ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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 もう何年<絵>というものを描いていないんだろう?
 中学を卒業して以来とすると二十年以上も描いていないことになる。
 この夏の最後の海を見に行き、浜辺でボーッとしながら「絵を描くのもいいかもしれない」。そんなことを考えていた。

 小学生のころ、校外での写生などとなると誰の画用紙にも、必ずといっていいほど赤色と白色で塗りわけられた大きな煙突が入っていた。煙突は僕の生まれ育った町の情景の一部であり、それは町の象徴でもあった。小学生の耳にも<公害>という言葉が入りはじめてきてはいたけれど、モクモクと力強く煙をはき出す煙突はそんなものとは全く別の場所を占め、僕達をやさしく見守りまるで護っていてくれるかのようだった。

 そして次第に、公害が声高に叫ばれるようになり、煙突は悪の象徴のような言われ方をするようになっていった。煙突を見て胸をときめかせる事なんて、今の時代に育つ子供たちにはないだろう。それでも僕は煙突を見るといまだに、なんだかどきどきしてしまう。
 海からニューヨークへと帰る途中、バスの窓から見える大きな煙突を眺めながら小学生のころの僕に一瞬だけ還っていた。煙突を描いてみるのもいいかもしれない。
 いまや煙突は嫌悪の対象であるかのように、どこへ行っても忌み嫌われている。

 たとえ同じ姿かたちをしていようとも、それを取り巻く環境が、それを見る者の立場が変わってしまえばそれは全く別なものとなってしまう時がある。ある時の神が、時を経て悪魔になってしまうことなんて珍しい事じゃない。
 自分の例をとれば、ホームレスだった男が本を出したり、説教めいたことを垂れたりするなんて二十年前では考えられなかった事だろう。その時代にもホームレスはたしかに存在し、これからもそれは変わる事はないだろうが、先のことなんか誰にもわかりはしない。全くわからない。それだからこそ、おもしろいのだけれど……。
 こんなとても不安定な地盤の上でみんながなんとか生きている。そうするしかない。そうであるからこそ、自分の行いを信じ、自信を持って歩いていくしかないのかもしれない。あがめられても、おごり高ぶらず。けなされても、卑屈になることなく。ただ自分を信じて。視点を変えてみることも大切だけれど、こだわるべき時、事にはこだわっていきたい。無理をせず、自分の力の及ぶ範囲で。それでいい。
 絶対悪、絶対善なんてありっこない。目先ばかりを見て、追いかけていても何の解決にもなりゃしない。あいつのいやなところをもひっくるめて好きになったっていいと思う。そうあるべきであると思う。だからもっと好きになれるんだと思う。そうなるためには、もっといっぱい食べて、胃袋を大きくしなくては。

 炭鉱の火が消えて以来、あの町から以前のような力強さを感じる事がなくなってしまった。あの煙突でさえ、細い煙を申し訳なさそうに吐いているように見えてしまう。町に大きな活力と財をおとしてくれたあの企業も今はもうない。撤退してしまった。町の人の声を聞くと、その企業を憎む声の方がどうしても高く聞こえてくる。大きな、面倒な置き土産を残していってしまったのも事実だけれど、憎むだけでは、闘うだけでは何の解決にもなりはしない。それは、お荷物を別の誰かに背負わせるだけだろう。それで満足なのだろうか?
 世界のどこかで起こっている戦争が、何かの解決への近道とは僕にはどうしても思えてこない。

 さて、次にやり玉にあげられるのは誰だろう?
 僕かもしれないし、あなたかもしれない。
 そうなった時に、どういう態度をとるかだけは決めておこうと思う。悪循環は誰かがどこかで断ち切らなければならない。善といわれるものが、一夜にして悪と呼ばれるようになる。そんな世界に住んでいるのだから。

 十数年前、久々に生まれ育った町へ帰った。
 数十パーセントしか操業していない夜の工場地帯を車で通り抜けながら、映画<ブレードランナー>のシーンを思い出していた。
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by seikiny1 | 2005-09-10 06:21 | 思うこと
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