ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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On the Way
 また同じ場所に立っている。右45度に首を回してみる。「そこに有っても、無くてもたいした違いはない」、と思っていたものに。別に意識してそうしたわけではない。そこに立つと、そうする事を習慣としていた自分に気付く。やはり少しだけ寂しい気分になる。有るべきものが突如としてかき消されてしまうのはやはり寂しい。

 電光掲示板の板自体はまだそこにあった。昨夜は夜だったのでそれは闇にかき消されていたけれど,昼の明かりのもと,それは一枚の黒い板になっていた。光から闇に変わった点。
 眼を凝らしてみても作業をする人の姿を見つけ出す事は出来なかったけれど、それは確実にdeconstructionの途中。先日までは赤い光を放っていた(今となっては)黒い板の上の<Biography.>の文字。今では<Biog .>となっていた。周りを囲む赤い枠線も一部が取り外されていた。この何の脈絡も無い解体工事のやり方がとてもアメリカらしくて、口元に笑いが浮かんできてしまう。きっと、あれを設置する時もこんな感じで工事をやっていた事だろう。それを見上げながら苦笑していた人もきっといたはずだ。
 
 そこに結果がある時、それには必ず経過がある。その経過がどういう形をしていようとも多くの人の目にとまる事が出来るのは、やはり結果であることのほうが多いように思う。何かを<結果>としてみる目。それを単なる<経過>のひとつの点と捉える目。同じものを見ていても、違った目で見てみるとそれはまったく違った表情を浮かべてくる。結果は大きな点に過ぎず、経過とは過去、そして未来とつながる先の見えない長い線。
 作る時も、壊す時も一瞬にしてそれを遂げる事は出来ない。そこには必ず経過というものの存在がある。僕達が結果として目にしているものも、長いピリオドで見てみるとやはり一つの経過に過ぎない。完成品である、と思っていたあの電光掲示板も、実は無に還るまでのひとつのピリオドを見ていたに過ぎないという事に思い至る。そしてその無から何かが始まる。
 Deconstructionが教えてくれた事。
 以前に、色々な場所からひとりで、また色々な人と見上げていた僕を包む情景もその一瞬、一瞬がとても小さなもので、どれもが無の方向を向いていたのだろう。見上げているその時にはまったく気付かなかったのだけれど。

 こんな事を考えていたら、飲み屋で隣に座っているスキン・ヘッドのお兄ちゃんの頭が気になってしょうがなくなってしまった。「一体どこまでが顔で、どこからが頭なのだろう?」。はっきりと言えることはただひとつ、頭のてっぺんまで真っ赤になっている事。酒を飲むと顔が赤くなる人は結構いるのだけれど、正しくは頭までもが赤くなるようだ。ただ、そこには多くの場合髪の毛が生えているだけ。髪の毛を剃った瞬間に、その境界線は消えてしまう。そして酒を飲むと頭まで赤くなってしまうというこの事実。顔と頭の境目は無い。ただ単に、髪の生え際であたかも線が引かれているように見えるだけ。
 境界線はいらない。それは引いたものではなく、引かれたものだから。
 僕達はどこまでも、いつまでもon the way。
 それはメビウスの帯の上を歩く蟻のようなものなのかもしれない。どこが起点でもなく、終点でもない。ゴールはいつも新しい出発地点。そうやって人も街も歩き続ける。

 数十年後に、あの電光掲示板があったビルの屋上を眺めながら何かを思う人がいる事だろう。そんな情景を想像すると、なんだか楽しくなってきてしまう。
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by seikiny1 | 2005-05-08 13:55 | 思うこと
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