ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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冬の隣人
「なんだかやばそうだなー」
 予感はしていた。二十五セントずつだけれど、この一年弱で近所にあるコイン・ランドリーの洗濯料金が五十セント値上げされた。
 月末になると必ずと言っていいほど引越しトラックと出会う。
 出て行く人。そして新しくはいってくる人。
 ここ数年で僕の住むブロックの住人の顔ぶれはかなり変わった。交通の便の良さ、大規模商業施設の完成、そして数年後には某NBAチームの本拠地となるアリーナが建設されると言う。大きな通りにある古くからある店はひとつ、またひとつとそのシャッターを閉じて、しばらくするとピカピカに光るガラス窓を持つ新しい店が生まれる。一ブロックに常時数箇所工事中のものがある。その通りは今では誰もが認めるレストラン街となってしまった。
 このエリアは、今、ブームタウン。

 人が先か?それとも環境の変化が先か?それは卵とニワトリの問答にも似ている。
 少なくともこの町は今、それが同時進行で行われていて、その表情は日々変わっていく。泣き顔なのか?それとも笑い顔なのか?
 増えているのは圧倒的に白人層。その中でも僕が「アンチャン」と呼ぶ年齢層。
 駅から家へ向かう時、ビルディングの入り口にある階段に電話を片手に腰をおろしおしゃべりにこうじている人をいつも見かける。寒さが厳しくなってきたこの時期にさえも。彼らはルーム・シェア、アパートメント・シェアをしているのだろう。この辺の小ぶりなタウンハウスのほとんどは一フロアに一世帯という作りで、数人でシェアするにはうってつけでもある。それはその分、このエリアの家賃が高くなっていることの現われでもある。
 この先、都市部では常にお金とプライベートをはかりにかけながら生きていかなければならないのかもしれない。

 冬の間だけの隣人たちがいる。
 裏庭越しに見える、五十メートルほど向こうに見えるビルディングの背中。そこに住む人達。
 夏の間はその間に引かれていた大きなカーテンが、冬になると開かれる。広々と腕を広げた数本の大きな木の葉が数日間で落ちてしまい、そして冬の隣人は現れる。
 そんな冬の隣人たちも今年はすっかり様変わりしてしまったようだ。僕の部屋の真後ろに位置するいくつかのアパート。そのうちの三部屋が去年とはうって変わり、いつもカーテンを開いている。照明もかなり明るくなったようだ。その明かりはまぶしく、なんだか落ち着かない。去年までそこにあったものは少しぼやけた古い映画のような灯りだった。今のそれはまるでデジタル技術で撮られたもののようでもある。「パキッ」とした感じ。それは室内照明や、カーテンのせいだけではなくそこに住み暮らす者の気の現れであるのかもしれない。
 とかく古株は口うるさいもので「昔はよかった」、「今の若い衆は……」、などと遠い昔から言っているらしい。かく言う僕もその例外ではなく、裏窓から見える情景が、冬の隣人達が、なんとなく居心地が悪い。ちょっとてれくさい感じ、とでも言うのだろうか。向こう側からの光に、まだ角の取れていない生活感のようなものが感じられてもじもじしてしまう。

 昨年の今頃、ななめ向かいに住んでいた男はどこへ行ってしまったのだろう?
 この冬、その部屋の窓に灯りがともったのをまだ見たことがない。
 その男はなぜかその頃の僕と似たような生活パターンを送っており、不思議な親近感を僕は抱いていた。灯りはだいたい午前四時頃になると消えていた。たまに早い時間にそれが「フッ」と消える時もあった。そんな時、僕は聞こえるはずもないのに「オヤスミ」と言っていた。
 男は四六時中ソファーに座り、その対角線上に置かれた大きめのテレビを観ていた。
 あの男はこの冬どうしているのだろう?
 元気でいてくれればそれでいい。

 名前はおろか、顔すらも知らない隣人たち。道ですれ違ってもお互いにそれとはわからぬ隣人たち。そんな隣人たちにもこんな感情が生まれる時もある。
 たしか、何かの宗教には<隣人愛>という言葉があったように思う。それはこういったものなのだろうか?
 関わり方や、その深さは昔とは、別の地域とはちがうかもしれない。それでも僕達の中には隣に住み暮らす人々への情がまだ残っているようだ。

 数日前より、裏窓から見える灯りの数が減ってきた。昨夜は二つほどしかついていなかった。裏窓からそんな黒い窓を眺めながら「みんな、いいサンクスギヴィングを送っているといいな……」。そんなことを考えている僕がいた。まだ、いごこちの悪さや、てれの残っている新しい冬の隣人たちに対してまでも、もうこんな感情が芽生え始めている自分にびっくりする。

 そして黒い窓を眺めながら、数年前のサンクスギヴィングの夜のことを思い出していた。その頃はまったく隣人というものの存在するはずのない生活を送っていた。それは真っ暗な夜だった。気持ち悪いほど静かな夜だった。いつもは夜でもにぎやかな住宅街の中を僕以外の誰も歩いていなかった。自分の足音がやけに大きく響いていた。
 今、裏庭に面した黒い窓の向こうにあの頃の自分の姿が映っている。
 あの光のない住宅街の闇は幸せというものの影だったのだろう。そしてあそこを歩いていた僕は不幸せだったか?というと、別段そうでもなかった。人の目にはそうは映らなかったかもしれないけれど、あの頃は、あの頃で、自分のありように満足していた。あの夜の空気がおいしく感じられたのだからそれは間違いない。

 一年で一番静かな夜が過ぎていった。
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by seikiny1 | 2005-11-26 10:25 | 日ごろのこと
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