やカップだって。
人々が裸で歩いていてもおかしくない。
家に住むという習慣すら消えているかもしれない。
美徳だった大量消費は50年を経て悪徳となった。
「男の美学」といわれた喫煙は、今では非難の対象だ。
たしかなことなんて何もない。
本を手に持つ、たしかな感覚が失われてゆくように、
この先、現実界のぼくたちはどんどん非・仮想現実の中に身を置くことになる。
「非現実界に棲むやつら」
弥次さん、喜多さん。
2時間半で東海道を駆け抜けるぼく達にそんな目を向けていることだろう。
非現実界に住もうと、ずっと羽ばたいてきた。
「なんだこりゃ……!?」
寝ぼけまなこの先に広がる異様な光景。
この部屋も。あの部屋にも。
転がるカラフルな巨大芋虫たち。
常夜灯に目を凝らすと、寝袋に眠る人、人、人……。
20年前のある日、友だち数人がシェアする日本の旧農家に泊った時のこと。
この家にはベッドというものがなかった。
100年後のぼくたちは眠ることすら必要としていないかもしれない。
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きゅうり
http://seikiny1.exblog.jp/13361090/
2010-05-26T08:49:33+09:00
2010-05-26T08:49:30+09:00
2010-05-26T08:49:30+09:00
seikiny1
アメリカ
シャツ1枚で、朝、家を出る。
ヒンヤリが心地いい。
ぬか漬けを仕込む気になったのは、
チャイナタウンにある八百屋でキュウリを目にしたから。
「ポリポリ、コリコリ」
頭の中で音が鳴る。
キュウリそのものは年中あるのだけれど、
日本のキュウリを見かけるのは夏の間だけのこと。
もちろん日系スーパーへ行けばいつだってある。
買わない。
「身近にある季節感は……」
考えてみるとそれほど多くはない。
スーパーの青果売り場を歩けば、
茄子、メロン、ぶどう……。
どれも年中あるし、真冬に特売をやったり。
今、いまを感じられるのは。
アメリカン・チェリーがあった。
もうしばらくすると、ゴロリとスイカが棚を占める。
文明が駆逐した最大のものは季節感かもしれない。
もっとも「不便なものを便利に」、
これが文明の原動力だから仕方ないわけだけどね。
すべては取り引き。
俳句や短歌のルールには詳しくない。
それでも、昔からある季語で今も通用するのはどれくらいあるんだろう。
そういえば週末に放り込まれてたス―パーのチラシ。
見出しは星条旗柄でデザインされた
MEMORIAL DAY SALE!!
コーン、ソーセージ、スペアリブ、ハンバーガー・バンズ……
BBQ材料たちの写真が並ぶ。
アメリカで歳時記を作るとしたら、夏の部トップはBBQだろう。
次の週末はあちこちからくすぶる炭の匂いが、
楽しげな笑い声とまじる。
カレンダーの上ではこの日が夏のはじまり。
9月のレイバー・デイまで。
朝、パブリックスペースに座っていると。
「ぺたっ、ぺたっ」
女性が近づいてきて座り、そして立ち上がった。
「カツッ、カツッ」
ビーチサンダルからヒールにはきかえ小さくなっていく後ろ姿。
夏の風物詩。
冷房の効きすぎた電車の中、
スーツのスカートの下に伸びる足先がビーサンであることは多い。
不思議なのは、日本だとこれが逆になったりする。
通勤はハイヒールで、社内でスリッパばきの人は多い。
どっちを舞台にするか。
認識の違いなんだろうか。
ビーチサンダルかイヒールにはきかえるとき、
彼女たちはどんな気持?
