ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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電光掲示板
 あの電光掲示板は、一体何年あそこで時を告げていたのだろう?いくつのニュースを人々に伝え続けてきたのだろう?
 セントラルパーク内のシープ・メドウに寝転がればいやでもそれは目に入ってきた。十年程前、午前中からビールを飲みながら見上げていた青い空。昨年の夏の初めに、友達と寝転がってその後ろを流れ、ある場所に達すると全ての雲が消えてしまう不思議な風の流れの話をしていた事を思い出す。
 そこにあることが当然であったもの。あったからといって、別段有り難味を感じることも、邪魔であるとも思わなかったもの。しかし見上げれば、いつも時刻と天気についてひとりつぶやいていた。そんなものが何の前ぶれもなく突如として消えてしまう。そういった出会いと別れが普通なのかもしれない。あの日のWTCもそうだった。

 なくしてしまったものに対する思いが募るのはなぜなのだろう?子供の頃に失くしてしまった消しゴムの事を思い出すことがある。
 <ここにある>=<いつかなくなってしまう>、ということだろう。そんな公式は頭の中ではわかっている。しかし寂しい。わかっていても寂しい。わかっているからこそ寂しいのかもしれない。たとえそれがどれだけ愛したものであろうとも、単にいつも目にしていただけのものであっても必ず別れの日はやってくる。それは無作為であるがゆえに平等で、残酷だ。永遠という言葉はあるけれども、永遠というものはないのかもしれない。
 昔の人は「会うは別れのはじめ」、と言った。小学三年生の時にクラス替えがあり、その直後に新しく担任になった先生が言った言葉。その時の先生や友達とははなればなれになってしまったけれど、その言葉は今でも消えずに僕の中に生きている。
 別れはたしかに辛い。痛みを感じることすらある。それがどんなことであろうとも、皮肉な事に思えば思うほどにその別れは痛みを増してくる。しかし思わずにはいられない。痛みたくないゆえに痛んでくる。

 僕達が生きる世界に永遠、というものが存在しないのであればそれを現実のものとするのは自分自身しかないのかもしれない。あの言葉のように、どれだけの永遠を宿していくことが出来るのだろう?ただ、ただ、そんな永遠を増やすためだけに生き続けているのかもしれない。
 駅からは伝言板や掲示板が消え、かつてはデジタルによる情報伝達のトップランナーだった電光掲示板は街から姿を消した。今花盛りのインタ-ネット上の掲示板だって同じ運命をたどらないと誰も断言することは出来ない。そこには誰も見ることの出来ぬ未来が立ちはだかっている。
 永遠は自分の中にしか存在しないのかもしれない。
 生のある限り消えることのないもの。それはしっかりとした思い出でなくてもいい。いつか、どこかで「フッ」と思い出す。ただそれだけでいい。それもひとつの永遠なのだから。かなうことならたったひとりでもいい、誰かの中で僕自身も「永遠になってみたい」、という思いはある。それに向けての努力はしない。ただ歩くだけ。電光掲示板のように。彼と同じように笑っていたい。
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by seikiny1 | 2005-05-04 17:16 | 日ごろのこと
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