ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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Have a Lucky Day!
 今年は元日が日曜日であったために二日が振り替え休日となり、ニューヨーカーも年末年始の三連休を味わうことが出来た。三日からは、まるで何事もなかったかのようにニューヨーカーの時計は回りだす。僕のものはいつものごとくやや遅れ気味。

 ニューヨーク。
 この街が好きで二十年近く住んでいる。そんな僕でもたまには違う街の空気を吸いに行きたくなることがある。地下鉄やニューヨーク近郊を走る路線バスに飛び乗る、という手もあるけれど、いくら郊外へ行ってもどこかにニューヨークの匂いが残っている。あと少しだけアメリカの匂いを濃くするために長距離バスに乗る。
 いつの頃からか冬の海が好きになった。特に人もまばらな冬の避暑地の浜辺を歩くのが好きだ。先月は地下鉄でコニーアイランドへ行き、数時間をそこで過ごした。ほとんどの店はシャッターを下ろし、駅前の大通りを歩く人もほとんどいない。通りの向こう側にあるホットドッグ早食いコンテストで有名なお店の窓ガラスは人暖房のためか真っ白に曇っていた。
「それでもこの町で暮らしている人がいる」、そんなことを確認するために冬の避暑地へ行くのかもしれない。《避暑地》という言葉だけで語られがちな町。そんな町にも冬はやってくる。

 長距離バスに二時間ほど揺られながらついた町。New Yearの休日のなごりのせいか、平日にもかかわらずほかの冬の時期と比べていくぶん人が多かった。ここは避暑地であると同時に、いやそれ以上に大きなキーワードがある。「その町へ行く」、と口にすると誰もが一瞬の間を置いた後に「ニッ」と笑いながら、なぜかわけしり顔でうなずきながら「あっそー」とうなずきを返してくる。その表情から彼らの頭の中に浮かんでいる六文字が僕にも読み取れる。<C・A・S・I・N・O>。

 アトランティック・シティーへ行ってきた。そこはアメリカ東海岸ではそれと知られたギャンブルの町。ラスベガスより規模は小さいとはいえ、そこここで州公認のカジノを目にすることが出来る。
 ギャンブルとはほとんど無縁な僕だけれどこの町が好きだ。そこまでも続く砂浜とボードウォーク。その反対側にはカジノホテルが林立している。その華やかさの影として(実は影に見えるだけでそちらが本物なのだけれど)、通りをはさんだ向こう側は別世界が広がる。古い教会、使われていない学校、“We Buy Gold”のネオンサインの見える質屋、小さなバー、コーヒーショップなどなど。そこを歩く人のほぼ大部分は地元の人のようだ。古く、背の低い町が広がる。ボードウォーク沿いの派手さとはうって変わり、そこには人々の生活の匂いが染み付いている。そしてこの町の小さな疲労を感じ取ることも出来る。
 そんなこの町の匂いが凝縮されているWHITE WHOUSEというレストラン。チーズ・ステーキ・サンドイッチが有名らしくお昼時になると、サラリーマンから警官まで種々雑多の地元の人でごった返す。古いながらもピカピカに磨き上げられた店内。カウンターの中では白衣に身を包んだ男たちが大きな声をかけあいテキパキと客をさばいていく。ちょっと年配のおばちゃんウェイトレスは微笑みながら「ホイヨ」、といった感じで乱雑にコーヒーを置いていく。出口付近にあるレジの前にはバリッとお化粧をしたおばあちゃんが。等身大のこの町の、アメリカの匂いをかぐことが出来る店。
 大きなサンドウイッチで膨らんでしまったおなかを抱えて浜辺へ出てみた。波打ち際では数え切れないほどのカモメたちが海を見てたたずむ。その向こうに広がる冬の荒れた海。黒い点のようにしか見えないサーファー達が上へ行ったり下へ行ったり。右へ行ったり左へ行ったり。冬にしては暖かな日だった。それでも冬であることに変わりはない。すべての条件がそろわなくても彼らは波に乗る。条件がそろわないからこそその姿が頭に焼きつくのだろう。

 好条件であるからといって、条件がそろっているからといって<それ>をやる必要はないし、「やらなければ損だ、おかしい」というのは哀しい。サーフィンは夏のスポーツかもしれないが夏=サーフィンでも、サーフィン=夏でもない。むしろ≠の関係にある何かの方が本物を感じさせてくれる。言葉で単純に結び付けてしまう、結び付けられてしまうことの愚かしさ、そして危険。
 たとえ一歩だけでもその等号の向こう側から足をずらしてみる。そこから等号の向こう側を眺めてみると全然違ったものが見えてきたりする。ステレオタイプ(固定観念)というものは、難しい事だけれどうまくそれを使いこなすことが出来れば便利なものかもしれない。しかし、ほとんどの場合は「使っている」と思っていても「使われている」結果となってしまっている。
 かつてアメリカでJapanと言えば、Fujiyama、 Geisha、 Sukiyaki、 Tempura。僕がこの国に来た頃はそれがSake、Sushi、Sony、Toyotaに変わっていた。ちょっと前はやはりSamurai。 今はなんなんだろう?映画の影響でGeishaは復活しつつある。しかし、そのどれをとっても日本人の誰もが「ウーンッ……」となってしまうだろう。
 僕自身に関してもいまだに「ホームレス」の一語ですべてを語られたり、「語ろう」という意思を感じたりすることがある。これもやはり「ウーンッ……」となる。
 人々にそれを固定させてしまうことの恐ろしさ。言葉から単純に何かを連想してしまう人間の悲しさ。どんなに情報があふれていても、想像力が欠如しているばそれはゴミも同じ。冬にサーフィンをすることも出来るし、カジノの町に行っても全く別の過ごし方はできる。

 カジノの町というのは僕達では想像できないような経済で成り立っているようだ。
 片道二時間ほどのバスの旅。その往復料金が十五ドル。目的地のカジノホテルの入り口についたバスから降りるとホテルの従業員が待ち受けていて、二十二ドルのクーポン(金券)をくれる。それも窓口へもって行けば二十二ドルの現金を渡してくれる。バスにただで乗れ、七ドルの実入りになる計算だ。ギャンブラーに成りすましてみるのもそう悪くはないかもしれない。

“Have a Lucky Day!”
 現金に交換してくれた男性は、この町特有の言葉で僕を送り出してくれた。薄暗く広大なカジノを突っ切って海へと向かう。
 条件が揃ってしまうとどうしても反発をしてしまう。
 カジノの町へ行ってギャンブルをしないことほどぜいたくな時の使い方はないのかもしれない。

「あのこと一夜を共にした」、「アムステルダムへ行った」、
 そんな言葉の後の一瞬の間。その後に見られる「ニッ」とした笑い、そしてわけしり顔でうなずく頭。そんなものが僕は嫌いなのだろう。短絡的なこと、下世話な発想が嫌いなのだろう。
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by seikiny1 | 2006-01-07 08:03 | 思うこと
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