ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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ご飯と納豆
 お米がない。
 さし迫った問題ではないけれど、「大丈夫」と思ってはいても、心のどこかで時おりゴロン、ゴロンと音が鳴る。これが不安ということなのかもしれない。

 遠い昔のこと、父の友人が海外旅行に行くことになり「米と、醤油を持っていく」という話を聞きながら、子供心に「バーカ」と(今思えば)失礼なことを飲み込むのに苦労していた。
 いざ自分がアメリカへ来てみると、カリフォルニア米の予想外の美味しさ、安さにびっくりする。身体のどこからか「これまで通りに米が食える」という喜びに似たものが、恥ずかしながら湧き出てくるのを感じていた。
 バスを使っての大陸旅行中のある日、ネブラスカにあるうらびれたタイ料理店で食べた米の味、再会の喜びは今でも忘れることができない。
 ご飯に醤油をザブザブとかけるアメリカ人を初めて目にしたのはそれにしても衝撃的だった。
 そういえば、ホームレスになる直前には、「安いメキシコ米をいかに日本風に炊き上げるか」という大問題を前に四苦八苦しており、なってからは、スープキッチンでたまに出会うパラパラのお米にも感激をしていた。

 冷蔵庫を開ければ肉があり、野菜や保存食もある。テーブルの上にはパンがのり、戸棚の中にはパスタ、ラーメン、うどん、そば、そうめんもある。ただ、米だけがない。この不安はなんなのか?

 昨日、やっと重い腰を上げて日系スーパーへと行ってきた。
 何種類もの米が積み上げられた様に安心という言葉を思い出してしまった。ただ、見ているだけでも心が充足してくるのがわかる。
「おっと……」
 親を探してみた。いるにはいたけれど、子供のいる場所を確認しながら品物探しに忙しい。ここを遊園地と勘違いしているのか、一言のお叱りもない。
 積み上げられた米袋の上に5歳くらいの男の子が(いや、ガキと呼ぼう)足をばたばたさせながら座っている。子供の所在を確認するためだろうか、たまに目を向ける母親。
 ため息をつきながらそのガキに足を向けた時、退屈してしまったのか、それとも僕がよっぽど怖い顔をしていたのか、ガキは母親の元に走り去ってしまった。

 熱烈な水戸黄門のファンじゃない。
 農家に生まれたわけでもない。
 米の一粒に生死をかけた思い出は幸いなことに今のところはない。
 〈ご飯食い〉ではあるけれど、死ぬほど好きだという意識はない。
 それでもご飯茶碗の中をきれいにせずにはいられない。最後の一粒まで、お新香ですくいあげて食べる。あのガキ家族の食卓やゴミ箱がなんとなくだが想像できる。
 日本に帰ったら給食費はちゃんと払ってね。
 好き嫌いしない(させない)でね。
 よその子が劇の主役になっても先生に噛み付いたりしないでね。
 ごみを落としたら拾おうね。
 列に割り込みしないでね。
 最低でも、なにかをしてもらったら「ありがとう」を言おうね。

 わがままで、ひねくれものの僕は、人間を食べ物やごみに対するスタンスで判断してしまう悪い癖がある。この親子などはサカイ王国の中ではまず懲役間違いなしといったところだろう。もちろん食事はお米だけ。労働は米作り。

 いや、それにしても日本は、日本人は豊かになりすぎてしまったのか。それに慣れて、ズレてしまったのか。
 今朝、温かいご飯で食べた納豆はうまかったな。



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by seikiny1 | 2007-08-13 07:34 | 日本
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