ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30
お願い
当サイト・メインコンテンツ内にある全ての著作権は筆者に帰属いたします。無断転載及び流用は固くお断りいたします(トラックバックに関しましてはこの限りではありません)。
以前の記事
カテゴリ
 植木鉢の土がかわいそうだ。
 先月、長い旅行から帰ってきたら、シクラメンの鉢植えが枯れてしまっていた。水やりを頼んでいたのに。あんなに目立つところにあるのに忘れてしまったのだろうか?いくらなんでも気付くだろう。これは僕の甘え。今ではこんな期待も通じない世の中になってしまっているのかもしれない。
 窓辺から持ち上げた植木鉢はとても軽かった。

 すっかり乾いてしまっていた土に、もう一月以上も水をやり続けている。一パーセント以下の可能性かもしれないけれど、毎日再生を祈りながら。
 植木鉢の置いてある窓の外には、周りのビルの裏庭が広がっている。行儀よく、四角く区切られたそこはまるで人々の表情のようだ。
 毎日たくさんの洗濯物が干してある四角。
 なぜか片隅に一年中ソファが置かれた、ひまわりの咲く四角。
 サンルームのある四角。
 春先になると毎年チューリップの行列が見られる四角。
 <ガーデン>という名がピッタリな、手入れの行き届いた緑豊かな四角。
 その隣のたくましい雑草に覆われた四角(それでも隣のガーデンの持ち主は、夏の間毎日のように塀越しにホースでそこにみずをまく)。
 きゅうくつそうに、肩を寄せ合いながら様々な表情を浮かべている。そこでは土が生きている。暑さで青色吐息になったり、冬の雪に凍えながらも土は生きている。たしかに息吹を感じる事が出来る。雑草は土から栄養をもらいたくましく育つ。

 鉢植えの土。窓際に置かれたシクラメンの土。これは多分製品としての土だろう。ここには雑草の種さえ飛んでくる事はなく、生きているのか死んでいるのかさえもわからない。同じ土なのに。たった数ミリのガラスの向こうなのに、四角の土とはまったく違った悲しそうな表情をたたえ続けていた。

 今朝、膜が張ったようにうっすらと緑が鉢植えの土をおおっていた。どうやらコケの一種のようだ。朝陽を浴びながら、彼女はキラキラと照れ笑いを浮かべているようだった。

 たとえ不毛と言われようが、死んだものに対してもあきらめない。生を吹き込み続ける。自己満足で終わるかもしれないけれど、そこから新たな生がめばえる可能性はゼロではないと信じて。たとえ目には映らなくとも生は生まれる。
[PR]
by seikiny1 | 2005-09-15 08:49 | 日ごろのこと
<< 焼き茄子 EDGE >>
記事ランキング 画像一覧