やっぱり、キリリと引き締まって、
背筋が伸びたたりするんだろうか。
柔道着の帯を強く締めたときのように。
陸上スパイクのひもを結んだ時みたいに
男はネクタイなのかな。
残念ながら、ぼくは結び目を首元に上げてもズルンとしたまま。
スーツは着ないし。持ってない。
ただ柔道の帯でわかるように、
身体の一部の刺激が気持ちのスイッチを動かすことはある、
道具に頼りきってしまうのはいいことではないけれど、
うまくつき合うのは構わない。
自分で制御できる便利ならば。
さて、どうしたら切り替わるんだろう。
探しちゃいるんだけど、ツマミが見つからない。
電器屋にも売ってない。
唯一見つかったのはビールだが、
困ったことにこのスイッチ、逆方向にしか動かない。
とにかく、このまま、夏でありつづけますように。
早く長袖をしまいたいんだ。
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我が心のインスタント
http://seikiny1.exblog.jp/13356570/
2010-05-25T10:33:55+09:00
2010-05-25T10:33:56+09:00
2010-05-25T10:33:56+09:00
seikiny1
日ごろのこと
昨夜と同じページを読んでる。
ざるそば、インスタントラーメン、トマトソースのパスタ……。
どれもめんどくさい。
冷凍ピザ。
昼食はピザだった。
本にはいりこめない。
活字のうわべをすべるだけの目に脳は空転をつづける。
チャーシュー、千切りキャベツ、ワカメとキュウリの酢の物、冷奴。
小さな余白を作り、夕方から食べたものを数えててみる。
ビールを飲みながらポツリ。
ポツリ。
そんな食べ方だとどこかに行っちゃうのか。
冷凍庫の中にご飯はないし。
いまから米をとぎ、炊き上がりを待つ気なんてさらさらない。
大量のネギと海苔をぶちこんだ納豆丼が何度も浮かんでは消えてゆく。
スニーカーのひもを結んで何かを買いに階段を下りるなんてのは論外。
午前2時の空腹。
おなかが落ち着けばすぐに眠ってしまうだろうし、
身体によくないことだってわかってる。
それでも止められない、止まらない。
ONアンドOFFでたっぷり30分は考えていた。
冷蔵庫の中を覗き込んではため息をつき、
本にかえる。
あくびをしながら戸棚の巡回をし、
寝ている猫の横にしゃがみこみヒゲの後ろをかいた。
活字を追いながら様々な可能性の模索。
冷蔵庫にねむる竜田揚げをこの時間に食べる勇気があればいいんだけど。
ページを繰りながら、
水色の大きなキャップが浮かび上がり、まわって、定着した。
ピーナツバター・サンドイッチ。
分厚く食パンに塗ってもう1枚を重ねる。
できれば片方にはグレープ・ゼリーを塗りたいんだが……。
ないんだ。
冷たいビールが喉をおチルノと同時に、やっと活字が脳に届きはじめた。
もちろん寝る。
もう。
朝、目覚めて味を見てみる。
昨日仕込んだぬか漬けがちょっとしょっぱい。
アイデアは突然湧いてくるもの。
竜田揚げとぬか漬けで作るサンドイッチもうまいかもしれない。
昼、誘惑。
屋台というのは匂いを流すのも営業のうちなんだろう。
抗いたい誘いをねじ伏せる。
今夜はカレー味のチキンを食べるのもいいかもしれない。
「ジャックです」と手を差し出す日本人だって
午前2時の空腹に、
ピーナツバター・サンドイッチを思い浮かべることはないような気がする。
さて、今夜は。]]>
スゴロク
http://seikiny1.exblog.jp/13351002/
2010-05-24T08:31:00+09:00
2010-05-24T11:05:57+09:00
2010-05-24T08:31:07+09:00
seikiny1
思うこと
小学1年生。
親指の爪下に刺さった鉛筆の芯。、
そのままにしていた。
どうやって刺さったのか、
抜かなかったのか、抜けなかったのか。
わからない。
いつかくるだろう、思い出す日が。
意外と元気そうでよかった。
あごひげが伸びているものの、きれいに刈り揃えられている。
白いものの多さから年齢を数えてみたり。
2週間前にアパートを失ってしまった隣のオジサン。
玄関の前で偶然にいきあった10分後に、
ぼくはパリにいた。
「明日あたり、プリペイドの携帯を買おうと思ってんだ。
次は電話番号教えるよ。
あ、そうそう。この間電話したんだぜ。電源切れてたみたいだけど……」
連絡手段を失するのは家をなくすより怖ろしいことなのかもしれない。
