ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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「アッ!」
 それは間違いなくカタカナだった。たった一秒にも満たない言葉にその女性の言いたいことのすべてが込められていた。声の方を振り返ってみると、そこにはひとりの若い女性がたたずみその脇には取っ手のとれた紙袋が落ちていた。その下にはケチャップの赤い筋が。
 ある雨の午後。
 そんなところにケチャップを落とした人への怒り。
 それをふみつぶした人へのやり場のない怒り。
 それに気付かなかった自省。
 紙袋を濡らしてしまった雨への恨み。
 「どうしよう……」といった困惑。
 それでも「なんとかしなければ」というあせり。
 ………………
 その短い一語には少なくともそれだけの感情が込められていた。それが瞬時に伝わってくる。

 忘れ物を思い出したときの「あっ」でもなく、
 人の失敗や悪事に気づいた時の「あーっ」でもなく、
 ため息の「あー」でもない。
 湯船に身を沈めた時に思わずもれてしまう「あ~」でもない。
 それは「アッ!」だった。

 考えてみれば人の感情表現はごく短い音があれば事足りるようだ。心の奥深くから発されるそれには容易に感情を託すことができる。それ以外適当な言葉が見あたらないほどに。その周囲にいる人にはそれを発した人の感情が伝わっていく。ただ、現代の生活のように目に見えない人と会話をしなければならない場合にはこの方法は適していない。
 そしてこうした言葉には世界の人々の誰もが平等であるのと同じように国境はない。頭ではなく心から発される言葉。

 やけに抑揚の激しい中国語。
 固さや、堅苦しさを感じてしまうドイツ語。
「愛してる」、とささやいてもらいたいフランス語。
 リズム感を大切に、メリハリのある流れに乗った米語。
 さて、日本語は他国の人の耳にどう響くのだろう?
 その言葉をしゃべる人の背負う歴史・地理や文化によって言葉は変わり続けているのだろう。これも実におもしろい。
 絶えず侵略を恐れてきた民族、厳しい気候と向き合う事を強いられてきた民族、広々とした大地で悠々と暮らしてきた民族、山岳地帯に暮らす人々……。様々な要因があって言葉の発展も多岐にわたっていったのだろう。
 そんな中で心が発する言葉だけは世界共通であると信じたい。根はひとつなのだから。
 多くの言葉を覚えることはできなくても、その国へ行ったら土地の言葉で「ありがとう」と「サヨナラ」だけは言いたい。
 アメリカに来た頃、“Thank you”と言いながら頭を下げてしまう自分がいやだった。今では堂々と下げている。それは心から出るものだと思うから。サヨナラに笑顔は似合わない時もあるけれど、笑顔で別れることのほうが多い。複雑な気持ちが入り混じった笑顔なのかもしれない。

 外国へ行き、たとえその国の言葉がわからなくても“I love you”の気持ちだけは伝えることが出来ると思う。
 数年前、友達の母親が大阪からニューヨークへやってきた。彼の都合がつかず一日だけともに過ごし買い物に付き合った。
 街を歩いていて彼女はいきなり立ち止まった。
「ニーちゃんこれナンボ?」
「へー。ほな二つちょうだい」
「エーって。エーって。袋なんかいらへん」
 彼女はりんごを一個僕に渡すとかじりながら歩き出した。
 何かを<伝えよう>と思う気持ちと、<わかろう>とする気持ちがあれば頭で考える言葉はそれほど必要ではないのかもしれない

 そして頭で考える言葉をどれだけ心から自然に発することができるか。
 そんな言葉を一つでも多くおぼえたい。


 さて情報伝達のほうはどうしよう?
 不必要な情報を整理するのが先決なのかもしれない。
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by seikiny1 | 2005-11-12 07:13 | 思うこと
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