→前回より
予想はしていたものの一瞬だけとまどってしまった。平日の午後であるというのにこの駅の構内のざわつき。細い階段を上り地上へ上がる。何かを考えていたわけではなかったけれど横断歩道は渡らなかった。通りの向こう側に延々と並ぶテレビ局の車を横目に角を曲がる。僕の足はダコタ・アパートへ向かっていた。
12月8日。ジョン・レノンが亡くなった日。その真相はわからぬままにふたをされてしまった。彼がこの世を去った、という事実だけが残された。あれから二十五年。
奥をのぞき込む者、歌を唄っている者、ビラ配りをする者……。あちらからも、こちらからも絶えずフラッシュの閃光がたつ。ダコタ・アパートの入り口はそんな人達で幾重にも囲まれていた。ストロベリー・フィールドへと数歩足を進めた時、警官の大きな声が後ろから聞こえてくる。直後に群衆が動き出した。張り詰めた表情の警官が後ろか駆けて来て言う、
「皆さん歩道の端に寄って下さい!」
空っぽになった側の歩道を、私服警官に囲まれ白いバラを持った小柄なyokoさんが歩いて来ている。警官、報道陣、そして群集がそれに続く。横断歩道を渡りストロベリー・フィールドへの細い道に達した頃には、もう収集のできないほどの状態になってしまっていた。
Imagineの記念碑に花を捧げるとyokoさんは慌しく去っていった。果たしてここで目を閉じ、手を合わせ、ゆっくりジョンと話すことのできる日が彼女にはやって来るのだろうか?
最初は全くそんな気はなかった。ロウソクを置き、手をあわせたらすぐに帰るつもりでいた。人ごみというのが大の苦手で、その上そんなに厚着をしていない。しかし、気付いてみたら幾重にも取り囲まれている環の最前列で唄っている僕。陽はとうに落ちてしまい、あたりは臨時に設けられたライトに照らし出されていた。時計を見てみるともう四時間ほどが過ぎている。
Imagineの記念碑の横に群集の大きな輪ができていた。その中心には楽器を手にした人が一人増え、そして一人減り。常時十人ほどがジョンの、ビートルズの曲を演奏し続けている。一曲終わると群集から、
“Working Class Hero!”
“Mother!”
“Come Together!”
などとリクエストが入り、しばしの打ち合わせの後次の曲が始まる。それがいつまでも、いつまでも続く。彼らのレパートリーの広さには頭が下がる。それにしても僕自身がこれだけの数の彼の曲、そしてその歌詞を知っていることにあきれてしまった。イントロが入ると自然に口が動き出す。脳で記憶しているというよりも身体に刻み込まれている、と言った方が近いかもしれない。
本当にすぐ帰るつもりだった。それでも<帰る>ということを忘れていた。あの群集の歌声、うねり、波動。そういったエネルギーが僕を放してくれなかった。
「ここで唄っていきたい」、そんなことすら考えていなかったように思う。
零下の寒空の下、とても形容のすることのできない空気が息苦しいほどに満ちあふれていた。様々な肌の色、年齢、男と女、肩車をされた子供まで、そこではそんな人達の心の叫びが渦を巻いていた。
<ジョン>という名前の下に集まり、環を作り、唄い続ける人達。それはもう<ジョン>という存在をはるかに超えたエネルギーの塊となっていた。天国でほくそえんでいる彼の顔が目に浮かぶ。
たしかにジョンは天才だと思う。そしてそう呼ばれたことが彼にとって不幸であったとも言えるだろう。しかし彼のすごいところは天才ということではなく、自分の内なる叫びに誠実であったことだと思う。その時、その時の自分の叫びを常にあげ続けてきた。そして叫びたくない時には叫ばされることを拒否し続けてきた頑固さもある。誰にも静と動がある。僕は彼の動の部分よりも静の部分に強く惹かれる。ほんとうに自分、そして人間というものにクソマジメなほど忠実に生きた人だと思う。彼は、
「叫ばなければならない」
「叫ぶだけがすべてではない」
二つのことを身をもって教えてくれた。それは方法論などではなく、彼の魂から出た言葉。だからこそ人を惹きつけてやまない。それがロック魂。それは当の昔にロックという音楽の枠を超えている。だからこそ本物だと感じるのだろう。ロックというものにしばられている時、まだそこに魂はない。
人々は今でもジョンに共鳴し、その魂をあがめ、ありがたがる。
しかしそれは<ジョン>という枠にとどまらずもっともっと大きく膨らんでいってもいる。知らず知らずのうちに、その目ではジョンを見つめながらも自分の叫び声をあげ続ける。
『ジョンの魂』
それがなぜ偉大かというと、それは「ふたをしている」、「ふたをせざるを得ない」人々の魂を揺さぶり、そのふたを取り払うことのできるものであるから。ジョンの魂という起爆剤で各々の魂が開放される。人々があがめているのはジョンの魂ではなく自分の魂。たぶんそれに気付く人は少ないかもしれない。気付かせないからこそジョンはすごい。その生き方、死んでからまでもが
「ロックンロールしとーねー」
あそこには数千のロック魂があった。
段々と膨れ上がる群集がピークに達する前、流れに逆らってストロベリー・フィールドを離れる。
酒を飲みながら午後十時四十分には一人目を閉じた。
翌朝、ニューヨークの街は雪に包まれていた。
空から落ちてくる雪は人々の歌声で、ロック魂で目をさましたジョンの魂のようでもある。やがて雪は雨へと変わり、太陽が笑い出した。ジョンの魂は流れ出し、再び天へ戻っていく。
彼の魂はいつも天から僕達を見つめている。
*アルバム『ジョンの魂:John Lenon/Plastic Ono Band聴いてみて下さい。
→次回へつづく