今の世は。
部屋の鍵を開けながら思い当たる。
路上にいるとはいえ、なんとか目処が立ちそうなんだろう。
元気な姿を前にして頭が回りきっていない。
「風呂は……?」
どうしているんだろう、清潔そうには見えたが。
目の前に広がるのはぼく自身のホームレス最終期。
真冬のある日、Nさん宅でシャワーを使わせてもらった。
イーストビレッジの外れに20年近く住んでいる。
かつてはアルファベット・シティーと呼ばれ、
貧困層の住む危険地帯だった。
その外れにあるアパート。
日本からの友だちの地図にドクロマークが書かれていたのは昔のこと。
ある人と会うため、その日ぼくはどうしてもシャワーを浴びなければならない。
真昼の暗い階段の壁で蛾が眠っている。
今でも白熱灯だろう、5年後も間違いなく。
芸術的と言えるほどに幾層にも落書きが重ねられたドア。
5組の錠が拒絶する。
懐かしい間取りだった。
台所の真ん中にあるシャワー。
円形に囲むアイボリーのビニールカーテン。
こんなアパートも最近のニューヨークではなかなかお目にかかれない。
フィレンツェのホテルにあった半畳ほどのガラス・キューブ。
この部屋のシャワーは隅にあった。
裏窓は架けられた絵のようにどこまでも波打つ赤茶けた瓦。
引きずるようなノックだった。
ぬるい大瓶のビール片手にドアを開けると、
「共同シャワーの水が出っぱなしだったよ」と翳りのある顔でオーナーは言う。
そんなはずはないんだが……。
ミラノの安宿、客はぼくだけ。
蒸し暑いパリの商店街入り口で見た蝋細工のようなパック寿司。
それでも「食べたいな……」と訴えてくる何か。
この手のマズそうな寿司を最初に見たのは、
スキポール空港のコンビニでのこと。
ヨーロッパに到着しMarllboroを買いに行った時だった。
ローマの繁華街にはNew York Pizzaの看板。
日本でSUSHIの暖簾を出すようなもんだ。
中国で日式鍋貼か。
モンゴルでジンギスカン鍋か。
冷えたビールがを探しに夜中のブリュセルの街へ。
どの国へ行っても頼みの綱はマクドナルドあることを知る。
なぜかハイネケン。
紙コップで飲む生ビールはあまりうまくない。
夜遅くに着いたニースで飛び込んだのは、
閉店間際の日本レストラン。
鉄板焼の店だった。
なぜか鉄火巻きが出てくる。
うまい。
それにしても、どうしてこの手の店をアメリカでは
HIBACHIと呼ぶようになったのだろう?
火鉢に鉄板なんかはのせない。
網だ。
誰が名前をつけたんだ。
名前はつけるものなのか、つくものなのか。
最初の衝撃はカリフォルニア・ロール。
24年前、ニューヨークにて。
リヨン駅から外へ出るとスト。
バスも地下鉄も動いていない。
仕方がないので山の中腹にあるユースまで歩く。
挫折。
暑さと重さでバックパックが腰の中心にこない。
大きなホテルに入りタクシーを呼ぶ。
夕暮れの、十分に湿気をたたえた古い町並みは美しく、
どこからか聞こえてくる生ギターは今も甦る。
ゆで卵入りのサラダ。
まるでスゴロクのように紐とけてゆく記憶。
未来へサイを振ってみようか。
オジサンの風呂はぼくをヨーロッパへと連れていってくれた。
スゴロクにはあがりがある。
オジサンにも、ぼくにも。
右手だっか、それとも左手?
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カポネと散歩
http://seikiny1.exblog.jp/13341310/
2010-05-22T10:47:00+09:00
2010-05-22T11:30:28+09:00
2010-05-22T10:47:21+09:00
seikiny1
日ごろのこと
足を向けてみたブルックリン植物園。
桃、白、黄色、赤、紫……
バラ園は不思議なマーブルに埋れる。
先週は一面の緑だったのに。
1週間は重い。
とはいっても、1年の1/52もあるわけで。
来週末までは瑞々しい色と鮮やかで濃い香りが無作為に混ざりあう。
閑散とした平日の植物園での皮膚呼吸。
大通りをまっすぐいけばいい。
それでも往きも還りも別々の裏道を通って。
とりあえず、ふんだんな時間だけはある。
「何か落ちてるかもしれない……」
そんな期待も片手に。
拾った。
いや、拾われた、かな。
「1980年モデルの車はヴィンテージと呼ばれる。
ぼくはいつから……?」
次第に影の長くなる裏道、そんなことを考えながら。
ゴミ袋を手に出てきた男性と目礼を交わし、
ヴィンテージ化する自分について考える。
(ん……!?)
声が。
誰だ?
