「はじめて<人に読んでもらう>ことを前提にして文章を書いたのはいつだったっけ?」
そんなことを考えていた。壁新聞だった。あれはたしか小学校低学年の頃。なにを思い立ったのか突如として壁新聞を作りだした。新聞に入ってくる広告の裏を使い絵を描き、文を書き自宅の階段の壁に貼りだした。発行頻度は週一だったと思う。読者は父、母、姉の三人。あの頃から僕は飽きっぽかったんだろう、一年と経たないうちに廃刊。
昨日読んでいた日本の雑誌の中に、第二次世界大戦終結後の日本の出版界事情を扱った記事があった。その頃の日本はまだGHQの統制下にあり、配給される紙の量は決まっていてそれを各出版社が分かち合う、という方法がとられていたらしい。たとえば「○○社には××パウンド(アメリカで使われる重さの単位)」といった具合に。そして読み物が貴重であった当時、雑誌の発行部数=実売部数だったということだ。それは作れば作るだけ売れるということで、どれだけの紙を手に入れることができるかでその会社の儲けが決まっていたということ。紙の分配量の争いは熾烈を極めたという。
僕達の先輩方は活字に飢えていた。
僕も活字中毒であり、日本の活字に飢えていた時期があった。
十年程前のニューヨークには、日本語で書かれた無料誌というのは皆無に等しかった。あるにはあったけれどその寿命は短かった。日本語の活字メディアといえば大手新聞社の衛星版と現地版、それに現地出版社が発行していた隔週刊の新聞など。もちろん有料でなかなか手が出ない。会社勤めの人などはまだ職場でそういったものに触れることは出来たけれど、僕のような生活を送っている者にとっては定期購読は縁遠いものだった。どこかでそれを手に入れると、一週間ほどかけてそれこそなめるように隅から隅まで読んだものだ。
そういった有料誌もひとつ、またひとつと姿を消してしまい、今は無料誌の花が咲き乱れている。指折り数えてみたのだけれど、思いつくだけでも十本の指では足りない。その内容についてはいつか触れることもあるかもしれないけれど、とりあえずここでは活字に<飢える>ことがなくなったというところでとどめておこうと思う。
その結果は?
ゴミが増えて困る。
今では一誌あたりに費やす時間は数誌を除いて数分程度。数分で日本語の活字達はゴミと化していく。これが十年前だったらまずこんなことはありえなかった。街を少し歩けば無料誌のおいてある所に出会う。ついついそれを手に取り持ち帰る。一度に取るのが数誌ともなると結構な重さにもなる。ゴミになることはわかっている。それでも持ち帰ってしまう自分が哀しい。
「飢餓感を失くしてしまうと人はこうまで変わってしまうのか」、と実験台である自分を醒めた目で眺めているもう一人の自分がいる。
飢えがあり、麻痺があり、その後に飽食がやってくる。それと別のところに中毒という厄介なものもある。慣れてしまう。「ありがたい」とすら思わなくなる。その結果としてそのもの自体の価値がグンと落ち込んでしまう。そして飢えはある日突然やってくる。そんなことを繰り返しながら歴史は動いているのかもしれない。
九州で生まれ育った僕にとってニューヨークの冬は寒かった。そんな僕がここに来て一番、目にしたくない女性の格好。それは彼女達がダウンのロングコートに包まれた姿<だった>。
「女を捨ててる」
「色気もクソもあったもんじゃないな」
冷ややかな目で彼女たちを眺めながらそんなことを考えていたのだと思う。
たしかに以前とは違ってデザインもそれなりに洗練されてきたとは思う。シルエットそのものも新素材の開発のおかげもあって少しはすっきりとしてきている。しかし、そんなことより、なにより二十回近い冬を目の当たりにしてきて自分の中の意識がすれてしまったようだ。慣れてしまっている。
「冬とはこんなもんなんだ……」、と。
ダウンのロングコートに包まれた女性にも、もちろん素敵な人はいる。「それに身をまかせるしかない」という女性特有の事情もあることだろう。たしかある女性は「あれは禁断の果実よ」と言っていた。最近では「情状酌量の余地があるな」といったおおらかな目で眺めている僕がいる。
禁断の果実を手に取るか、それとも美と真摯に向き合うことができるか?このどちらしかない。
情状酌量はやっぱりやめよう。慣れてはいけないものだってある。そんななにかを自分の中にひとつでも持っていなくちゃいけない。
慣れることはそう悪いことではない。いい点だっていっぱいある。ただ大切なのは慣れきらずに小さくてもいいから常に緊張感を持ち続けることだろう。数十年のキャリアのあるミュージシャンだってステージに立つ前はいつも緊張してしまうという。だからこそすばらしい音楽を奏でることが出来るのだろう。
飽食。それはひとつの幸せかもしれないけれど、地獄の一丁目と言うこともできる。
山のような新聞の山を見て気が重くなる。今週は捨てなくっちゃ、この家に地獄絵図が繰り広げられる前に。飽食はそろそろ手控えすることにしよう。
今でもあの壁にはあるんだろうか?
紀伊國屋書店ニューヨーク店の壁には長い間日替わりで壁新聞が貼ってあった。それは手書きではなくちゃんと活字で組まれたもの。たしか共同通信社の提供だったと思う。時間がある時はそれをよく見に行っていた。その頃の僕にとって「日本の現在」を知る重要な情報源だった。
あの壁新聞を見に行っていた時代が自分の中で一番バランスが取れていたのかもしれない。飢餓感と緊張感のバランスが。
年末になり悲しいニュースが続いている。そんなことに慣れる日が来てはいけない。
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『ボヤキTV』というのができました。
ニューヨークの日系誌に三年ほど連載している僕のコラム『犬のボヤキ』とこのブログをあわせたようなコンセプトで作っていただいています。ニューヨークの街角でブツブツと言っている動く僕を見ることができます。
正直言って「観て欲しい」と「観ない方がいいんじゃない」という気持ちが半々です。
まぁ、これからもボヤいていきます。直らないでしょう。
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