ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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ロッキーさんの死
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ロッキーさんの死

 ロッキー青木さんの訃報をNY1(ニューヨーク市ローカルのテレビ局)のキャスターが伝えている。窓の開け放たれた地元の図書館で読んだ彼の著書が、僕をこの国へと旅立たせたひきがねのひとつだった。
「ひとつの時代が終わったな」というのが実感。
 画面はもうCentral Parkで行われるBon Joviのフリーコンサートに列を作る人々を映し出している。
 やっぱりTVというメディアは僕には適わない。




 あたり前のことだけれど、テレビでは自分のペースで物事を進めていくということができない。たとえば、誰かの死を悼み自分の歴史と照らし合わせてみる、その人の本を引っ張り出しに行く、そんなことを思う前にまったく関係のないことで頭の中が掻き乱されてしまう。すぐに電源を切ればいいのだろうけれど、それほど素早くはないし、そこまで頭の回ることもない。次のなにかが始まってしまうと、もう余韻どころではなくなってしまう。
 テレビもビールも「生」に限る。そこには緻密な計算というものはなく、存在するのは概算のみ。そこに緊張感が生まれ、僕らにも伝わってくる。テレビの最大の魅力は「生」そして出演者。グラスは冷えているに限る。それ抜きのテレビは戦時中のラジオ放送とそう変わらないのではないだろうか?

 やっぱり自分のペースで歩き、立ち止まって道草を食える文字が好きだ。もちろんそこにも色々な思惑や伏線が仕込まれているのだけれど最終決定は自分で下すことができる。ページをめくるのは自分なのだから。ダラダラと見る、見せてしまうのがテレビの怖いところ。
 そういうものに慣れてしまった自分が一番いけないのだけれど。

 ニューヨークで放映されている日本語放送のニュースを見るたびに思うことは、
「もうちょっとましな切り方できないのかねー」ということ。
 素人目に見ても、本来のフィルムはまだ後が続きそうな勢いを見せながらも「プチッ」と切られてしまう。起承転結の結がハンケツのままで消化不良をおこさせる。放送局にやる気がないのか、「見せてやる」という姿勢で番組をお下しになっているのか、それてもエンジニアに才能と感性がないのか。
 それでもついつい見てしまうのがテレビの怖いところで、飼いならされた家畜の弱いところ。

 日本映画の黄金期は70年間だったという。

(ニューヨークタイムスの記事)
http://www.nytimes.com/2008/07/12/nyregion/12aoki.html?_r=1&scp=1&sq=aoki&st=cse&oref=slogin





p.s. 今日は小学校の同級生二人の誕生日。「おめでとう」
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by seikiny1 | 2008-07-14 07:19 | 思うこと
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