「あなた日本人?」
右横に目礼を交わしたばかりの男性が歩いている。
と、いうことで1ブロック半ばかりのおしゃべり。
彼はヴィンテージ。
30年近くこのエリアに住むという。
今ではニューヨーカーに「一番住みたい」と言われるエリアに。
そんなニュースを聞くたび、こちらは家賃値上げの恐怖にかられるのだが。
みんなに嫌われてたって構わない。
かつてはイタリア人街であったこと。
3ブロック西にはアル・カポネの生家。
100年ばかり前、ぼくの家の裏にある小学校に通っていた優等生。
労働者の街であったこと。
遅い船で到着した貧しい白人たち、そしてプエルトリカン、黒人……白人。
時代の陽射しと翳、町の織りなす歴史のひだ。
名乗ることなく、訊くこともなく。
彼は7番街を南へ折れていく。
また逢う日まで。
Ciao!
アル・カポネ。
彼の生家のあたりを歩き、小学校の前、建物を見上げる。
大通りに出ると、車にも人にも普段よりエネルギーを感じる。
あの初老の日本人は本当に隣を歩いていたんだろうか?
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抑止力
http://seikiny1.exblog.jp/13335969/
2010-05-21T05:30:23+09:00
2010-05-21T05:30:30+09:00
2010-05-21T05:30:30+09:00
seikiny1
日ごろのこと
歩道からおりて数歩のところ。
信号は赤。青になると白になる。
エンジン音が大きくなって、小さくなる。
信号が白に。
横断歩道と平行に引かれた白線で立ち止まる車。
たまにはみ出るヤツもいる。
それでも、ほとんどは行儀よく地面に描かれた印で立ち止まる。
もし、白線がなかったら……。
車たちは横断歩道近くまでにじみ出てくることだろ。
人に節操というものはあまりない。
10年ほど前、耳にしたこと。
「どうせひかれるんだったら、横断歩道の枠内でやれ」と。
内と外では補償金の額がまったく違ってくるらしい。
そんなことが、どこかにひっかかっているのか、
ぼくは横断歩道の真ん中を渡る。
1本の線。
踏み越えるにはなんの物理的障害はない。
アメリカでビルの屋上へ出られるところは少ない。
ほとんどの場合、堅牢な錠がおりている。
日本だと、
涼みに出たり、
月を見に上がったり、
仕事をサボったり、
ビールを持って花火見物をしたりできるのに。
もちろん宙に身をまかせることだってできる。
そこにあるのは申しわけ程度のフェンスばかりなのだから。
鳥籠の中にいるようなエンパイアステート・ビルの展望台。
そんなところからだって、たまに鳥になる人はいる。
大切なのはそこに線があるか、ないか。
一拍という時間は短く、長い。
垣根なんて、
塀なんて、
門なんて、
簡単に乗り越えるこができる。
戦国時代の濠や城壁とは違う。
それでも、人々は築く。
肉体を拒むものとしてではなく、
あいつの、そして自分の脆弱な精神を映し出す鑑として。
塀の上を歩く猫たち。
さて、ぼくを抑止しているものはなんだろう?
いいことなのか。
それともわるいことなのか。
とりあえず抑止力を振り払い飲みに行こう!
