ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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残心
 彼らは今年もやってきた。
 いったいどこから来て、そしてどこへと帰っていくんだろう?
 クリスマス気分は彼らの来る頃に始まる。

 近所のスーパーマーケットの前に、懐かしいおんぼろワゴンがとまっている。クリスマスまで彼らはその中で夜を明かす。
 昨日からクリスマスツリーの露天が開店した。

 サンクスギヴィング・デーが終わるとアメリカはそのすべてがクリスマスへ向かって動き始める。
 もうアメリカのあちこちでクリスマスカードが書かれ始めていることだろう。一年の思いを込めて一枚、一枚書いていく人。印刷されたカードにただサインだけをしていく人。そんな思いで大きくふくらんだかばんを持って、郵便屋さんも日を追うごとに忙しくなっていく。室内の白い壁には少しずつカードガ増えていき、夜になるとクリスマスツリーのライトの灯がそれに映る。
 アメリカのどこにも、どんな人にもクリスマスはやってくる。少しずつ、ゆっくりと。しかし確実な足取りでやってくる。二十四日の夜にピークをむかえ、そして二十五日に終わる。

 日本ではいつ頃から年末気分になるのだろう?
 年末、大晦日というのは暦の上ではお正月とくっついているけれど、気分的にはまた別のもののように僕は感じる。もちろんお正月へ向けての準備としての年末ではあるのだけれど、大晦日とお正月は別物だろう。
 大晦日には行く年にやり残したことをやってしまい、行く年の事を思う。
 あけて元日。カレンダーも新しいものにして、新たな希望を胸に抱いて新年を迎える。
 日本の大晦日はイヴではなく締めくくりの日なのだろう。正月はいきなりやって来て、余韻を残してしばらくの間その気分が続く。

 アメリカと日本のその違いはカードとも重なっている。
 クリスマスまで「パラ、パラ」と舞い込んでくるクリスマスカード。
 元旦の朝「ドポッ」と重く、嬉しい音と一緒に郵便屋さんは年賀状の束を落として行ってくれる。そしてそれ以降も思い出したように「パラ、パラ」と年賀状はやってくる。
 どこかへ行く事、それだけではなくその過程をも楽しんでいこうとするアメリカ人。
 「そこへ行く事」。まずそれを一大目標にして、わき目もふらずに突き進む。そして行き着いたことを喜び、その喜びにひたる日本人。
 一概には言えないけれど、二つの国の人々の性格、物事に対する姿勢がそれぞれが大事にしているクリスマスとお正月にあらわれているようにも思う。それへの向かい方。そして喜び方。

 日本人が余韻を楽しむ、というところはそう大きくはずれてはいないと思う。少なくとも僕の中にはそんな部分がある。そのものだけではなく、形のない、実体のない、形にする事すらできないものを楽しむ、楽しみたいと思う気持ち。どちらかというとその物自体よりも、余韻の方が評価されたりもする。無音の中に音を聞いたり、それを芸術や精神性にまで高めたりもする。少し意味が違うかもしれないけれど、武道には<残心>というものがある。一つの動作を終えたあとでも緊張を持続する心構えのことをいう。技が決まったからといって勝負が終わったわけではない。そして勝ち負けだけがすべてでもない。そういったところが外人の人にはちょっとわかりづらいのかもしれない。
 朝青龍が勝利のあとガッツポーズを取ると、相撲協会からクレームがつく。

 クリスマスの朝、おんぼろワゴンは消えてしまう。
 いったいどこへ帰っていくんだろう?
 彼らにもちょっとだけ遅いクリスマスはやってくる。

 アメリカでクリスマスの後、生のツリーの大売出しを見たことがない。
 クリスマスツリーは一夜明けるとただのゴミになってしまう。
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by seikiny1 | 2005-11-29 12:15 | 日本とアメリカと
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