ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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リップクリーム
 子供の頃はチョッキという言葉しか知らなかった。それは毛糸で編まれたかぶり式のもの。中学一年生の頃、ダウンベストが大流行してベストという名をはじめて知った。それ以来、チョッキ=かっこ悪い、ベスト=そうでもない、といった公式が頭の中にできている。それでもベストを着ることは最近まであまりなかった。

 秋もどうやら本物になってきたみたいだ。日中、長袖のシャツで歩く街は気持ちいい。今日はいつもより少しだけ長い時間外にいることになりそうなので、クローゼットの奥からここ三年ほど愛用しているフリースのベストを引っ張り出した。軽く、かさばらず、季節の変わり目には重宝する。

「?」
 ポケットに何か入っている。
 左のポケットからは昨年の今頃、銀座のマツモトキヨシで買ったのど飴。そして、この二年ほど使っているリップクリームが出てきた。
 右のポケットからは、この春に給料を受け取る際にもらった封筒、そしてイーストヴィレッジのバーで自称アーティストが僕の名前をグラフィティー風に書いてくれた紙切れが出てきた。そういえばあの夜、それと引き換えに一ドル紙幣をを持っていかれたっけ。
 封筒はゴミ箱へ、のど飴はダイニングのテーブルの上に。紙切れは再びポケットにしまう。そういえばヨーロッパから帰って来た日にこのテーブルの前に腰をおろし、ズボンのポケットを空にした時に出て来た二十セント硬貨(ユーロ)はまだテーブルの上に転がっている。
 さて、このリップクリームとまたひと冬を越すのだろうか?
 いくつものポケットやかばんの中を転がりながら思い出したように役に立ってくれる。やはり冬場はこれなしだとつらい。それなのにどこかに紛れ込み、次のを買う。まるで昔の百円ライターのように、その生命が永遠であるかのような錯覚にとらわれる時すらある。

 母親にチョッキを着せられていた頃、リップクリームなんてお目にかかったことがなかった。それは<その辺に転がっている>という存在ではなかった。ある日、薬箱を開けたら細かく仕切られた四角の中のひとつにポツリとおさまっているザーネのリップクリームを見つけたときの情景、そのケースの色、赤と青の点、そんなものまでよく覚えている。それだけ特別なものだったのだろう。<何か>のために存在していた大切なものだった。どこかに忘れ去られる事はなかったように思う。
 今では冬はおろか夏場でも「あぁ、リップクリームが欲しいな」、と思う時もある。それは僕の年齢によるものなのか?住み暮らす場所が変わったせいか?地球環境が変わってしまったせいか?

 毎年キチリと衣替えするわけではなく、ただなんとなく袖が長くなったり短くなったり。生地が厚くなったり、薄くなったり。Fade inそしてFade out。季節の終わりに洗濯や、クリーニングに持っていかない物だってある。そしてポケットの中には忘れ物。思わぬ発見。
 そのひとつひとつを通して、ちょっと昔の事を思い出したりする。
 忘れていた物が、忘れがたい物や、者を思い出させてくれる。まるで、そのためにそこへ忘れられたかのように。物を通して情景が目の前に拡がっていく。

 忘れ物をすることはは決して悪いものではない。

 ベストをはおってでかけた。

 あと十日ほどで冬時間になる。長くて寒い冬がそこまで来ている。
 北欧の冬はどんな冬なんだろう?
 冬を忍ぶことで、春の喜びもひときわ大きくなるのだろう。
 冬を経験せずに春の喜びだけを味わう。そこには何か不完全燃焼のようなものがあるような気がする。

 ポケットにはリップクリーム。
 何か忘れ物はないかな?
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by seikiny1 | 2005-10-21 08:09 | 日ごろのこと
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