ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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禅自問自答
♪勝つと思うな 思えば負けよ……♪    -美空ひばり「柔」-

 ずいぶん昔の話になってしまうけれど、よくこの歌を口ずさんでいた。特に試合の前などは必ずと言っていいほどに。そして、「勝とう」、と思っても、思わなくても負けるときには負けていた。それでも次の試合の前にはまた口ずさむ。歌詞の冒頭の部分しか知らないので、これを繰り返し、繰り返し口ずさむ。そして勝ったり、負けたり。
 あれは一体なんだったのだろう?
 それだけ勝ち負けにこだわっていたのかもしれない。こだわらなければならなかったのかもしれない。
 それにしても、あの時代の<歌>の影響力というのは現代の比ではなかった。

<勝つ>ってなんだろう?
 勝たなきゃいけないのか?
 その歌を口ずさまなくなったのは、そんなことを考えていたからではない。もっと別のところに理由があるように思う。時とともに歌は風化し、自分も、取り巻く環境も変化を続けている。それでも、この先「柔」を口ずさむ事はあまりないように思う。
 最近、勝ち負けについて考える事がよくある。その二つでしか価値判断を下さない人も多い。口では「そんなもんじゃない」、という人ですらやはりどこかで勝ち負けにこだわる。そもそも、こんな事を書いている僕もこだわるからこそ、勝ちとか、負けとか考えているのだろう。
 生きていくということは、最後まで大小さまざまな<勝ち>と<負け>に満ちあふれている。それがすべて、と言ってもいいかもしれない。そして、それが勝負である以上,そこには<勝ち>があり、そして<負け>もある。たとえ表面上、ただの結果と割り切ってもそういった事実の積み重ねであることに間違いはないだろう。そして、人々は勝者を賞賛し、敗者を哀れむ。しかし、本当にそれでいいのだろうか?
 勝つ事が常に善であり、正であるとは限らない。そうでない場合の方が多いのかもしれない。
 勝ち続けるためには途方もないエネルギーと、積み重ね、そしてほんの少しの才が必要とされる。そのすべてが善であり、正である可能性はきわめて低い。結果だけを見れば善であり、正であるように見えるそれも細部を見ればとんでもないものである事がある。そこまでして勝たなければならないのだろうか?勝ち続ける必要があるのだろうか?
 僕は最期(死ぬ時)に笑えばそれでいいとは思わない。ずっと、ずっと笑っていたい。その影に悔し涙や、悲しみの涙があろうともずっと笑って生きていきたい。

 あえて負けを選ぶ事はない。人間はやはり勝ちたい。それが本能だろう。ただ、負けの中から学べることのなんと多いことだろう。一所懸命に闘って負ける。これはとても価値あることだ。百の勝利より、たった一つの負けから学ぶことのなんと多いことか。学ぶことによって、他の者の目には<負け>と映るそれも<勝ち>とすることが出来る。勝ちにこだわるより、負けにこだわりたい。負け方にこだわっていきたい。負けた者にしか見えないものが必ずある。もちろん<勝ち>、<負け>が頭の中から消えてしまう事が理想ではあるのだけれど、そんなところからは遥か遠いところにいる。

 街を歩いていて思うことがある。
 近代の戦争において負けたことのある国と、そうでない国との差異。
 本当に大切なのは<勝つ>事ではなく<克つ>事なのだと思う。負けても<克つ>ことは出来る。

 数日前に夢を見た。
 そこでは<色じかけ>にコロッといってしまった自分をもうひとりの僕が眺めていた。
 負けてしまった。そして克つことも出来なかった。
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by seikiny1 | 2005-09-02 05:34 | 思うこと
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