ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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風鈴
 ニューヨークのエアコン。日本とは違って、そのほとんどは窓枠に直接取り付ける式だ。あちらの窓からも、こちらの窓からも不恰好なエアコンのコンプレッサーがお尻を突き出している。この街に来た当初はこの光景が不思議であり、数十階の高さに遠く見えるそれらを眺めながら「あのかたまりが落ちてきたら確実に死ぬな」、と不安でもあった。幸いにも、今のところその現場に遭ったことはない。
 今でも目にする窓に直接取り付ける式の四角い扇風機。それはとてもゆっくりとした速度でエアコンへと変わっていっているようだ。
 そして僕の部屋の窓枠。窓は常に開け放たれている。時折、「チリン、チリン……」、と音が聞こえてくる。エアコンはおろか、四角い扇風機すらないけれどそこには風鈴が下がっている。

 ニューヨークの街を歩いていてエアコンから落ちる水滴があたった時、「あっ、夏が来たな」、と思う。
 
 小さい頃、どこの家の軒端にも風鈴が下がっていた。存在感というものはなく、「当然そこにあるもの」としてあたりまえの光景だった。あちこちで鳴る涼やかな風鈴の音が夏の町の音だった。
 今、日本の町を歩いてもあまり風鈴の声を聞くことはない。たまに呼びかけられると、なにやら嬉しい気持ちになってしまう。風鈴はいつの間にやら<軒下に当然ぶら下がっているもの>から<欲しくて>買う、存在感を併せ持つものとなってしまったようだ。まぁ、冷房のきいた部屋では窓を開けることも少なく、風鈴を下げていても意味のないことなのかもしれないけれど。
 それこそ毎日-いや毎秒かもしれない-新しいものが世に出て、そのほとんどは消えていく。残るものはごくわずか。しかし確実に新しいものが増えている。その分だけ僕らは気づかないところで何かを失い続けている。器というものには限りがあり、すべての物を持つことは絶対にできない。水が入り続ける限り、こぼし続けなければならない。便利なものが生まれると、古いものは眠ってしまわなければならない。そして、その取捨選択を最終的にするのはほとんどの場合、ほかの誰かではなく僕達自身。
 あって当然と思っていたものが、気付いてみたらいつの間にやらなくなっている事がある。なくしてしまうからこそ、人には<懐かしい>という感情が起こるのだろう。そして、この感情のスピードが最近では以前に増して上がってきたと感じるのは僕だけなのだろうか?
 なければならないものがある。
 利便さ、快適さを追求する事だけが全てではないことを忘れずに生きていきたいと思う。ロープーウェイで登る山よりも、ハイキングで登って食べる弁当の方が美味い。

 いつの日か、外食という食事法が当然となってしまい「作ってみるか」、と思い立ち家庭用の冷蔵庫を探し回る日が来ないとも限らない。
 いつの日か、洋服は使い捨てが当然となってしまい「洗ってみるか」、と洗剤と、洗濯機を探し回る日が来ないとも限らない。

 軒端のスペースは限られている。そこに、物干し竿、すだれ、鉢植えのバスケット、エアコンのコンプレッサー、衛星放送用のアンテナ、種々のケーブル、そして風鈴。全てをぶら下げる事はできない。
 失いたくないもの、失ってはならないものを見つけ、そして大切にしていきたい。
 さて、僕にとってのエアコンはどうだろう?
 まぁ、冷たいビールは美味い……。
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by seikiny1 | 2005-08-13 12:49 | 思うこと
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