ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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焼き茄子
 冷蔵庫の中を眺めながら晩飯のおかずを考えていた。茄子が二本転がっていた。

 焼き茄子は網で焼くものだと思っていた。それにしょうが醤油をかけ、かつお節をのっけて食べる。アツアツでもよし、冷めたのもまた美味しい。頭の中でサッパリ、という文字が広がりその後ろに冷たいビールが見え隠れする。そういえば子供の頃はしょうがが大嫌いだっのだけれども、いつの間にか好物になっている。嗜好なんて本当にいい加減なもんだ。
 いざ作ろうという段階になって意見が大幅に食い違っていた。その人は言う。
「フライパンをあっためて」
「???」
「ごま油を入れて……」
「?????」
 なんだか頭の中が混乱してきた。焼き茄子だろ……。頭の中に広がっていたサッパリ感の輪郭が少しずつ丸みを帯びてきてしまった。さて、どんなものが出来るんだろう?
 出来上がったものは、僕の頭の中では<茄子の焼き浸し>というものだった。少々のサッパリはあるけれど、どちらかというとコッテリのほうにやや傾いているもの。多分、飲み屋のメニューから焼き茄子を注文してこれが出てきたらひと言は言うと思う。「これ、焼き茄子かー?」。それでも食べるのはわかっているけれど、ひと言だけ言いたい。
 頭の中がサッパリで埋まっている時にこれを出されたらショックは大きいだろう。今回は、「?」の前触れがあったのでショックはかなり小さかった。何かを通じてコミュニケーションがとれないのはつらい。しかし、それは作り上げていくしかない。

 頭の中の焼き茄子と、目の前のものを比べつつも箸を動かす。
 名前って言うのはそう大切なものじゃない。もし小さい頃に父親から「コーヒーは美味いな」、と言われながらビールを毎日飲まされていたとしたら世界中の誰もがそれをコーヒーと主張して譲らなくても、それは僕にとっては絶対にビールであり続けるだろう。名前なんて大した事じゃない。はっきり言ってどうだっていい。大切なものは名前なんかではなく、<そのもの>だと思う。それが美味いか、不味いか。名前は、その感情を伝えるために、共有するためにだけある。言葉は、自分以外の誰かと何かを共有するためだけの道具に過ぎない。単なるコミュニケーションの道具の一つに過ぎない。大切なのはそれを<うまい>と感じる二人の心。
 何度ものすれ違い、試行錯誤を重ねながら言葉が出来上がっていく。何かを共有するために。言葉が通じなくても喜び、悲しみ、怒り、嘆き、感動、憎しみ、恐怖、愛情……、感情は伝える事が出来るし、受け止めることだって出来る。たとえ相手が虫であれ、花であれそれが出来ると僕は信じる。

 言葉はいつも後から追いかけてくるものだと思う。たとえば見ず知らずの人と目があっただけで何かを共有できる事だってある。言葉は大切なようで、それほど大切なものではないのかもしれない。

「ゴキブリを殺して」、と言われた。
 僕はトロイふりをしながら何度も失敗する。からぶりを繰り返す。共有が出来ないから。言葉はあるけれど、共感が出来ない。
 少し前の話になるけれど、腕にとまった蚊を見ながら友達がつぶやいた。
“They have to eat.”
 今でもその言葉は僕の頭の中でこだましている。
 それでも蒸し暑い夜に蚊取り線香を焚く自分。この矛盾。自分の中の言い訳は?言葉はいらない。

 焼き茄子はとても美味かった。
 それが焼き茄子だっていいじゃないか。
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by seikiny1 | 2005-09-16 15:45 | 思うこと
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