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方便
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2010-05-19T09:41:19+09:00
2010-05-19T09:41:23+09:00
2010-05-19T09:41:23+09:00
seikiny1
思うこと
トイレへ行くために灯りをつけると、30度ずつほど頭をもたげる。
台所の椅子の上で。
脱衣かごの上で。
ソファーの上で。
フロアマットの上で。
「なんだ?」
「あ、そう」
「~……」
半開きの目をぼくに向け、それぞれの納得。
ゆっくりと、あるべき場所へと頭が埋まっていく。
ここで眠らないときはどんな夜を過ごしているんだろう。
毎晩、同じメンツであることはない。
10匹ほどのネコくんたち。
はじめの頃は小さな物音を立てただけで、
ロケット花火のように消えていっていた。
いまでは、それぞれが、それぞれの場所を見つけ、
本能の軸足は警戒から休息へとシフトしている。
週に2度ほど駅近くで行き会う人がいる。
朝、駅を出る彼。向かうぼく。
黒いスーツケースを引きずる日本人。
先週の水曜日、初めて微笑みかけてみた。
すれ違う5m手前で。
2m。
口元の照れくさそうな笑みで返してくれた。
ネコくんたちとの関係もこんなものと似ている。
警戒、氷解、そして安心。
たとえ、名も知らぬ草が相手であっても。
去年はちょっとうれしい出来事があった。
1年半。
よく顔をあわせる人がいる。
同じ場所で、同じ時間に。
どうしたわけか、ぼくの姿をみとめると斜め上方45度に顔が向く。
そっぽを向く、とも言う。
ま、生理的に合わない顔なのかもしれないし、
ぼくの過去に否定的なのかもしれない。
人間嫌いなのかもしれない。
ただ、そこを見るのが好きなのかもしれない。
いつも微笑む。
たまに声を出し、少しだけ頭を傾けてみたり。
斜め上方45度。
別に、相手の態度が気に入らないからとかではなく、
意地悪してるわけでもない。
ただ、よく会う人だからあいさつくらいしなくちゃね。
名前は知らない。
素性を知もしらない。
これはぼくの物差し。
気のすむようにやっているだけ。
意地になっていたわけではないけれど、
正直なところ、ゲームと似たような感覚が出てきたことも否めない。
ある日の夕方、ニッコリと笑顔が還ってきた。
冷麦の中に緑色の麺を見つけたような気分になる。
そこに至るまでが1年半。
微笑を交換するだけでなにをするわけでもなく、
地下鉄サービス低下の話をするわけでもない。
ただ、顔を合わせたら微笑むだけ。
まったく、なにをやっているんだろう。
言葉は方便に過ぎない。
相手が未知の言葉しか操ることができなくても。
目が、耳が、口が不自由でも。
人間界以外の生き物であっても。
いや、もしかしたら椅子だって、靴ひもだって、枕だって
時間さえ与えてくれれば届く。
どう解釈をするか、どう返してくるかは別として。
ただ、手っ取り早く伝える道具として言葉があり、
時としてそれは音楽であったり。
絵画であったり。
ダンスであったり。
すべては方便。
それでもカタチを渡したいときがある。
カタチとして持っておきたいことがある。
ただ、本棚を見上げるように。
時々「ありがとう」を、しっかり言う。
無口なぼくだが、口を、舌を、のどを動かし、カタチにする。
たとえ相手が身近な人であっても。
いや、そうであればあるほどに。
そんなときの「ありがとう」は、
ライターを拾ってくれた人に向けるものとは少しだけ違う。
午後7時15分
左から感じる何か。
宙にある冷奴を皿へ戻し、ご飯をあげるために窓へ近づく。
慌てて非常階段を3段ほど降り、
心配そうな顔で様子をうかがっている3匹。
この絶妙な距離感。
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年に1度の常連
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2010-05-18T08:16:00+09:00
2010-05-18T10:22:06+09:00
2010-05-18T08:16:45+09:00
seikiny1
日ごろのこと
「1年に1度だけ」と決めているわけではないけれど、
結果的に1年に1度となり、そんなことが続いている。
最初に入ったのは夕立から逃れるため、5年前だった。
人ごみは大嫌い。
そんなぼくでもこの日だけは、
自らすすんで一片のゴミとなる。
毎年、近所で開催されるBrooklyn Fifth Ave. Festival。
地元の縁日のようなもの。
イカ焼きや金魚すくいはないけれど、シシカバブ―や射的がある。
毎年つまむ手巻き寿司。
今年はネギハマではなくただのハマチ巻。
$3.00也。
もう1軒の<日本人が経営する>日本レストラン。
周囲の派手さに飲まれて、毎年、引っこんで見える。
あやうく見落とすところだった。
店主の奥さんらしき女性の発する
"SUSHI!"、"COLD SAKE!"の声もあっという間に人ごみが吸いとっていく。
銀行近くでは今年も20台近くのビンテージ・カーが勢ぞろい。
「1932年型 ポンティアックよ。私のなの」と、道行く人に微笑みかける老婆。
去年も出品されていた黒色の1959年型 トライアンフ:TR3A。通称<トラサン>。
1980年型 オールズモビルを発見し、
いつの間にか1980年がそっちの時代に属するようになったことを知る。
そういえばNYのオールディーズ局:CBS FMからも、
最近はぼくが過ごした時代の曲が流れるようになっている。
Oldies But Goodiesか?
