ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
お願い
当サイト・メインコンテンツ内にある全ての著作権は筆者に帰属いたします。無断転載及び流用は固くお断りいたします(トラックバックに関しましてはこの限りではありません)。
以前の記事
カテゴリ
看板 ―その弐―

<昨日のつづき>

「プロってなんだろう?」
 電車を待ちながら、揺られながら、そして歩きながらずーっと考えていた。
 たとえ経験がなくても資格さえ取ればなることの出来るプロがある。
 経験を積み。そして誰かに認められて初めてなることができるプロがある。
 勝手に「プロだ」と宣言してしまえばなることのできるプロもある。
 たとえプロでなくても、プロ以上の技術・知識・経験を持つ人だっているはずだ。そういうものを持っていてもプロになることを嫌う人だっているに違いない。
 あー、わからない。辞書で調べてみた。

【プロ】プロフェッショナルの略。ある物事を職業として行い、それで生計を立てている人。本職。玄人(くろうと)。

 なんだかとおり一辺倒で可もなくなく不可もなくという感じだ。
 僕が思うのは他人の持たない技術・技量でまわりを安心させることのできる人。こんな感じかな。たぶん人はプロに<安心>を求めているのだと思う。プロであることを信頼して。
 プロとはなんらかの看板を背負っている者のことを指すのだろう。そしてその看板に責任を持つことのできる人。それはお店であったり、会社であったり、職業であったり、と様々なことが書いてある看板。そして一番大切なのは、その看板を背負ったからには立ち止まってしまってはいけないということだろう。
 プロとは外に対してそれをアピールすると同時に、その内側で常に意識して前に進んで行かなければならない。走らなくてもいい、たとえ一歩ずつでも。そういった姿勢を保持することのできる者を僕はプロと言うんじゃないかと思うんだけれど。
 プロであるということは、その道がどういったものであろうと大変なことだ。いつまでも歩き続けなきゃいけないんだから。そして進めなくなった時、それをあきらめた時はいさぎよく身を引かなければならない。常日頃、練習・研究を重ね、そしていつの日か引退していく野球選手のように。終止符は自分で打たなければならない。
 そしてプロ意識の欠如の結果が手抜き工事になったり、なれあいになったりする。

 その本人の意識と、まわりからの期待が大きく食い違っているのもプロというものを取り巻く大変な、やっかいなことのひとつだろう。たとえ本人にそういった能力がなかったとしても、まわりは《プロ》という看板だけを見ていることが多い。期待をし、安心<したい>。だからプロに頼るのだ。そしてプロであるためにあとひとつ大切な事は「出来ない」、「ごめんなさい」と素直に言えることじゃないだろうか。それを言うことの出来る人は、その悔しさの分だけそれからもプロとしての技術・技量を上げていくことだろう。
 プロとはきっと自信を持って「出来る」と言うことの出来る人ではなく、恥を忍びながらも「出来ない」と言うことの出来る度量を持ち合わせている人の事を指すのだろう。 看板は重いかもしれない。しかし、それに押しつぶされないだけのものを持つ人のことを。看板で誰かをつぶすのではなくて。

 プロのことを考えていたら、いやでもそのひとつひとつが自分にはね返ってくる。
 僕は胸を張って《プロ》と言えるものをひとつでもなにか持っているのだろうか?
 いつも前を向いて足を運んでいるのだろうか?
 素直に人に頭を下げることが出来るのだろうか?
 自分のどこをとっても、何に対しても《プロ》というものを持っていないことにあらためて気付かされた。それだけでも今回のインク騒動は僕にとってよかったのかもしれない。決して「安物買いの銭失い」ではなかった。

 プロというのは大変な生き方だ。しかし、多くの人がどこかで自分のことをプロと思っているのかもしれない。さぁ、とりあえず前を向いて歩こうと思う。

 ソーホーで電車を降りた。ここは僕の思い出深い場所であり、お気に入りのストリート・コーナーもある。そこにあるビルの入り口までの階段に腰をおろしてボーッとしていた。誰かが僕を呼んでいる。声のするほうへ首を向けてみると、懐かしい顔が笑っていた。二年ぶりだった。思わず抱きあった。なぜかここ最近彼のことを思い出したりすることがあった。
 神様はやっぱりプロらしい。
[PR]
by seikiny1 | 2005-12-03 16:57 | 日ごろのこと
<< いれもの<1> 看板 –その壱- >>
記事ランキング 画像一覧