ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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二週間前の日記 -JBを聞きながら- (1)
 まるでひっくり返った亀のような数日を送っている。トイレへ向かう途中にある鏡で自分の姿をチラリと見れば<ノートルダムのせむし男>という言葉が頭をかすめて行く。
 それでも行ってしまう。ゆっくり、ゆっくりと三階から手すりで身体を支えつつ後ろ向きに階段を降りる。建物の扉を開け、再び数段の石造りの階段を降り左折。ものの10メートルと進まないうちに痛みに堪えかねて人の家のフェンスにしがみついてしまった。
「どうしようか……」と迷っているはなから天使が微笑みかける。次の瞬間には片手が、昨日インターネットで調べた中国数千年のツボを押さえていた。
「まだまだいけるぞ」。たぶん気のせいだろうが少し楽になった身体をひきずりながら、トボトボとではあるけれど目的地までなんとか立ち止まることなくたどり着く事が出来た。歩行距離約150メートル。
 せむし男は勝手知ったる場所の中をゆっくりと、しかし無駄なく動き、目的のブツを手に入れて持参のショルダーバッグへと放り込む。1ミリリットルを1グラムとすると、約2.1キロ。それが入っている容器そのものはそう重いものではない。数グラムだけ軽くなった財布と、2キロ以上も重くなったバッグを手に今来たたばかりの道を引き返す。もちろんツボを押す手を一定のサイクルで動かし続けながら。日頃はなんとも思わない物の重いこと、重いこと。まるでお地蔵様を背負って歩いているみたいだ。ただでさえ曲がっている背中を重い荷物でより一層曲げながら、短い歩幅で一歩ずつ進んでいると山水画かなにかの中に描かれている山道を歩く修行僧の姿が浮かんできた。もちろんこちらの歩行の目的はそんな尊いものではないけれど、苦行であることには変わりない。お坊さんと同じでわが身にむち打ちながら険しい道をたどって行く。そんなことを考えていたら「人生とは険しい道を重い荷を背負って歩くようなものだ」という言葉を思い出してしまった。こんな状況下で大嫌いな徳川家康に説教されてしまう自分がなんとも情けなく、次からの一歩が一段と辛くなってしまった。
 やっとのことで建物の前にたどり着いた修行僧は一段、一段と階段を上って行き、最後に鍵を回し、残っているか細い力でドアに体当たりを食らわる。その向こうではこの夏一番の暑さの残る部屋が待ち受けていた。帰るべき場所に帰るということはとても僕を安堵させてくれる。
 苦労して手に入れたもののなんと貴重でありがたいことだろう。苦行の後、のどの粘膜にしみこんで行くビールの味はまた格別だった。「それにしてもなんと欲深い男なのだろう」。一杯目を飲み終え、しみじみと考え込んでしう。
 こんなことを人間の業(ごう)とでも言うのかもしれない。まぁ、ここまで欲深い人間はそうそういないだろうけれども。たとえそれがよいことであれ、そうでないことであれ、ここまで人間を突き動かす力というのはやはり素晴らしい。そのエネルギーをなんとかよい方向に使って行くことが出来ればもっといいのだろうけれども。

(つづく)


○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。



○新しいブログ《ボーカンシャ》です。よかったらのぞいてみて下さい。
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by seikiny1 | 2006-08-15 09:30 | 日ごろのこと
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