ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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口紅を刷いた古女房
(腰の爆弾も落ち着いたかな……)
 そう思いちょっと無理をしたら再爆発を起こしてしまった。おかげで大雪も、ちょっとだけの春の日も肌で感じることはできず窓から眺めるばかり。

 寒い冬の日に街を歩いていると知らず知らずのうちに身体に力が入ってしまっていることに気づく。いつだったか背中を丸めて乗り込んだ電車の壁一面はBAHAMAの観光ポスターで埋められていた。青い空、青い海。こんな写真を見て「南の島へ行こう!」と思い立ち実際に行ってしまう人も中に入るんだろう。
 全身に力が入っている身としては、やはり南の島というのはかなり魅力のある存在だ。まるでその写真の中にとけ込んで全身の力が抜けきってしまうような錯覚におそわれる。「こんな冬はいやだ。南へ行きたい!南の島に住んでやる」
 衝動的にそんなことを思ったりすることもある。しかし、南の島で暮らしていくことができるだろうか?
 僕の答えはNo。
 短期間の滞在でリフレッシュというのはいいかもしれない。しかし、そこに住み暮らすということになると話は僕のような人間には向かないようだ。全身に入り込んでいる余分な力どころか必要なものまでもが流れ出してしまう。元来の怠け性である僕をそんな所に放ってしまったら……。想像するだけで「絶望」という文字がちらついてきてしまった。

 緊張という言葉がある。
 どちらかと言うと好きな言葉ではなかった。最近までは。あまりいい印象を受けたことがなかったから。そんな僕が近頃この言葉を考えたりする。
「ほどよい緊張って結構気持ちいいな」と。
 仲のいいことはすばらしいことだ。しかしそれは馴れ合いになってしまう危険をはらんでいる。
 極度の緊張は崩壊の一歩手前。保っていた均衡が瞬時に崩れ去る危険に直面している。
 僕にとって一番気持ちのいいこと。それはどちらかと言うと夜間や冬には長袖が必要な南の島。

 たまにだけれど部屋の掃除をする。やはりきれいな部屋は気持ちがよく掃除の後はとても快適な気持ちになる。しかしそれもだんだんと南の島になっていってしまう。一人で生活をしているとどうしても「あー、いーや」そんな言葉が出てきてしまう。それが、他に人がいると、誰かが来ることがわかっていると「めんどくせーなー」とぼやきながらも使った食器を洗ったり、落ちている髪の毛を拾ったりする。たいした事ではない。それでも一人だとなかなかそういう具合には気持ちが、そして身体が動くことがない。
 たぶん相手だってそうなのだろう。そういった適度な緊張感が交差する空間はなぜか心地がいい。
 男がいる。女がいる。
「出会った頃、あんなにまぶしかったあいつも今では古女房」
 そんな話を聞いたりもする。男も女も仕事に家事にそして生きることに忙しく「そんな事に構ってなんかいられない」のかもしれない。それでも夕方に口紅をさっと刷く、家に入る前にネクタイを直してみる、そんなほんの少しの緊張感を持ってみるだけで意外と全身に入っていた力が抜けたり、逆に脱力感から開放されたりする事もあると思う。そんな小さな緊張感は「所帯じみた」という奇妙な言葉をも吹き飛ばし、見知らぬ、街でただすれ違う人にすら小さな微笑を与えてくれるかもしれない。それはまた自分へと還って来る。

 僕が住むこの街の緊張感は時として大きすぎる事もあるけれど、最近では快適というところに段々と近づいてきている。
 大通りの角を曲がる時に「オォ、寒い」とひとりごとが出てしまう冬のニューヨークはやはりいい。古女房ではなく口紅を刷いて僕を待っていてくれる。手袋の要らない程度の寒さの日。
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2月24日付け西スポ(西日本スポーツ新聞)土曜版でこのブログが紹介されます。九州在住の方、よかったら見てみてください。
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○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。
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by seikiny1 | 2007-02-24 04:03 | ニューヨーク
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