アニマル・シェルターのブースには、
里親を求める猫たち、犬たち。
今年も人だかりがするのは仔猫たちのケージ前。
たまに立ち寄るバーの前。
The Tru Britというバンドが今年も演奏をしている。
青シャツにユニオン・ジャックのネクタイというお揃いのいでたちで、
ストーンズ、キンクス、ビートルズ、フー、ゼム……
British Invasionと呼ばれた1960年代イギリスの名曲ヒットパレード。
拳をふり上げながら踊り狂う60近い男性の姿までが去年と同じだ。
新聞、銀行の勧誘。
サングラス、アクセサリー、工具、Tシャツ、寝具、アンチック……。
レモネード、焼きトウモロコシ、タイ料理、ホットドッグ、チーズステーキ・サンド……。
実演販売、あちこちで連呼される商品名……。
炭火の煙、炙られる肉の匂い……。
1時間かけて20ブロックほどの歩行者天国を蛇行し、
終り近くにある喫茶店に寄る。
$1.50のスモールサイズ・コーヒーを紙コップで。
いつもの小さな店。
最近では珍しくでWiFi設備(無線LAN)がない。
過剰な人だかりもなく、ゆったりと本が読める。
違っていたのはカウンターの向こうにいる人くらいのもの。
背の高い寡黙な男から、
健康的な笑みを浮かべる2人の若い女性へ。
時折り抱き合いながら話をするのは、ゲイだからだろうか。
どうでもいい。
今年はすぐに座ることができた。
そういえば、年々アイスコーヒーを頼む人が増えてきている。
ラップとしては比較的落ち着いた曲を背景に本を広げる。
いまひとつ。
音楽と読書がしっくり噛みあわず、開高健の世界に半歩ほどしか入っていけない。
「こんな音楽にはどんな本を持ってくればよかったんだろう?」
ビートとたけし?村松友視?万能薬の東海林さだお?
いや、この広い世界、
ラップで開高健を読む人もたくさんいるだろう。
そこから生まれてくるものは、ぼくには想像もつかない世界かもしれない。
錯覚……。
本から目を上げて考えごとをしていたら、不思議な気分に包まれていた。
今、この時。
1年前、2年前のこの場所に自分が移されても、
きっと何の違和も感じないんじゃないだろうか。
少なくとも世界はなにごともなかったかのように回っていく。
延々と続く時間。
永遠に終わることのないループを歩む。
また1年が過ぎ、またここに座る。
そして、また、ぼくは1年前の時に移されていいく。
1年前と変っているのは。
手巻き寿司から消えたネギ、ゲイのカウンター・パーソン、BGM、アイスコーヒー。
そんなもの。
いつの間にかBGMがスティーヴィー・ワンダーになっている。
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追いかけられて
http://seikiny1.exblog.jp/13315802/
2010-05-17T08:18:00+09:00
2010-05-17T09:12:50+09:00
2010-05-17T08:18:56+09:00
seikiny1
日ごろのこと
図書館で借りた本と水筒をかばんに放り込んで。
外で本を読むのは……。
通り過ぎる車の音、
ひとりごとのやまない男、
遠くから聞こえるパトカーのサイレン、
……
そんなすべてのものを自然として受け入れていながら。
街に溶けこんで本の世界へと入っていく。
本の一部となりつつも、
「日が暮れたら帰ろう」
と、こかで決めている正気の自分。
陽光で文字を拾いづらくなったら歩こう。
なんだか暗くなってきた。
それにしても、少し様子がおかしいような。
そういえば、前日流していたニュースのどこかで、
「サンダーストーム」という言葉を聞いたような、聞かなかったような。
それにしても自信がない。
考えてみると、昼間から夜。
一方が少しずつ増え、もう一方が減っていく。
等量になり一方がゼロに近づいていく。
そんな時間を屋外で過ごすのは久しぶりだった。
夕暮れという感覚が欠落している。
それにしても自信がない。
念のため。
帽子代わりに巻いていた麻の葉柄の和手ぬぐいを脱いで、
手帳と本をくるみ、レジ袋でおおう。
再度レジ袋に入れ、かばんのフラップを下ろして立ちあがる。
歩き出して半ブロックも行かぬうちにあたった。
「ポツリ」
たまたま木陰のベンチに坐っていたからあたらなかっただけなのか。
木の下では雨が上がった後でも雨が降る。
無数の葉がたたえている、それ以上の水滴が、
空気の動きで、重力で雨を降らせる。
あれは雨粒なのだろうか?
