ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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麻痺する感覚としない感覚
 人と軽く肩が触れた時、”Excuse me”が出てくる。
 人と目があった時、自然と微笑む。
 軽いあいさつで、”Hello”ではなくて”Hi”と言う。
 地下鉄の階段のそばで、ベビーカーを押した女性を見ると手を貸してあげたくなる。

 用事がありミッドタウンへ出た。相変わらずの人の多さには辟易するけれど、これがきっとニューヨークの原動力の一つなのだろう。そして、その一部になろうともがいている人達もたくさんいる。エネルギーの奔流の中に身を置くことが全てはないのだけれど、それもひとつの方法と言えない事もない。僕にもそういう時期があったからよくわかる。そして、エネルギーは、はたから見ているほうがよく見え、感じる事が出来、吸い取る事もできる。
 「おっと赤信号だ。でも車は来てないな。さぁ、渡ろう」
 交差点のふちで自分の意識とは裏腹に、一瞬だけたたらを踏んでしまった。この街ではその一瞬が命取りになる事もある。そう、上手に信号無視をする事もニューヨーカーの必要条件の一つ。
 数ヶ月もヨーロッパへ行っていると、あらゆる感覚が鈍ってくるようだ。中にはあちら風になってしまい、麻痺してしまっているものもある。僕の中でその際たるものはビール。とにかくのどが渇いたらビールを飲む。場所も、時間も関係ない。グイッとやってのどを湿してやる。
 そういう感覚で夕方のデリへ飛び込みビールを買った。そこで、少しご無沙汰していたニューヨークの感覚が戻って来た。「オットット……」。ここでは歩き飲みはご法度だった。その一方で、あとひとつの感覚が少しだけイヤイヤをしている。以前は、ご法度の網をくぐり抜ける裏技を使う事に何のちゅうちょもしていなかったのだけれど、今日はおかしい。そこが、ミッドタウンという僕のテリトリー外なのでなんとなく居心地が悪いことも手伝ってはいたのだろうけれど、ここでもたたらを踏んでしまった。
 瞬時に断を下す事が出来ずタイミングを逸してしまった僕は、昔よくやったように、デリの奥の方にいくつかあるテーブル席の法へと足を向け、店内で飲む事にする。ニューヨークで合法で一番安くビールを飲む方法は多分これだろう。
 午後六時前のマディソン・アヴェニュー沿いのデリ。そこには先客がいた。
 フルーツを食べながら本を広げ、何かをノートに書き写しているサラリーマン風の男性。
 夏だというのにネルシャツを着込み、むしゃむしゃとピザを食べている男性。彼の前には、すでに銀色に輝くクアーズ・ライトのロング缶が三本立っていた。
 一番奥では三人のメキシカンの男性がハイネッケンを飲んでいる。ここにも十本ほどの緑の林が。
 横の従業員用のドアの奥では、スペイン語でなにやら楽しそうに話している。
 僕が腰をおろした斜め前には、夏用の涼しげなビジネススーツに身を包んだ女性が食べ終えたケーキの残骸を前に腰掛けていた。一日の仕事を終え、甘いものを食べスーッと気が抜けたのだろうか。よく見ると彼女は眠っている。背中はピンと伸び、両足はしっかりとそろえている。ゆっくりとしたスピードで舟をこいでいる、少し傾いた首さえ見なければオフィスで姿勢よく座っているようにも見える。
「一日のお仕事ご苦労さん」
 心の中で彼女に乾杯をしながら、足元を見てみると。水色のサンダルの上に行儀よくそろえた小さなはだしの足が乗っかっていた。
 お昼時は戦争のように忙しいミッドタウンのデリの夕方。まったく違った表情を見せてくれる。傾いた日が差し込む蒸し暑い店内の人々、そして空気。このつぎはぎだらけのちぐはぐさがこの街の感覚なんだ。あっ、黒いスーツで身を固めた日本人の男性が小走りに、車の間をぬうようにアヴェニューを横切って行く。

 ビールを飲み終えた時、自分がニューヨークにいることをしみじみと感じた。僕はこの感覚が好きなんだ。彼女はまだ眠っていた。

 麻痺しない感覚というのは、やはりそれが好きで体の一部となってしまっているのかもしれない。
 飲み方こそ違っても、ビールの感覚だけは麻痺しないようだけれど。これもやはり体の一部なのだろう。
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by seikiny1 | 2005-08-10 13:12 | 日ごろのこと
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