ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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天国が少しだけ近く、広くなっていく
 今、締め切りに追われて記事のようなものを書いているのだけれど、むずかしい。日に何本もの記事を書く記者さんやライターさんには頭が下がるばかりだ。
 事実を見聞し、正確にしかも主観を交えることなく決められた文字数内に過不足ない情報を盛り込む。天性のものもあるだろうけれど、場数、そして必要とあらば適宜切り捨てる度胸を併せ持っていなければならない。まさに職人技だ。僕には出来ない。

 その点、現在僕がやっていることは記事のようなものとすら呼べないかもしれない。毎回<お題>を与えられてそれを調べ、取材して自分の中に放り込む。その後、僕の考えと流れで料理する。制約や制限がない分やりやすいともいえるけれど、それは同時になかなか形となって表われてくれない。それが先方から求められている事でもあり模索しながら歩いている。まぁ、僕の中ではめんどくさいけれど楽しい作業であると言ったほうが近いかもしれない。
 一番厄介なのは、自分の中にないものを放り込む、という作業。そこですぐ化学変化が起こってくれるのならいいのだけれど、そうもいかない。これには時間が必要だ。とりあえずそれをある程度自分のものにしなければ次へと進めない。そうしなければ、それまであったものと新しいものをからめる事ができない。お寿司のシャリとネタが口の中でひとつにならない感覚にも似ている。お寿司としての味も大切だけれど、お魚の味もごはんの味も失いたくはない。美味しいお寿司が熟練のお寿司屋さんの手でしか作れないように、僕程度の人間だとやはり時間が必要である。しかし仕上げなければならないし、仕上げてみたい。毎回が新しい挑戦でもある。
 新しい食材を前にした料理人はこんな思いをするのかもしれない。

 それは常に自己満足のため。他人の満足のためではない。そんなところがプロではない甘さなんだ、とはわかっている。しかし、最低でも自分だけは満足させたい。わがままだ。「あーでもない、こーでもない」、と材料をつついて転がしまわっている。しかしうまい具合に転がってはくれない。本当に難しい、創作料理は。しかも職人経験がなく、料理本を見ながらの見よう見まねでなった似非職人には難しい事だらけ。しかし、やはり楽しい。全ての根源は<楽しい>に尽きると僕は考えるから、これはいいことなのだろう。

 毎回こういう事態になることはわかっている。早めに仕込みを済ませておけばそれだけ時間もあり、いくらかでも美味しいものが出来るのはわかっている。それでも自分に言い訳をしてやまない。なまけもの。そして自分の中に苦しんでいる(?)自分を眺めているもうひとりの自分がいるのもわかっている。だからやめられないのかもしれない。
 あとひとつ言えるのは、<瞬間の力>を信じている自分がいるということ。技術や知識が拙い分、その瞬間にしか生まれない力もある。そんな何の根拠もない力を信じて待っている自分もいる。どこかで不完全燃焼を感じながらも。

 苦しみと楽しみは裏表。
 今は悪戦苦闘しているこいつもいつの日か僕のものになる日がやってくる。色々な人に会ってみなければ本当に好きな人に出会うことはできない。照れ屋で、面倒くさがり屋だから人に会うのは好きじゃないけれど大好きだ。
 毎回違った食材(お題)を与えられるのは、苦痛であり、不満足を引き起こし、そしてとっても楽しみでもある。まったく自分とは関係のなかったかのような領域に足を踏み入れる機会になるから。そしてそれを自分の中にネカセておくことができる。いつか来る日のために。その時にはもっとうまいものが食わせられることだろう。

 苦痛は最初だけ。天国を夢見ながら。自分だけの天国を。
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by seikiny1 | 2005-10-29 10:37 | 日ごろのこと
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