それとも既にただの水滴になってしまっているのだろうか?
そんなことを考えながら歩いていると、
次のブロックだけで雨粒の当たる頻度が確実に数倍になり早足に。
歩きながら再度かばんのフラップを上げ、
2重にしていたレジ袋の1枚を取りノートをくるむ。
身体は濡れても一向に構わないが、道具は困る。
前を横一列になってゆっくりと歩いていく、
黒人ベビーシッター数人と白人子供たち。
追い抜きながら。
どうしてだろう?
右肩越しに不意に振り返っていた。
普段、歩きながら振り返ることなんてほとんどないのに。
ほんの少し前、過去となったところ。
先ほど通り過ぎた交差点でバスが信号待ちをしている。
斜めに道路を横切って何とか乗り込む。
普段だったらこんな距離で乗ることは絶対ないのに。
1つ目のバス停で乗り込んできた日本人の女の子はぼくの前に座り、
ぼくは3つ目のバス停、Smoke Shop前で降りる。
「あ、そろそろ缶入りタバコを買っとかなきゃ……」
"Thanks."
運転手に礼を言いながら
(この国のバスにも車掌という人が乗り込んでいた時期があったのかな?)
などと考えたが、歩道に片足がついた途端にタバコのことともに飛んでしまう。
雨脚はかわっていない。
それでも早足で50mほどをを歩く。
自分の体のためでもなく、道具のためでもない。
窓を開けていくのを忘れていた。
帰り着くと3匹の猫達が。
窓ガラスににブチの入りの肉球を密着させてはりついていた。
タダイマ。
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星くず兄弟
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2010-05-14T09:24:30+09:00
2010-05-14T09:24:28+09:00
2010-05-14T09:24:28+09:00
seikiny1
思うこと
3ヶ月ほど。
それが仕事だった頃。
いや、それによって直接的にも間接的にも、
1セントの収入も結局はなかったことを考えれば、
職業的スパム・メイラーというよりも、
ボランティア・スパム・メイラーという方が的を得ている。
Kata, Kata......Click,Click......
3ヶ月かけて送ったメール総数は約6000通。
振り返ってみるとよく送ったものです。
2002年という時代だったからこそ成し得た技で、
今だったら迷惑メールホルダー経由奈落行き。
実は本は出たものの営業予算ゼロ円。
いったい何を考えて本を発行しているのかわからない出版社でした。
白菜を仕入れてシャッターを開けない八百屋みたいなもんです。
今になって考えてみると、はてなマークばかり。
もちろん当時は「本が出る」そのことだけに舞い上がってしまい、
はてなマークなんて浮かんでこない。
こんなところにもオメデタイ性格が顕著に出る。
新刊として本屋の店頭に並ぶのは数週間。
早ければ1週間で無数という名の海の一滴になってしまう。
浮かんでいるならまだしも、
酸素タンクを背負ってまで海底を物色する人はほとんどいない。
あとは闇から闇の裏街道をまっしぐら。
その上、こちらはNYに釘付けで、
グリーンカードはおろか、パスポートすら再取得していないのだから、
日本の本屋行脚するわけにもいかない。
いや、その前に飛行機に乗る金なんてなかった。
出版社とて、どんな頭をしているのか、営業に1銭すら使う気はない。
「とにかく誰かに気づいてもらわなければ……」
そんなわけで始めたのが自己本紹介メール作戦だった。
新聞社、雑誌社、放送局、書店では飽き足らず、
<本>、<書評>、<読書>、<ホームレス>……
考えられる限りのキーワードでGoogleの世界を駆けまわることに。
送りに送ったその数が約6000通だった。
「迷惑だと思わないんですか……」、長文のお叱りメールを頂いたり、
HP上で糾弾する人もいた。、
しかし返事のほとんどは好意の感じられるものたち。
紙にネットに電波に載せてくださった人たち。
「約6000通出して、400通近くの返信という数字。悪くはありませんよ」
励ましてくれたマスコミに携わる人もいた。
大手チェーン書店の社長さんから返信をもらい大々的に押し出してくれたり。
地方書店主の奥さんは、ぼくの地元書店の娘さんであったり。
買って、読んでくれたではなく、多くの人にすすめてくれた人が何人もいた。
今、思い出し、あらためてありがとうを言いたくなった。
「ありがとうございます!」
