ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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「ポテトなんかいらねーよ」
 日本とアメリカで一番ありがたいことは、その言葉がすぐに額面どおり通じること。そう言えば水道の水を「ただで」飲める。鉄の胃袋を持つ僕はこれまで水が原因でおなかをこわした事はない。
 まず匂いをかいでみる。そしてひとくち。グラスを中空に浮かべたまま首を振りながら顔をしかめる。そんな光景をたまに眼にする。水を飲めるだけ、しかも透き通ったそれがただで飲める世界にいるだけでもありがたい。それがない人だっているのだから。しかもただ。ありがたい、ありがたい。
 ソーダ類が苦手な僕はマクドナルド(日本でもアメリカでも)等のファーストフードレストランでも
「お水下さい」を連発する。どこでも意外とすんなりと水をカップに入れて渡してくれる。しかしあちらも負けずに
「ポテトはいかがですか」などと笑顔を絶やさずすすめてきたりする。
 こちらも「大きなお世話だ」という心中の声を抑えてもうひとつ笑顔で「結構です」とことわる。何だか心理ゲームをやっているような錯覚に陥るのは僕だけだろうか?
 一体いつになったらこんなはらの探りあい、市場・需要開拓ゲームから開放されるのだろうか……。

 ヨーロッパで一番困ったのは水をめぐっての応酬だった。英語やつたない当地の言葉に身振り手振りを交えながらコップいっぱいの水にありつこうとする僕。いつも右手は水道の蛇口をひねる手つきだった。そいつがなかなか出てこない。一発ででてきた時は本当に嬉しくなっていた。
 ボトル入り飲料水の小瓶の値段をメニューメニューのなかに探してみると、ほとんどの場合3ユーロほど。グラス一杯のワインとたいして変わりはしない。ワインの方がどれほどいいことか。あくまでも僕の場合の話ではあるけれど。味はともかく、鉄の胃袋にはどこの水も水として十分にその作用を全うしてくれた。

「衛生上の理由や、事故の起こったときの訴訟にそなえているのかな」
 そんな考えがないでもなかった。しかしそれもあるランチタイムのレストランで霧散した。
 旅の間、食事のほとんどは現地のスーパーマーケットが親友だったのだけれど「たまには奮発してうまいもんでも喰おうか」、
 名の知れたシェフが経営する小さなレストランへ行った。もちろん水は水道水。
 美味しそうなチキンを食べ出してしばらくたったとき「ガチッ」という音が口の中から頭蓋骨を伝わって聞こえてきた。口の中を下でまさぐり掘り当てた金鉱をフォークの上に出す。約二ミリ大の白い物体がそこにはあった。ウェイターを呼んで苦情を言う。彼は皿を持ってキッチンへと向かったのだけれど、数分後白服の男を引き連れて戻ってきた。どうやら彼がシェフらしい。彼の右手には先程の白い皿が持たれている。
 満面にほほえみをたたえて彼は言う、
“Don‘t worry, just a piece of plastic.”
 ていねいにお皿を元あった場所に戻すと彼は悠々とキッチンへと消えていった。
 僕の口は再び動き出したのだけれどそれは食べるためではなく“Check please”この短い言葉を言うため。

 客とお店が本当の笑顔でふれあうことのできるお店がどの程度残されているのだろう?
 笑いながらあっちの言う言葉が「大きなお世話」でこちらの返す言葉が「このやろう」であることも結構多い。マニュアルでいくら平均点をあげてもいずれぼろが出る。笑いのオブラートに包んでしまえば全てがよいというわけでもない。結果的にそれが大きなことに結びつく事だってある。「全てを本音で言え」、というのではなくあまりにも笑顔がそれ、笑いに頼ってしまう、ごまかしてしまう世界は不健全だ。笑いに溢れる世界は理想だけれど、それは心のそこから出る喜びの笑の場合の話。笑えばいいという次元の問題ではない。
 <本日のおすすめ>というメニューの中から一品を注文しようとする時に、ウェイターの人が腰をかがめて「それ、ウマクないっすよ」なんて言われると彼の顔が天使の笑顔に見えたりするから不思議だ。
 そう、「ポテトはいらない」

 火曜日のこと、ブックオフへ行った。
 ニューヨーク店では五ドル分買えばカードにスタンプをひとつ押してくれる。ほとんどの場合僕は素敵な出会いがある一ドル本しか買わない。その日も十冊の本を手にレジへ向かった。順番がまわってきてカウンターの上に本とカードを出す。係の人が冊数と値段を確認後カードを確認して
「お客様、今日はカードの方から二ドル五十セント分引いておきますねー」と言う。
「あ、はい……」とわけのわからないまま、頭の中の電卓をはじく間もなくうなずきながらそうしてもらうことにする。
「ありがとうございますー」
 そんなかえるの合唱を背に受けながら外に出た。なんだかふにおちない。なんなんだろう?
 話はそれるけれど、コンビニやマクドナルドなどのファーストフード、そしてブックオフなどの店員の顔や声に接しながらタイヤキを思い浮かべるのは僕だけだろうか?

 金曜日まだタイヤキがのどにつかえている。一ドル本のページを繰りながら飲んだビールでやっとつかえている物がおりた。
「あれはポテトだ!」
せっかく十ドル分買ったのに七ドル五十セントのお買い上げでスタンプは一個だけ。ちゃんと最初からそれを計画していたならそんな無駄な使い方をする客はあまりいないだろう。僕は完璧に「お客様」だった。一ドル本からはその値段以上のものを貰うことも結構多い。それはありがたいことだ。それでもそんなマニュアル笑顔で客の虚をつくやり方、そのさもしい根性に腹が立つ。自分の根性はさておき、人の根性にはとりわけ僕は厳しいのだから。
「ポテトはいらない」
 でもまた行くんだろうなー。他にないから。

「他にないから」と言えばニューヨーク(多の海外都市もそうかもしれないけれど)には競争相手のいない相撲取りがいっぱいいる。言い換えれば日本人が日本人を簡単に手玉に取ることができる市場。ITから寿司屋まで。「消費者はアホだ」、「日本人はカモだ」と同じパスポートを持つ奴等がシコを踏んで景気良く塩をばら撒いている。
「ポテトはいらない」

 もし気が向いたらリサイクルのゴミの日にブックオフの前に詰まれたダンボールを蹴飛ばしてみよう。やけに重いから。
 僕は本を捨てることはおろか、売ることすらできない。
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by seikiny1 | 2006-02-05 10:19 | 日ごろのこと
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