ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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たばこ屋のおばあちゃん
 しげしげと僕の顔をのぞきこみながら、「あんたにゃ売れんね……」、おばあちゃんは言った。
「くそババア!」、心の中で毒づきながら次へ向かう。
 その当時は鬼に見えた。
 わざと目をそらすように。無言で差し出してくれるおじさん。
 その当時は神に見えた。

 中学生の頃タバコ屋へ行った時のこと。
 常習性こそまだなかったけれど、そこにある甘く危険な香りはとても魅力的だった。それを喫うと、なんだか少しだけ大人になった気がした。
 あの頃は自動販売機もあまりなく、父親のおつかいでタバコを買いに走る子供たちを町のあちこちで見かけた。<タバコはタバコ屋で買うもの>、と相場は決まっていた。

 三十年が経過している。一時は日に四十本ほど喫っていたけれど今では七本程度。しかも「おいしい」、と感じる事がとても少なくなっている。ほとんどの場合は、<起きたから>、<飯を食ったから>、<酒を飲んでいるから>などといった生活する上でのアクセントのような感じで喫っている。
 しかし、タバコがあったからこその出会いや、会話もあった。それらが自分の健康と引き換えにするほど価値があったかどうか?難しい……。今の僕に結論を出す事は出来ない。

「飲食店内での喫煙は勘弁して欲しいな」。日本へ帰った際に常々思っていたこと。
 ニューヨーク市で、飲食店々内での喫煙が禁止されて、もうそろそろ十年くらい経つように思う。常識とはおそろしいもので、僕の頭の中にも<タバコ=外で喫うもの>という公式がすっかりと出来上がっている。日本の飲食店々内でのタバコ、確かに煙も気になるけれど<勘弁して欲しい>理由はそこではない。もっと自分を中心としたところにある。
 喫煙者と非喫煙者が同居する空間。喫う側である、こちらが気を使ってしまうから。気が引けてしまう。ただ、それだけの理由。他人の射るような眼差しを浴びながら、時折どこからか聞こえてくる咳払いの圧迫を受けながら喫うタバコはまったく楽しめない。その上、タバコを喫うために席を立ったり、店の入り口付近で喫っていたりすると奇異の眼差しを浴びせかけられる。常識の範疇にないから実に怪しい。
 人はいくつもの常識を器用に使い分ける事ができるほど器用な生き物ではないみたいだ。

 ニューヨークでは、やはりそこでの常識に従わなければ<ならない>。その前には良識というものがなければならないのだけれど。
 常識に従って店外でタバコを喫っていると、喫煙者同士で不思議な一体感が生まれたり、意外なコミュニケーションが芽生えたりすることがある。
 まだ、二、三度しか足を運んだことのないバーのバーテンダーと一緒になり、
「寒いねー、どこから来たの?」、からはじまり、彼も僕も国こそ違うけれど炭鉱町の出身という共通点で仲良くなったりもする。店内に一緒に戻り、おごられたりもする。もちろん断らない。
 本屋の外で、「変わった香りね、それなんって言う銘柄?」、と女の子にきかれ、話が弾んだりもする。
 平日のオフィスビルの入り口付近で喫っていると、毎日同じ時間に同じメンツと会ったりもする。しゃべりはしなくても、そのうちに目であいさつをするようになったりもする。偶然、近所のバーで出会って飲み友達になることだってある。
 地下鉄の入り口で、バスの乗り場で、歩道でタバコの喫い方、吸殻の始末の仕方などを観察しながらその人の人となりや、背景などに思いをめぐらしてみる事もまた楽しい。
 タバコもコミュニケーションの道具のひとつ。

 散歩の途中、フラリと寄ったはじめての雑貨屋。ところ狭し、と並べられた品物に店内は埋め尽くされていた。おもしろそうなものを物色しながら歩き回る。どこから、どう見ても、「この男は買わない」、という事がわかるのだろう。接客される事もなく、おかげで気軽にあれやこれやと手に取って眺めてみたりする。
 隣の女性は、一所懸命に接客されている。この国の人は接客されるのも、またとっても上手だ。とにかく、それが何であれ楽しみを見つけるのが上手、と言った方がいいのかもしれない。
「これはどう?」
「まぁ!かわいいわね!」
「あなたってさっきから何を見ても『かわいい』ってしか言わないのね」
「どうしてだかわかる?」
「わからないけど……」
「だって今日は金曜日なんですもの」
「そうよね、金曜日の夕方だもんね」
「アハハハハハハハ……」
 とてもくつろいだ、和やかな空気が店内に満ちあふれた。
 あれや、これやと手にとって眺めた末にその女性は、レジ近くに置かれた黒地にオレンジ色のパンプキンが印刷されているハロウィン用の紙ナプキンを一パック買って出て行った。

 少しずつだけど、スーパーなどでself-service checkout sysemが目に付くようになってきた。機械が色々と話しかけてくれる。しかし、こちらから話しかけても応じてくれる気配はまったくない。お釣りを間違えることのないかわりに、ニッコリと笑う事もしない。そんな機械のほとんどは日本から来ているという。
 今ではほとんどの地下鉄駅で自動券売機を見ることが出来る。タイムズ・スクエアなど観光客の多い駅では日本語の表示される物さえある。その一方で券売所が次々と閉鎖されている。トークン(代用硬貨)はとうの昔に消えてしまった。

 遅々として進まないレジの向こう側で、今晩のデートのおしゃべりをしている女の子の楽しそうな声が聞かれなくなる日が来るのだろうか?
 お金を渡し、お釣りをもらう。最後に「おやすみ」といって別れる。そんなやり取りも昔話になってしまうのだろうか?
 券売所の防弾ガラスごしに、無愛想な地下鉄職員とマイクでやり取りをしたあの頃を懐かしく思う日が来るのだろうか?
 機械は職だけではなく、小さなふれあいまでも僕らの手から奪ってしまうのだろうか?


 この街、この国のいいところのひとつ。それは壁が低いということ。見知らぬ同士でも軽く会話をする事ができる。
 
 当分、タバコはやめられそうもないな。
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by seikiny1 | 2005-10-09 04:13 | 日ごろのこと
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