ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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IRAQ WAR ENDS (イラク戦争終結)
 前行く人の背中を見ながら階段を上っていく。地下鉄駅からの階段を上りきって見上げた透明な冬の青空には飛行機雲がひと筋。
 短い横断歩道を渡ったところでは若い男が新聞を配っている。
 無料のサンプル誌のようだ。
 街を歩いていると無料で配られているものと出会うことがある。コーヒーであったり、クッキーやチョコであったり、缶入りソーダであったり。そういえば少し前までは5本入りの新しいフレーバーのタバコを配っていたりもした。光陰如矢。
 もちろん新聞も例外ではなく、New York PostやDaily Newsの無料配布にはよく出会う。しかし、今日のはNew York Timesだった。
 
 インターネットでニュースをチェックすることが多くなり、広告主もそちらへ流れている。一方で、数年前からは日刊無料紙の配布が始まり、新聞業界は悲鳴をあげている。
 ニューヨークの四大紙といえばThe New York Times、Wall Street Journal、Daily News、New York Postだが、その内の三誌がここ数年で紙面サイズを縮小をした。The New York Timesからはつい先日Metro Sectionが消え他に併合されたばかりだ。
 新聞業界の不況は僕が思う以上に深刻なのかもしれない。

 手渡されたものは”Special Edition”と書かれた薄手の号外だった。
「何か事件が?」と目を落とすと大きな文字で
“IRAQ WAR ENDS”と書かれている。
 突然のニュースに驚き、早足で近所にあるパブリックスペースへと向かう。

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「ふん、ふん、ふん、ふん。なるほど……」
 一通り記事に目を通したあと、どういったわけか目端に引っかかるものがある。そこへ焦点を合わせてみると、
“SATURDAY, JULY 4, 2009”
の文字が飛び込んでくる。
 よく見ると左肩には、
“All the News We Hope to Print.”の文字。
 架空記事だった。新しい販売促進活動をするにあたって浮かんだアイデアか、それともまったく別の団体がNew York Timesのタイトルだけではなく、構成、論調、書き方などのすべてを徹底的にパクり、ビラ代わりに配布をしているのだろうか。そうだとするとまるで映画Stingのようなコン・ゲームの世界だ。
 Veteran’s Day(退役軍人の日)の翌日に配る手の込みようだ。
 どちらにしろ、こういったことを真剣にやってしまい、それが許される。そんな気風と、余裕のあるこの国が僕はまだまだ好きだ。

 ただ、これを他のメディアでやってしまうと、1930年代にオーソン・ウェルズがラジオでやった火星人襲来のドラマ放送後のパニック(実際に火星人がやって来たものと信じ、人々に恐慌をきたしてしまった)のようになるおそれがあるので、こんないたずらが許されるのは紙媒体だけだろう。
 架空記事といえばThe Onionという無料誌が有名だが、ヘッドにThe New York Timesとあのロゴを刷り込まれるだけで書かれている内容を信じてしまう。それほどにこのブランドの影響力は強い。少なくとも僕は五分の間「戦争が終わった!」という<事実>を噛みしめ、温かな気持ちになっていた。
 数日前には、H&M原宿店の開店に列をなす若い女性たちを報じるニュースで見ながらせせら笑っていたのだが、彼女らと大して変わることのない自分が間違いなくここにいる。僕の中にもブランドを信仰し、信頼している箇所が確実に存在する。
 もしこれがamNYやmetroといった日刊無料誌であれば、まず疑ってかかったことだろう。
 余談だけれど、今日付けのmetroでは金正日のことを「South Korean Leader」と報じていた。ブランドとは結局それを作り上げた人たちの誇りであり、同時に責任でもある。贋物に対して敏感になるのは、金銭的なことはもちろんあるのだろうが、誇り・責任という面からの方が大きいのではないだろうか?贋物が出回るということは、社会的に認知されたという側面も否めないのだけれど。

 報道のあり方については様々なことが問いざたされ、僕も、特に日本のものに関してはうがった見方をしてしまうところがある。
「あなたとは違うんです」で話題になった福田前首相の辞任表明会見のニュースを見たときは、
「バカじゃねぇ、コイツ。辞めちまうからってもう投げやりになってるよ」とあきれ返ってしまったけれど、調べてみるとそれは事実を抽出した報道に過ぎないことがわかった。会見の映像を通しで見てみるとまったく突拍子もないことを言っていたわけではなく、うなずける部分もある。
 バラエティーなどの影響で作り手も、見る方もウケというものに毒されてしまったのだろうか?プロであるからには<事実を私情抜きで伝える>という姿勢を貫いてほしいという思いはただの理想に過ぎないのだろうか?人々はそんなことはもう求めないのだろうか?

 見るたびに消化不良を起こしてしまうものがある。
 アメリカで某民放が流す日本語放送は、素人目にもへたくそな技術でズタズタに切られ、ボロボロに縫い合わされ、終わった後に「で、どうなったの?何を伝えたいの?」と屋根に上っている間にはしごを持っていかれたような気分になる。
「腹減ってんのか?食わせてやるぞ。こんなもんでも食っときな」
 刑務所の受刑者でさえ、まだましなものを食っていることだろう。これに到っては報道どころか、会社の姿勢の問題だ。そんな番組を見ながら「なんだ、この野郎は!」と画面の奥にいる見えない誰かに向かって毒づくことをどこかで楽しんではいるのだけれど。もし、これが某民放の目論見だとしたら大当たりだ。
 とにかくプロというものは、それを名乗る者は技術はもとより、しっかりとした意識を持ってこそ初めてプロと認められることを忘れないでほしい。

 パブリックスペースのテーブルに号外を置き、横目で通り過ぎていく人の表情を観察する。その反応がまた面白く、
「ちょっと読ませてよ」と寄ってきて手にとる人。
 何気なく後戻りをして、長い間背後に視線を感じる人。
「ねぇ、その新聞どこで手に入れたの教えてよ」と配っている場所を聞く人と様々だ。共通しているのはどの表情を明るいということ。

 久々に騙される快感を味わうことのできた朝だった。
 さて、日本にこれほどブランドネームのある新聞、いや、マスコミは存在するのだろうか?
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by seikiny1 | 2008-11-13 11:17
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