ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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職業としての旅人
 あれはまだ日本にいる頃だったから、多分二十年位前のことだと思う。
「俺の職業は旅人だ」、と言っている人がいた。しばらくの間、印象に残っていた言葉だったけれどやがて忘れてしまっていた。
 ルー大柴さん。今でも彼は言っているのだろうか?
 先日、フッとこの言葉を思い出した。漠然とだが、彼の言わんとしていた事が少しだけわかったような気がする。

 雑誌を開いても、テレビを観ていても、人の話を聞いていても「旅行へ行きたい」、という衝動に駆られる事がまったくと言っていいほどない。これまでのことを思い起こしてみても片手でおつりがくる。冒険心に欠け、好奇心がなく、臆病者で、安定を好む人間なのだろう。その証拠に、一度気に入った飲み屋へはイタチの一本道のようにせっせと足を運び浮気をする事はあまりない。新しいお店を見つけるのはいつも人に連れて行ってもらった時に限られる。旅人の風上には絶対置けない性質のようだ。
 そんな人間でも旅行へ出る事はある。最初の宿だけを決めて重い腰を上げる。その後に行く場所も(行きたい場所なんてはなっからない)、ルートも決めずに。とりあえず腰だけを浮かして飛行機に乗った。そんな僕でも最初の数日のうちは「この旅で何かを見つけてみよう」とか「何かがあるかもしれない」などと軽い決心をしたり、変な期待に心を弾ませたりもした。しかし、そんな自分に似合わないものが長続きするはずもなく、数日後には「さて、旅とは目的地や目標がなければいけないのだろうか?」、案の定そんな考えにとりつかれてしまった。
 電車に揺られながら、重いバックパックを背負って歩きながらずっとそんなことを考えていた。そして答は出た。
「旅には必ずしもそんな事は必要じゃない。どこかへたどり着き何かをするためではなく、ただ旅をするためだけに旅をする。そんな旅があったっていいじゃないか」
 こう思ってしまうと、車窓の風景も興味深く、バックパックも心なしか軽く感じるから不思議だ。旅なんてそう大した事ではない。非日常のようではあるけれど、日常とそう変わる事もない。要は本人の姿勢次第。そんなところに立ってみると、日常だって非日常に変えることができる。三次元界の点から点への移動だけが旅ではなく、本人の意識をちょっと変えるだけで旅をする事ができる。
 そう、人は誰もが旅人なんだ。

 行く当てのない旅のことを彷徨と呼ぶ人もいるけれど、僕はそうは思わない。生きることが即ち旅であるならば、僕達はある一点へ向かって確実に歩を進めているのだから。間違いなく旅の途中なのだ。

 ここ一年ほど頭から離れない一節がある。
 松尾芭蕉の奥の細道の冒頭。
 月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
 ………………
 古人も多く旅に死せるあり。
 予もいずれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず
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by seikiny1 | 2005-08-09 15:40 | 思うこと
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