ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
お願い
当サイト・メインコンテンツ内にある全ての著作権は筆者に帰属いたします。無断転載及び流用は固くお断りいたします(トラックバックに関しましてはこの限りではありません)。
以前の記事
カテゴリ
 辞書で調べてみると「採光や通風のために、壁、屋根などに設けた開口部」とある。そもそも、あらゆる意味での外部から身を護るための囲い -壁・屋根- を作った者が、それでも外部との接触を要して、欲して作ったものらしい。最初の流れは内部からだった。ズボンについている窓だって、外部との接触を求めた結果の産物だろう。
 <交流>というからには一方通行ではなく交互通行。内部での快適さと引き換えにその代償も求められる。いや、払わなければならないこともある。窓から外を眺めるだけでなく、覗かれる事だってある。外が見えているのに触れることの出来ないもどかしさだってある。全てをもらえることなんてないんだから。

 脇道であり、今では本道の感もあるけれど、人間のどこかにくすぶっている<見せる>、<見せたい>という気持ちを満たすために窓が作られる事もある。それは物理的な窓に限らず、精神的であることもある。人に見せるための窓、多くの人はそんなものを心のどこかに持っている。大きいのもあれば小さいのもある。
 見せるための窓。お店の場合はショーウィンドウと呼ばれる。そこから入っていったり、覗き込むことはあまり出来ないけれど、そこから発せられるメッセージに人々は反応する。そして何よりも、それがあることでその空間は解放感に包まれる。壁にドア一枚だけがあるお店。そんな店はどうしても敬遠してしまう。まず拒絶する事が前提であるかのようなイメージを受けてしまうから。
 不動産の高さからか、日本などでは通常路面店であったり、ショッピングセンターの中に店舗を持つ業種ですら、ここニューヨークではビルディングの奥深くにあることが多い。そういった所へはセキュリティーを通り、エレベーターに乗って行かなければならない。敷居が高くなってしまう。よほどの用事でもない限り、そういった場所に足を踏み入れる事はない。面倒くさいし、居心地もよくない。閉塞された空間ではやはり息が詰まってしまう。彼らは窓をふさぐことによって安全・快適を得、チャンスを失った。どちらがいいと言うことは出来ないけれど、それもひとつの選択なんだろう。何事もどこかでバランスするものなのだから。
 窓がある店には、その店の前を通過する身からすればやはり安心感がある。そうして、ふらりと入ってしまう。旅先で困った時に、何度そういったところの敷居をフラリとまたいだ事か。そして助けられた事か。そこにはコミュニケーションがある。その開放された空間にいる人も、窓があるおかげで自然と開放的になる事だってあるだろう(もちろんそれゆえの緊張感は伴うだろうけれど)。何度もそういった人達に助けられた。そうして「どうせお金を落とすなら」、と次には些細なものではあるけれど落とす事もある。窓を開くことによって、そういった繋がりが出来ていく。それは壁をも通すほどの力がある。
 <ガラス張り>という言葉がある。それはお互いを尊重し、認め合った上での安心ということなんだろう。

 田舎の家の窓はどうしても小さく見えてしまう。
 都会のアパートの窓はどこも大きく取られている。
 これは僕が旅をしていて受けた印象。一概には言えないだろうけれど、そこには安心・安全とコミュニケーションといった要素が絡み合っているのかな?と思ったりもする。都会の人は人口の密集に伴う危険の増加に対する安全対策の反面、もっと、もっと人との交流を求めているのかもしれない。矛盾しているようだけれど。ひとりで生きていくことなんてできないんだから。

 僕は大きな窓が好きだ。とても伸びやかな気分にさせてくれる。
 emailやコメントの書き込みにもWordを使う。小さな窓から書き込むよりも、いくらかまともな文章が書けるような気がするから。
 窓は交流するためにあるのだから。

 以前聞いたとおりに、オランダの町の窓はどこも大きかった。カーテンすら引かれていないところも多く、覗き込もうと思えばいとも簡単にする事が出来る。それは開放的というよりも、古くからの宗教上の慣習のなごりらしいが、そういった環境から内側にも、外側にも自然に開放といったものが生まれているのかもしれない。有名な飾り窓だって、その辺と関係ないとは言えないだろう。

 窓、それは信頼の上に成り立っている。信頼がなければ窓を作る事は出来ない。
 鉄格子のある窓、シャッターの下ろされたウィンドー。そんなものを見ていると悲しくなる時がある。人々があまりにも一方的であるような、一方通行であるような。それは壁以上に悲しいものなのかもしれない。窓のあり方というのは、その時、その社会を象徴する物と言えるだろう。
 窓があっても壁にしか見えない時もある。窓口機能がまったく働いておらず、それは壁に等しい。

 四年前、窓から飛び降りた、飛び降りざるを得なかった多くの人々がいた。
 今日と同じような青空だった。
[PR]
by seikiny1 | 2005-09-12 04:52 | 思うこと
<< カウンター 笑う男 >>
記事ランキング 画像一覧