ぼくにとっては無数と言いかえることのできる点を世に放ち、
そのうちのいくつがキラリと輝いた3ヶ月。
今でも星座を結んでいるのは10粒くらいだろうか。
スパムメール座。
しかし星々は増殖をくりかえし、星座に、星雲になっていく。
10/6000=0.167%
この数が減ることはない。
ブラックホールとならない限り。
8年前だったからこそ出会えた人たち。
18年前だったた出会う可能性のなかった人たち。
星が生まれるネットの世界。
星くず兄弟の伝説。
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ハトよ
http://seikiny1.exblog.jp/13295498/
2010-05-13T08:07:23+09:00
2010-05-13T08:07:27+09:00
2010-05-13T08:07:27+09:00
seikiny1
思うこと
いつもの場所、いつもの時間。
いつもとはちょっとだけ違う風景。
「こんな色にしたい」
「この色を守りたい」
そんな気持ちの露れだろうか。
1メートルほどの黒いポールの上につけられた立て看板は、
主張しないように主張している。
いや、主張しつつも主張しないよう心がけている、か。
黒枠に入れられた銀色の金属板にある言葉は、
"Please Do Not Feed The Birds"
目立たぬように、目立つ。
なんだか靴下に凝る男みたいだ。
調和を崩さぬように。ぬきんでないように。
かといって認識されなければ稲の中に埋もれる案山子とかわらない。
この配慮というか苦悩は、場所を運営する会社のものなのだろう。
ここでは警備員すら、
仕立てのいい細身のグレースーツに紺色のネクタイで巡回をしている。
風景に溶け込むように。
時折りトランシーバーに向かってしゃべりながら。
ここはビルの谷間にあるパブリック・スペース。
3年ほど通いつめているけど、
2年前までハトの姿を見かけることはなかった。
たまに見るのは数羽のスズメ程度で。
少しずつ、少しずつ増えゆく鳩の数。
200mほど離れた、別のパブリック・スペースからベンチが撤去されてからは。
ベンチがなくなり人が寄らなくなった。
エサをあげる人そのものがいないのだから、
空腹を抱えたハトはさまよう。
まるで肥満対策としてコーラにデブ税をのっけるみたいだ。
「どうしたんだ、最近また血色よくなってきたんじゃないか?」
「ああ、あそこの角のところでたらふく食ってるからな」
それにしても、いつも思うのだけれど、
ハトは、鳥はどのようにして情報の伝達をするのだろう?
誰かがエサを与えると、
遠くの高い空から一直線にやってくる集団を目にすることがある。
テレパシーでも持ってるんだろうか?
ハト語とスズメ語は共通なのだろうか?
それとも方言のようなもので、だいたいは互いにわかりあえるんだろうか?
効を奏して、とは言いたくないが、
作戦が的中しハトの寄ることがなくなったパブリック・スペース。
掃除は楽になったことだろう。
しかし、人も寄りつかない25mプールほどの2つの空間。
細い幹の木が10本ずつ植えてはあるが、
そこに生命はなく、まったく死空間となってしまった。
体はあるのに流れない血。
無駄なスペース。
沙漠の真ん中に置かれた卓球台のように。
立ちどまる人はいても、
ラケットとボールのないことがわかるとまた歩き出す。
普段はそれほど気にかけるわけじゃない。
風景の一部として、たまに目をあずける程度。
入り口に置かれた看板のせいだろか、
ハトたちの表情が、どこかもの悲しく見える。
緩慢な動きは、ひもじさのせいだろうか。
今朝、出現した看板で、今はまだ朝。
黒文字の功徳が顕れるには早すぎる。
ハトの表情はぼくが作り出しているのだろう。
人がハトにえさを与えるのと同じように。
さて、清掃の人が毎朝の棒雑巾から解放される日は来るんだろうか。
このハトたちはどこへ翼を向けるのだろう。
そういえば2年程前話題になったニューヨーク市の
「鳥への餌やり禁止条例法案」
はどうなったろう?
当時、世論を騒がせていたけれど。
"Please Do Not Feed The Birds"
この看板を目にするたびに悲しい気分になる。
最近では、糞に命中されても腹がたたなくなった。
そんな日は宝くじを買いにいく。
野性に還ることのできないハトたち。
土もなく、天敵もなく、飯もなく。
ハトは泣く。
都会に暮らす人間のように。
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