ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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夏の終わり
 アメリカのカレンダー上では夏も今日で終わり。そんな線引きなどなんの意味もないのだけれど、まぁ、ひと区切りといったところか。
「マーカーはいらないの?鉛筆はあるか?」
「あ、ごめんなさい。ノートがいるんだった」
 ふらり、と入った文房具屋では、新学期を目前にひかえた親子連れが目立つ。
 レーバーデイの今日は夏休みの最終日で、日本での8月31日にあたる。そんな日にはてんやわんやな思い出しかない。
 丁寧に宿題のバッグを縫い上げるというよりも、布を切って裏側をボンドで貼り付けるといった感じに近く、新学期へ向けて万全と準備をするというよりも、なんとかカタチにしてのける日という方が正確だろう。夏の終わりをしみじみと味わうゆとりは、9月の半ば頃まではお預けだった。

 ニューヨークではこの10日間ほど涼しい日が続いており、毎朝、去り行く夏の日を惜しんでいる。まるで、あのうだるような日々がなかったかのように。去り行くもの、去ってしまったものはどこか懐かしく、甘い。憎いあいつでさえも。
 時間のマジック、それは憎しみすらをも笑顔に変えてしまう。

 父親からなぐられたこと。
 失われてしまった風景。
 裏切られたあの日。
 別れたガールフレンド。
 変わりゆく人々。
 当時、まったく別の場所にあった感情は、こうして思い出してみてもなかなかでてこない。
 なにかが去り、なにかがやってくる。
 なにかが去らなければ、なにもやって来はしない。
 コップはいつもなみなみと水をたたえたたずんでいる。あふれることもなければ、乾上がることもなく、まるで「それが生きていくことだ」と語りかけてでもいるように。
 時がすべてを解決してくれるわけではないけれど、少なくともオブラートに包み込んで引き出しの片隅に放り込んでおいてくれる。ふと思い出してなめてみて苦くないのは、一度コップの外に出てしまったから。今あるコップの水をおいしく飲んでいるから。今がなければ苦いものはいつまでも苦いまま。

 さてさて、飲んだ瞬間に口中に広がる苦い酒がいいのか。それとも、いつまでも後口に残る甘い酒がいいのか。

 失われゆくものを惜しむことは大切ではあるけれど、その旅立ちを喜んでやることも欠くことはできない。というよりも、そう思い込もうとしている。ここにあるコップは決して大きくならないのだから。

 昨日は、朝起きてまず晩飯を作り、それから昼飯(弁当)、朝飯の順でこしらえていった。コニーアイランドへ行くために。
 夏が終われば再開発がはじまってしまい、今の姿はこの夏で終わり。その姿を眼に焼きつけておくために、生まれて初めて晩飯から作っていった次第。最後となる懐かしいビーチへと足を下ろした瞬間に、そこは郷愁の地でも、失われつつあるものでもなくなった。あるのは、今という夏だけで、誰もが笑顔で今という時間を楽しむ。
 あの夏があり、この夏があり。50年後、100年後のこの地に郷愁を感じる人もいるだろう。そのためにもコニーアイランドにはいつまでも生き続けて欲しい。夏の笑顔を絶やさぬために。

 どこまでも続く、広々としたボードウォーク。夕暮れにそこで見かけた彼女の去り行く姿はなんだか笑っているようだった。



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by seikiny1 | 2007-09-04 06:38 | 日ごろのこと
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