ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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巨人軍は強かった
 野球にはまったく興味がない。メジャーリーグはもとより日本のプロ野球にも興味はない。スポーツは観るものではなく、やるものだと思っている。スポーツファンの人には申し訳ないけれど興味がないのだからしょうがない。
 そんな僕でも小さい頃の巨人軍のV9は知っている。テレビをつけると、そして父の読む新聞からはいやでも巨人軍、長嶋、王、川上などの文字が飛び込んできていた。そして、巨人軍=強いものという公式が植えつけられた。ジャイアンツでもGでもなく巨人軍だった頃。

 原体験で<あそこ>にWTC(ワールド・トレード・センター)を見ていた者にとって、それがないという事実は実に寂しいものだ。しかし、生まれてきた時に既にそれはなく、ただそういった事件があった事のみを知る者にとってはそういった感情はあまり生まれないことだろう。
 あと数十年もすればジャイアンツは普通の球団というのが世間一般の常識になっていても何の不思議はない。

 腕を組んだり、手をつないでいる両親を見たことがない。
 そういったことも手伝ってか、人前で女性と手をつないだり、腕を組んだり、肩を抱いたりするのもされるのも苦手だ。これはまったく僕の一方的なわがままなのだけれど、いやなものはしょうがない。
 だからといって他人がそうしているのを見るのは不快でもなく、それどころか「ホノボノとしていていいなー」などと思ったりもする。
 こんな親たちを、大人たちを見て育った子供たち。近い将来、日本人もそういったことをさりげなく、実にうまくやってのけるようになっていることだろう。それにしてもアメリカ人は実にサラッとやってのける。そういったさりげなさがまた好きでもある。

 ニューヨークの地下鉄で一番空いているのは先頭車両。僕はいつもホームを歩くわずらわしさより車両内での安息をとる。いつもホームの端っこ近くで電車を待っている。
 電車がやってきた。目で空席を追いながら停車するのを待つ。
 後ろから乗り込んできた僕と同年輩のカップルが斜め前に並んで腰を下ろした。動き出した電車の中で二人は仲良くおしゃべりにこうじている。男性の腕はさりげなく女性の肩を抱いている。日曜の午後ののどかな光景。

 抱くという行為は単に愛情の表現方法のひとつではないように思う。そのほかに<護る>という気持ちの現われでもある。いくら女性が強くなったからといってもその存在はやはり弱く、護る対象であることがほとんどだ。そういった弱い者をさりげなく護る、という気持ちがさりげなさの底にはあるのだろう。やはり狩猟民族たちの方が我々農耕民族よりもそういった無意識の意識が強いように思う。
 やはり日本人にこのさりげなさが根付くには、まだまだ時間がかかるかもしれない。
 巨人軍はまだまだ勝ち続けなければいけないのだろうか?ご苦労様。

 そんな地下鉄の中でのカップルを見るともなしに見ていた。
 男性がいきなり立ち上がった。電車は三つ目の駅で停車していた。少し前に次の停車駅を告げるアナウンスが流れていた。そう、これはExpress Train(特急)。次の停車駅までは一気に三十ブロックを駆け上がる。
 立ち上がった男性の勢いにびっくりしている女性を後に男性は足早に電車の扉へと歩み去る。女性はまだ座ったまま。
「さぁ、早く。ここで降りなきゃ」
 扉の前で振り返りながら男性は言う。女性はあわてて後を追う。女性がホームに降り立った直後に扉が閉じた。
「まにあった……」

 少なくともあの肩にまわした手は<護り>のそれではなかったようだ。
 ホームを歩きながら女性は一体なにを考えていたのだろう。

 手をつなぎはしないけれど、女性を先に送り出す事くらいは僕もやる。
 抱くという行為は考えずに自然と出てくるからこそその価値があるのかもしれない。抱くことをする前に、護ることを本能で知っていなければそれは自分を抱きしめているに過ぎない。
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by seikiny1 | 2005-10-25 08:09 | 日ごろのこと
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