ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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陰翳礼讃
 今年の誕生日は古くからあるステーキハウスで迎えた。薄暗く、静かな店内には、白熱灯がポツリ、ポツリ。そんな中で口にする酒、食事は手放しでうまい。しかし地球温暖化対策のあおりで、こんな、あたたかく、艶やかな風景もかき消されようとしている。
 世の中のすべてが、蛍光灯の煌々とした硬質の光にさらされるまであとわずか。

 白熱灯は、たしかに大量の熱の発生をともない、エネルギー効率もよいとは言えない。しかし、それと引き換えに、いや、それ以上のものを僕達に与えてくれている。蛍光灯の下で、愛を囁くなんてことはできない。出生率低下で人類滅亡の危機にさらされるかもしれない。
 なんでもが「明るければすべてよし」というわけでもないだろう。もちろん、そのうちに代替品が登場するだろうが、Veggie BurgerはいつまでたってもHamburgerになれない。

 果たして世の中をそこまで明るくなる必要はあるのだろうか?どうしてもっと高く、もっと速く、もっと明るくなの?白熱灯を駆逐する前に、世界中の、ただ、<見るためだけの夜景>を消してしまったらどうだろう。一時間なんてケチなことを言わずに一晩中。僕個人としては、きらびやかな夜景などもういらない。実の伴わないものは虚に過ぎない。
 東京タワーが美しかったのは、まだまだ闇が深かったからだろう。
 マンハッタンのスカイラインを背にした花火はたしかに美しい。しかし、真暗なビル群を覆う無数の窓ガラスに乱反射する花火は、何百本もの光る滝のようではないのか、と思うのだけれど。
 静かな住宅街の暗い窓に映る月を見上げながらそんなことを考えていた。
 闇があるからこその光。<光 vs. 光>では何も見ることができなくなってしまい、そこに光がある事すら忘れてしまう。
 灯りは人類にとって大きな発明であったはずだ。生活を夜という時間の中にくれた。そして、あまりの明るさのために、今、地球は輝く闇のようになってしまっている。手遅れになってしまう前に、本物の闇の中で目をこらそう。灯が見えてくるから。それがどんなに美しいか。
 闇があって、初めて光は存在することができる。

 外では雪の降る音がする。テントのジッパーを開いて足を踏み出した。まだ誰も歩いていない、うっすらと光を抱き込んだ雪面は、6年間のホームレス生活を帳消しにできるほどに美しかった。 見当たる灯りはといえば、少し傾いた三日月と遠くに見える街灯だけ。

 夜に昼は求めないし、夜の美しさを感じていたい。
 食糧危機で暴動まで起こっているのに、聖火リレーはいらない。
 もっと高く、もっと速く。いったい誰のために?銭儲けと、政治の道具としてのオリンピックはもういらない。
 戦争は言うまでもない。
 部屋にだって、本を読める程度の灯りがあればそれでいい。

 昭和の初期、「陰翳礼讃」の中で明治の光を見つめる谷崎潤一郎の目は、今、僕たちが昭和の中頃、そして明日の光を見る目と似ていたのかもしれない。
 
 僕の好きな随筆のひとつです。興味のある方は読んでみてください。
陰翳礼讃
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by seikiny1 | 2008-04-24 08:49 | 思うこと
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