ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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ケバ落とし
 まだまだケバだっている。

 突如はじまった旅はやはり突如終わった。
 土壇場まで行く先のわからなかった旅はやはり最後の土壇場まで行く先がわからなかった。
 そしてニューヨーク。やっと帰ってくることが出来た。

 今はケバを落としている最中。いつそれが完全に落ちるのか、完全に落とすことが出来るのかすら全く見当がつかないのだけれど、とにかく少しずつ落ちていっていることだけはわかる。「ハラハラ」でもなければ「サラサラ」でもないけれどひとつずつ落ちていっている。
 気づいているもの、気づかないもの、この先気付くであろうもの、気づくことすらなく棺桶まで持って行くであろうもの。この旅で得たものは確実にあるはずだ。多分、たくさんあるのだろう。そして失ったもの確実にそしてたくさんある。これに限らず、とかく目に付くものは失ったものである事が多い。なんとかそこへ戻ろうと、何もすることなく二日間を送っていた。
 何かを失わなければ何ものも得ることは出来ない。荷物を持って歩かなければ快適な旅を送ることは出来ない。そんなことは頭のどこかではわかっている。それでも残してきたものがとてもいとおしく見えてきてしまう。はっきりわかっている事といえば、もう決してそこへ戻る事は出来ない。ただそれだけ。
 どこかへと踏み出し、そして帰って来る。その時にいつも感じることはやはり「『そこ』へはもう決して還ることが出来ない」というただそれだけのこと。もしかしたら、人はただそれだけのことを知るために、確認するために旅に出るのかもしれない。
 帰って来てしばし時間の経過に身をまかせる。忘れてきたなにかを感じる。取り戻そうとする。そこで取り戻すことの出来る「なにか」が自分なのだろう。
 さて、僕は今、何を取り戻そうとしているのだろう?
 そんなことわかりはしない。そうやって何度も離れては取り戻す。こんなことを繰り返しながら人はやっと自分というもののカケラだけを知る事ができるのだろう。
 今取り戻したいのはやはり白色。しいて言うなら白い時間。この三ヶ月間ほとんど手にすることのできなかった白い時間を少しずつでいいから取り戻していきたい。自然と運ぶ足取りが意識せずに戻った時にそれは還ってくるような気がしてならない。白い時間があるからゆっくりと歩むのではなく、自分の歩調で歩く事が出来るからこそ、ここにも、そこにも白い時間を見つけて行くことができる。現在の僕にとってそれを得ることが出来るのはやはりこの街、ニューヨークをおいて他にはない。ここでは全てがバランスしてくれる。それこそが僕がこの街にこだわり続ける理由だ。
 ただ、得たものはある。そう感じているものはある。それはまだクリーム色であったり、ピンク色であったりはするのだけれど白い時間を持つことのできそうな街に、土にいくつか巡り会うことが出来た。今は白色ではなくてもいつの日か白にしたい。そんな希望とも予感とも言うことが出来る町や土に出会うことが出来た。それがこの旅で得たもの。それでも今の僕にとってはまず白を取り戻すこれが最優先課題であるのだから、クリーム色やピンク色は後回しにしておこう。

 この二日間で確実に取り戻しつつあるもの。それはノートの上を走る鉛筆の感覚。鉛筆をとぐ時にうっすらと鼻に広がる木の香り。やっとボールペンにサヨナラを言うことが出来たこの気持ちは何ものにも替えることは出来ない。こんなところから自分のケバが落ちていくのを感じてしまう。自分に戻りつつある事を体感する事が出来る。
「別れた女は恋しいものだ」という人がいるけれどそれはきっとその時の自分が恋しいだけなのかもしれない。決して戻ることの出来ない自分自身が。決して落ちることのないケバがあることへの苛立ちがそういったことを言わせてしまうのかもしれない。

「僕の白が他人の白か?」と問われれば、答えは否。人はそれぞれの白色を持っているのだから。だからこそおもしろい。
○この記事を読まれて<なにか>を感じられた方。
ここを押していただけたらウレシイです。



○新しいブログ《ボーカンシャ》です。よかったらのぞいてみて下さい。
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by seikiny1 | 2006-07-25 11:32 | 旅のボヤキ
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