夏も盛りの頃にヨーロッパから帰って来た。久しぶりの街を散歩する。「これ」といった目的もなくフラリと入った99¢ストアで「」これと出合った。山のように積み上げられたクリップボード。日本語でこれは通じるのだろうか?小さな画板を想像してもらったらいい。
実はヨーロッパへ行く前に文房具をそろえる必要がありオフィス・サプライへ行った。そのときから「欲しい」とは思っていたものの、ただの板に大きめなクリップがついたものに5ドル以上ものお金を出すことに納得できなくて見送っていた。「便利だろうなー」とは思っていたけれど、実際に使ってみてノートの上をスイスイと鉛筆が走る感触は実に気持ちいい。
今の僕になくてはならないもの。
HBの鉛筆、Wide Ruledのノート、クリップボード。消しゴムはいらない。
「ケッ、バカなこと言ってんじゃないよ」
「それは単なる言い訳で、甘えじゃないの?」
携帯電話をなくしてしまったとか、コンピューターの調子が悪くて仕事が出来ない(にならない)という話をよく耳にする。明らかに道具に依存しすぎたがために起きてしまう事故たち。事情はわかるし、それらの道具が何かをするにあたり今となっては不可欠であるのもおおよその見当はつく。とかく僕達は、
「○○がないから出来ない」、とそれが不可能である理由を自分ではなく何か別の物(者)にフリがち。とりあえずの責任転嫁(←この語源には興味がある)。そういった前置きがあり善後策を講じる。たぶんその時点で自分の中にある可能性に自らふたをしてしまうのだろう。そして最後には、
「マー、こんなところかな」、と普通では誰が見ても満足できるような代物でないもので煙に巻いてしまう。力技で自分と他人を満足させてしまうといったところでケリをつけようとする。
デジタル技術の最先端に位置する機器と、アナログの、しかも基本中の基本である道具を比べてしまうのは強引かもしれないけれど、人を批判する前に自分のことを振り返ってみる。そういったことは僕自身にも日常茶飯事で起きている。
たしかにクリップボードがあればどういう場所にいても鉛筆はスイスイと走ってくれる。僕が一番好きなスタイルは、部屋の中だとゴロゴロと寝転がって書くこと。何かをしててとっさに思いつく。いちいちテーブルに向かうのも面倒くさい。外を歩いてて立ち止まりこれほど重宝する物も少ない。これと鉛筆があれば、雨降り以外だったらどんな場所にいても、そんな角度でも書くことが出来る。
「あっ、クリップボードは台所だ。あとから書こう……」
そうして先延ばしになりそのうちやる気と記憶がどこかへ行ってしまう。途中トイレへ行くために台所を通ってもクリップボードのことは忘れてしまっていることが多い。それなのに冷蔵庫を開け、リビングへ帰ってくる頃には缶ビールを掴んでいたりする。そしてしばらく経つとまたいいわけ。
「クリップボードがないから書けない」のではなく書かないだけ。ふたをしてしまっている。それがなくても少しの間だけテーブルに向かえば済むこと。まわりに尖った鉛筆がなくてもボールペンを使えばいい。
「鉛筆でなきゃ勢いが出ない」。それは言い訳。
自分自身にある問題をとにかく何かにフッてしまう自分がいる。それでは何の解決にもならないし、生まれてくることもない。そんなことを思いながら起き上がり、台所へくリッピボードを取りに行った。
甘えてしまう人。とりあえず何かの<せい>にしてしまう人。
僕も含めて、そんな人達は自分に厳しくあたるよりもまわりの環境を整えておくことに気を配る方が早道で楽だ。そう、人間は弱い生き物なのだから楽が好き。そして楽しいことも好き。
甘えて自分にふたをしてしまう前に鉛筆をといでおこう。帰ってきたらとりあえずクリップボードをかばんから取り出して、まわりに置くようにしておこう。「勢いが大切なんだ」、と思うのならその勢いがそがれないように何かをやっておこう。自分に対する言い訳が出来ない環境。それは自分にやさしくもあり、厳しいものでもある。
実にチープな話で恥ずかしいのだけれど、今年自分が手に入れた物で最大なものはこのクリップボード。それはある人にとってのラップトップ・コンピューターにも匹敵する位置に僕の中ではある.税込み価格$1.08。
僕の中にはこれから先もシャープペンシルや消しゴムが加わることはないと思う。それでも常に鉛筆の芯だけは削っておこう。そして出来ることなら先の丸くなってしまった鉛筆でも、何かを書き続ける自分を持ち続けていたい。矜持をもって。
数日前のこと。散歩の途中で赤鉛筆を拾った。
「どんな使い方をしよう?」、と色々と考えている。赤鉛筆を握るのはかれこれ三十年ぶり。自分にふたをする道具にしないようにしなければいけない。
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『ボヤキTV』というのができました。
ニューヨークの日系誌に三年ほど連載している僕のコラム『犬のボヤキ』とこのブログをあわせたようなコンセプトで作っていただいています。ニューヨークの街角でブツブツと言っている動く僕を見ることができます。
正直言って「観て欲しい」と「観ない方がいいんじゃない」という気持ちが半々です。
まぁ、これからもボヤいていきます。直らないでしょう。