ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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蜜月
「どこへ行くにもピッタリとくっつきイチャイチャ」
「つかず離れずで歩いている。それでもいざといざという時には絶妙のチームワークで助けあう」
 <ステレオタイプ>という前提ではあるけれども、アメリカそして日本での男女の姿を見ているようでもある。いや、もうそんな時代じゃないか……。
「一体こいつらはいつの頃からこんな具合にひっついているんだろう?」
 そんな疑問をずっと抱えてはいたのだけれど性格上調べたことはなかった。そんな疑問がつい先日とけた。もうかれこれ百五十年もの間ひっついているらしい。そうなったのは「意外」というべきか、いや「やはり」とうなずくべきなのかもしれない。アメリカだった。
 それにしても百五十年は長い。鉛筆と消しゴムの仲。

 僕は単に「書きやすい」という理由から鉛筆を使い続けている。
 文房具屋をのぞいてみると膨大な数の筆記用具が売られている。鉛筆はその端っこの方で申し訳なさそうに箱や袋の中で肩を寄せ合っている。近頃では筆記用具そのものが以前ほどは売れなくなってきているのかもしれない。鉛筆人口はどれくらいいるのだろう?
「この筆記用具を選ぶ人は?」
 考えてみると「書きやすい」ということよりも「消すことができる」といった性能に重点を置いて選ぶ人が多いような気がする。それにしても今の子供が最初に握る筆記用具は何だろう?僕らの頃は鉛筆だった。
 どう考えても鉛筆がこれまで生きながらえてくることの出来た最大の理由は「消すことができる」といったそのことだろう。その領域もかなりの部分がシャープペンシルに取って代わられた。それでも鉛筆は生きている。「書きやすい」から。
 消しゴムは使わない。別に緊張感や、ひとつひとつが真剣勝負だといった次元の問題ではなくただ、ただめんどくさい。それだけのこと。もう数十年の間消しゴムを使った覚えがない。
 しかし、その期間も数週間前にピリオドを打った。短い間ではあるけれど消すことを前提として鉛筆を使っている。そして机の上に散らばった消しゴムのクズを眺めながら呆然となってしまった。それはまるで公害の町で出る鼻くそのようでもあった。とにかく目の前のそれを見ながらどうしたらいいのか途方に暮れていた。永年向き合ったことのない問題に直面すると、どうやら人間は阿呆になってしまうものらしい。数瞬後、小学校の頃を思い出し消しカスを集めてくずかごへ落とした。しかしそこにはあの頃の「せいせいした」という気分はなく、一種の寂寥感が残る。見えもしないのに、なぜか遠くの方に真っ赤に焼けた夕方の空がちらついていたりする。
「あそこには間違いなく僕の文字たちがあった」
 今では消しゴムにこすられ、その排泄物の中に封じ込められてしまった僕の文字たち。さっきまでそいつらがひっついていた場所にはもうすでに新たな文字が重ねられている。それでもそこには間違いなくまったく別の文字たちが存在していた。なにごともなかったかのように涼しげな顔をしている紙面が小憎たらしくさえある。
 鉛筆のお尻に目を移して見ると、そこにはまるで陽に焼けそしてきれいに一皮むけたようなピンク色の肌を持つ消しゴムが座っていた。斜めを向いてうつむいているその顔は少しの恥じらいを含んではいるけれど「まんざらでもない」という風にも見える。これまた小憎たらしい。
 そんな彼と彼女の間につっ立って僕に出来ることはと言えば、「たとえ消し去られても『あそこには別の文字があった』という事実を変えることは誰にも出来ない」、と何度も思い「自分のために何かを書くときは、やはり消しゴムを使うのはやめよう」と誓うことくらい。僕の約三十年間の成長なんてこの程度に過ぎない。
 人間というのはその存在を否定され、消されてしまうことを極端に恐れる生き物なのだろう。だからこそ僕は何かを捨て去ることが出来ない。それをやらなくていいように身の周りのものが増えるのを嫌う。そこに何もなければ失うこともないから。最低限の別れで生きていきたい。

 たった一枚の紙切れ。そんなものにさえ結果だけではなくその何倍もの経過が込められている。「消す」ということ。それほど重く見られ。扱われることはそうそうないかもしれない。それでもそれは「記録」することと同様に、いやそれ以上に大きな発明であると思う。様々な記録媒体は「消すことができる」という前提のもとに開発され普及していく。それなのにどんな優秀な消しゴムを使おうとも消し去ることの出来ないことのほうが圧倒的に多い。そうであるからこそいまだに僕達の住む社会は成り立つことが出来る。
 すべてを消し去る消しゴムはいらない。
 消しゴムを鉛筆のお尻につけた発明。それは彼(彼女)がアメリカ人であったからではなく人間であったからこそ考え付いたのだと考えると納得もいく。

 鉛筆で書いた文字をその後ろについた消しゴムで消している自分の後姿を眺めながら、もはや日本人でもなくアメリカ人にもなることも出来ないことを確認する。本当に消してしまうことのできるもの(こと)なんてなにもない。

 箱のふたを開けて覗き込んでみた。そこには短くなってしまった鉛筆がはいっている。そのお尻はどれも薄く黒ずんでいる。鉛筆と消しゴムの蜜月はここでも続く。
 鉛筆と消しゴムこのまったく相反する二人。それでもそのどちらかが欠けてしまえばその他方の存在価値が消え去る。まるで男と女のようでもある。


○○○○○○○
 一週間前、この記事をアップしようとした寸前にWORDのファイルが消えてしまった。それでもここにまた同じものを書くことが出来た。書いていた内容が内容だけに笑ってしまった。
 それでも消してしまうこと、消えてしまうことなんてあまりないようだ。そう信じたい。
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by seikiny1 | 2006-03-26 05:40 | 日ごろのこと
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