ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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桶屋はどこだ?
□2月24日(土)の『西スポ』(西日本スポーツ新聞)でこのblogが紹介されます。九州在住の皆さん、よかったら読んでみてください。□
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「ガガガッ、ガガガッ……」
 窓の下から聞こえてくるそんな音で目覚める。久しぶりのことだ。
 カーテンを開けてみると淡い銀世界が広がっていた。シャベルとコンクリートが奏でる規則正しい音を聞きながらまったく別のことを考える僕。

 昨夜のニュースではニューヨーク市長・ブルームバーグ氏が、
「皆さん。今夜から明日にかけてまとまった雪の降ることが予想されます。できるだけmass transit(公共交通機関)を使って出かけるようにしてください」と相変わらず爬虫類を思わせる顔で言っていた。
「桶屋の方はどうだろう?」
 トイレに腰をおろし、降り積もった雪を眺めながら考えていたのはそんなことだった。

 雪の当日や、その予報の出た日にはシャベルや塩を買い求める人達でハードウェア・ストアはごった返す。そこから思い出されるのは江戸時代の風景。
『雨が降れば桶屋がもうかる』
 そんなことわざのシーンが目に浮かぶ。
「ウーン。その昔の日本は貧しくて、雨が降ったらあちこちから雨漏りがしてしまい桶がいくつあっても足らなかったんだろうな……」
 その程度の認識しかなかった。それでも今回は突然降ってわいた(痛い)休日ということもあり、ことわざの背景が気になって仕方がない。ほくそえむ桶屋の主人の顔は目に浮かぶのだけれど、どうしても彼と雨の滴の間がぼやけてしまっており、本を読んでいても集中することができない。思い余ってインターネットで調べてみることにした。
『雨が降れば桶屋がもうかる』
 出てくる、出てくる。毎度の事だけれど検索結果の多さにうんざりしながらも。気になるところをポツン、ポツンと押していく。ところが今ひとつ「コレは!」と思わせるものに行き当たらない。ただ途中あちこちで「風が吹けば桶屋がもうかる」という言葉にぶつかっていた。ためしに、
『風が吹けば桶屋がもうかる』で調べてみたところあっさりとかたがついてしまった。恥ずかしながら四十年近くも勘違いをしていたことになる。気になっていたボヤケた箇所もだんだんと姿を現してくる。いくつかの検索結果を総合してみると、
●風が吹く

●市中にほこりが舞い上がり眼病になってしまう人が増える

●盲人が増える

●(盲人の手なぐさみとして)三味線が売れる

●猫の皮が必要になり、町から猫がいなくなる

●天敵のいなくなった町ではねずみが横行する

●家庭で食料を入れている桶がねずみにかじられてしまう

●桶の需要が増え、桶屋がもうかる

 といった算段になるらしい。雨と風では大違い。雨だと単純に雨漏りで済んでしまうものも、風となるとかなり大回りをして桶屋の店先にやってくる。どうもこじつけ臭くて、一本勝ちできない奴が強引に寝技に持ち込む柔道の試合を見ているような気になってくるのだけれど、こういった落語的な情景を想像させることわざは結構好きな部類に入る。
 ところで、現在の日本に木桶を作る職人さんはどれくらい残っているのだろう?人間国宝的な数になるのかもしれない。

 『現代用語の基礎知識』や『imidas』は毎年刊行され、『流行語大賞』というものの方が『レコード大賞』よりも認知度が高いような気がしてならないこの頃。これだけの新しい言葉が日々生まれているというのに、なぜか新しいことわざを聞いたことがない。国語辞典は版を重ねて行くけれど、ことわざ辞典の方はどうなっているのだろう?
 ことわざは長い歳月をかけて、どこからともなく発生し定着をしていくものなので、ただ僕がそれを認知しきれていないだけなのかもしれない。
 それとも世の中の森羅万象はすでに語りつくされ、いくら複雑怪奇な世の中になったとはいえ基本的なことは変わっておらず、新しいことわざが生まれる余地はとうの昔になくなってしまったのか。
 はたまた、一人一人がまったく別の意見を持つ多様化したこの社会では誰にも共通するものの見方というものがなくなりつつある、あるいはそれを言うことをつつしむことが賢とされているのか?
 理由はどうあれ<新しい>ことわざを知らない。

 道はアスファルトで埋め尽くされ市街地でほこりの立つことはあまりない。予防医学が発達し疫病もそれ程流行する事はない。三味線は芸事か芸術かになってしまい、寂しいことだけれど日常生活との接点が少なくなってしまった。米びつは金属やプラスチックに、野菜は冷蔵庫へと入れるようになった。最後に残された風呂桶すらも、プラスチックへと変わりシャワーの普及で余命はあといくばくか?
 五十年後、百年後のニューヨークでシャベルの音を聞きながらこのことわざを思い浮かべる人がどの位いるのだろう?いや日本でも人間国宝級になってしまっているかもしれない。それとも現代の姿はかりそめのもので、その頃になると道の舗装ははがれ落ち、猫の歩かぬ土煙る盲人の多い町中では三味の音が賑やかで、桶屋のおじさんが笑いながらも汗を流しているのかもしれない。

 ただ、日本の国会中継のスポットを見ながら思い浮かぶ言葉は、
『風が吹けば桶屋がもうかる』
 いくら道が立派になり、「生活レベルが上がった」と叫ぼうとも肝心の僕達はそれ程進歩も進化もしていないようだ。だからこそ新しいことわざも生まれないのだろう。

 窓ガラスを叩いていた雹(ひょう)もやみ、薄日が差してきた。人の迷惑のことなど考えず、この冬初めての大雪を期待していた身としてはちょっとだけ残念だ。
 日本で春一番が吹く頃、ニューヨークには冬の嵐がやってきた。

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○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。
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by seikiny1 | 2007-02-15 09:09 | 日ごろのこと
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