ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
お願い
当サイト・メインコンテンツ内にある全ての著作権は筆者に帰属いたします。無断転載及び流用は固くお断りいたします(トラックバックに関しましてはこの限りではありません)。
以前の記事
カテゴリ
無駄なくスマートに?
 いつも<なにか>をしている。
 それはあたりまえの話だけれど、息をしていたり、眠っていたり、ごはんを食べていたり。しかし<なにか>のために<なにか>をすることがない。と、言うよりも頭のどこかで嫌っている。これは生きていく上では致命的なことだろう。
 もちろん靴下をはいたり、あくびをしたり、頭をかいたりはする。決して極端ななまけ者でもないと思う。それでも<なにか>のために<なにか>をすることができない。嫌いだ。
 まずスタートがあり経路をたどる。そしてゴールがある。それはわかっている。ただ、僕にはゴールというものがなく、これからもずっとそういった椅子に座る日の来ることはないだろう。ずっとフラフラと道の上を歩いていく。ただそれだけ。それ以外の歩き方をする事はないだろう。
 ただひとつわかっているのは、“THE END”というゴールがいつの日かやってくる。ただそれだけ。

《リラクゼーション》という言葉があり、もてはやされ、またそのための施設や方法が色々とあるようだ。リラックスするために<なにか>をやる。またはやらないようにする。それが僕には出来ない。まぁ、日常がリラックスと言えないこともないのだけれど。
 もちろん誰かの部屋でいい匂いがしていて、その効能を語られれば「あーなるほどねー」、とも思うし、その匂いが嫌いでなければリラックスするような気がするかもしれない。それでも「買ってみよう」とは思わない。

 コーヒーやビールは美味いから飲む。
 お風呂は身体をきれいにするためではなく、気持ちがいいから湯船に身を沈める。
 起きるために寝るわけではない。
「書きたい」という衝動があるから文章を書く。
 ビールを買いに行く時に袋を持っていくのは環境のためではない。自分がそうやりたいからだ。
 ゆっくり歩きたいからフラフラと歩くわけでもない。

 きっと僕の中にあるすべての軸は自分の、しかもその中心に向かっているのだろう。
 もちろん十年程前に結果としてホームレスになってしまったから、そんな考えになったわけでもない。思い出してみると小さな頃からそういう傾向があった。山に登る人が「そこに山があるから」、と言う気持ちに似てないこともない。頂上ではなく山だけを見つめて。もちろんそんなにカッコのいいものではないけれど。
 勉強が嫌いだったわけではない。高校も県内有数の進学校に行くには行った。それでも受験勉強というのがいやだった。もちろんその当時<なにか>のための<なにか>なんて考えてはいなかったけれど。しかし本能のどこかでそれに疑問を感じ、嫌っていたのだろう。己にむち打ち、そういった経路をたどって行った友達には頭が下がる。
 誰もが先にある<なにか>のために、手元にある<なにか>に取り組み、「好きになろう」と努力していることは僕なりにわかっている。それが人間としての価値である事も。それでも僕には出来ない。
 いっそ靴下をはくように出来てしまえたら楽なのに。


<なにか>のための<なにか>。
 それをやらなければならないことは頭の中では重々わかっている。そしてそれをやるべき時が往々にしてある、ということも。しかし、どうしても出来ない。そういった姿勢を嫌う自分がいる。始末の悪いただ頑固なだけの個人主義者なのだろう。だから結果として<なにか>をやるために気の遠くなるような道のりを歩かなければならない。「自分がどこにいるのか」不安になってしまうことも時にはある。さぁ、時間は足りるんだろうか?

<なにか>のための<なにか>。
 それでも出来ない。拒む。僕に出来ることといえば、道の途中に落ちている物を拾いながら歩く事くらいだ。たとえそのまわりにトゲがたくさん生えていようと、ベトベトと汚れていようと、とても役に立ちそうもないようなポンコツであろうと、とりあえず拾いながら歩いている。そして大事にする。身軽が身上ではあるのだけれど、僕のリュックはいつも重い。
 たまに宿でリュックの中身を床に広げて見たりする。ほとんどはどうしようもないガラクタだけれど、<なにか>と<なにか>がパチッと火花を発し化学反応を起こすことがある。もしかしたら僕自身が強引に組み合わせているだけなのかもしれない。それでもそこで何かが生まれる。
 翌朝、足を向ける方向すら決めずに宿を出て歩き出す。歩き出すうちに、昨夜軽くなったはずのリュックがまた重くなってくる。

 スタート・経路・ゴール。そんなもののない旅をする人間がひとりくらいいたっていいじゃないか。拾った物をたまに路銀に換えながら。
 もし、今、手元にある<なにか>が先の<なにか>に通じてい<た>としたら、それはそれでいい。必然なんだろう。もちろん歓迎する。

 どんなに歩いてもリュック重くならなくなった時、僕は歩く事をやめてしまうかもしれない。それが唯一ある先の<なにか>。
“THE END”
[PR]
by seikiny1 | 2005-12-06 16:57 | 思うこと
<< 時代をこえたスタンダード いれもの<2> >>
記事ランキング 画像一覧