ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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ペニー
 財布というものを持っていない。いや、厳密に言うとたまに持っているのだけれど、その数だけ失くしてしまっている。もう<財布を持つ>ということを半ば諦めてしまっている。僕は、よっぽどお金との縁が薄い人間なんだろう。

 地下鉄のプラットホームで斜め前の女性がいきなりしゃがみこみ、そして立ち上がった。1セント玉(ペニー)を拾っていた。
 僕も、たとえそれがペニーであろうと、周りにどれだけ人がいようと、それを見つけたら必ず拾う。そしてポケットに放り込む。財布を持たないのであちこちのズボンやジャケットから「ジャラジャラ」という音が聞こえてくる。気がついたらどこかへ行ってしまっている事もまたよくある。
 小銭を持たないで1ドル7セントの物を買物する時は1ドル紙幣を二枚出さなければならない。お釣りをポケットに入れる。そのうちどこかへ行ってしまう。それは結局2ドルの買物をしたのとあまり変わらなかったりする、
 拾う、失くす……。そんなことを繰り返しながらどこかでなんとかバランスを保っているのかもしれない。

 ヨーロッパの旅で最初の頃戸惑ったのは、その小銭に対する感覚の違いとその扱い。
 たとえば5ユーロ3セントの買物をしたとしよう。まず5ユーロ紙幣を渡して、ポケットの中に手を突っ込みゴソゴソと3セントを探す。やっと見つけて渡そうと顔を上げたら、レジのカウンターの向こう側に座っている女性は、平然とした顔で次のお客さんの計算をはじめている。
 反対に4ユーロ97セントの買物をした時は、おつりを待っている僕がまるで目にも入らぬかのように二コリともせず次のお客さんの計算をはじめる。
 自分の中で勝手に「日本人と似たような性格を持っている」と思い込んでいたドイツでも同様だった。
 小さな物を失ったり、得たりしながらバランスを保っている社会。双方がそれを理解し、了解しあっている社会というのは健康なのかもしれない。あまりにもギチギチであると歯車は回らない。

 ヨーロッパほど徹底してはいないけれどアメリカにも似た面がある。
“Forget about pennys”(「小銭はいいよ」)
 僕が好きな言葉。
 たったの数セントだけれど、「得をした」ということよりもなんだかその輪郭のゆるさがうれしい。
 またお店によってはレジの横に小さなお皿が置いてあるところもある。余分な小銭をそこへ置いていく人、ちょっと足りない小銭をそこから付け足す人。誰も損をしたとは思わない。“Your penny, My penny.”
 一セントにこだわる人、じゃまな人、必要な人がいる。それでいい。宙に浮いているコイン。それがその人達の間にある溝を埋めてくれる。小さいからこそいい。たったの一セントだけれど、それの持つ力ははかりようがない。

 こんな僕でもアメリカに来た当時はよくお釣りを待っていた。
 商品をわたしお金を受け取った後、一度新聞に目を落としたおじさんが再び目を上げて
“What are you waiting for?“とたずねる。
“I‘m waiting for my change.“ニコリともせずに言う僕におじさんは笑いながらペニーを渡してくれていた。
 日本でもそうだろうがアメリカでも消費者というのは99という数字に弱い。お店の安売りには実によく使われる数字だ。しかし、小さい店では不思議と[表示価格99セント]で[実売価格1ドル]と双方で理解了承しあっていたりする。もちろん「つりを寄こせ」と言えばわたしてくれるが、そういった店でそんな人を見かけることはあまりない。
 毎日99セントの大きなビールを二本買っている。長い間気にも止めていなかったのだけれど、実は一度もお釣りをもらった記憶がない。店主のマリオはいつも当然な顔をしてニコニコとしている。
 一日2セントだから三百六十五日だと7ドル30セントになる。結構な額だが、あの店へ行き彼と顔をあわせおしゃべりして少しだけ幸せな気分になる。それは2セント以上の価値が僕にはあると納得している。スマイルには0円以上の価値がある。そんな考え方の違いもあるのかもしれない。
 口にこそ出さないが、やっと僕も
“Forget about pennys”ということが少しわかってきたのかもしれない。
 ペニーは人と人との間の潤滑油となりうる。
 さて日本での1円玉の存在、その重みはどれくらいのものなのだろう?

 お正月までの間の週末、NYの地下鉄の乗車料金が半額になっている。MTA(NY市交通局)の利益還元大謝恩セールといったところだ。2ドルのものが1ドルになる。
先ほどペニーを拾った女性の後ろに並んで近付いてくる電車を待った。
 土曜日にもかかわらず、まるで平日の朝のように車内はほぼ満員だった。
「たった1ドルじゃないか」、と笑う人もいる。
それでもたった1ドル安いだけで、それを喜び電車に乗る人がこれだけいる。そしてこの人達はニューヨークという街にお金を落としていく。たったの1ドルでも、その及ぼす経済効果は間違いなくミリオン単位のものだろう。そして人々の心が少しだけ和らぐこの季節にそれをやってくれたことがうれしい。

<一>と言う数字をナメちゃいけない。
すべては<一>からはじまる。そして小さいからこそ、その数字には無限の可能性がある。


 たしかに昔親に言われた「ちりも積もれば山となる」ということわざは今でも自分の中に生きている。しかし「損して得とれ」ということわざもまたある。あまりにもギチギチなのは僕には息苦しいのかもしれない。少しユル過ぎるのかもしれないが。
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by seikiny1 | 2005-11-30 13:50 | 日本とアメリカと
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