「なんでこいつがあるんだ、こんなもの消えてなくなっちまえばいいのに」
アメリカのごく普通の文房具屋へはいり鉛筆を買う。棚には数種類のものが並べられているけれど、そのほとんど全てのお尻に余計なものがくっついている。毎度の事ではあるけれど、それでも時として憎たらしくなってしまう。これは女性の下着や水着に対する感情にも似ているのかもしれない。
消しゴム。
鉛筆の最大の特徴と言えば<消せること>。これを使う多くの人はそれがあるからこそこの筆記用具を使うのだろう。小学校の低学年ではこの割合はかなり高いはずだ。買い与えられた物ではあるのだろうけれど。こういった原因からか、この二人は密接な関係にある。消しゴムはまるでろくでなしのダンナの尻拭いをする女房のようでもある。切っても切れない関係。それにしてもこの二人は一体いつから所帯を持つことのなったのだろう?どうしてそんなろくでなしと別れないのだろう?そんなにこのダンナには魅力があるのだろうか?そして、どうしてこの国では日本以上にこの二人は仲がいいのだろう?まぁ、合理的なことが好きな国民性の現われなのかもしれない。それならばどうしてもっとよく消えるものをひっつけないのだろう?質より量、といった考えがどうしても主流なので減りの少ない物を選んでいるのかもしれない。
僕は最後のギリギリまで鉛筆を使う。消しゴムが邪魔でしようがない。そのため短くなってしまい書きにくくなった鉛筆にはカッポスをつける(このカッポスとは標準語か外来語だとつい最近まで思っていたのだけれど、そうでない事がわかった。多くの人にこの用語が通じない。文房具用語では<補助軸>と呼ぶらしい。鉛筆が短くなった際に装着する銀色の軸のこと-こいつのお尻にもたいてい女房殿がついてくる-)。その際に消しゴムによって微妙にサイズが違うせいか、そこが引っかかって入らないことがある。外出の際はキャップをつけてかばんに放り込む。短くなってくるとキャップが鉛筆と消しゴムを結ぶ金属の部分より奥へは入っていかず、すぐに抜け落ちてしまう。削ろうとすると、コレも金属部分がじゃまをして最後まで削ることが出来ない。鉛筆の寿命をまっとうさせてあげる事が出来ない。天寿がまだ残っているのに……。寿命を宣告された病人が早く死んでしまうようなものだ。消しゴムの分だけ余命が目減りしてしまっている。
そして何よりも僕は消しゴムを一切使わない。そのくせにこの嫁はうるさくつきまとう。どこへ行くにもついてくる。ついてくるだけならまだマシだけれど、いちいち小言をたれる。
鉛筆の後ろの消しゴム。
僕の身の回りで一番無駄なもの。
鉛筆と消しゴムは同時期に発明されたのだろうか?多分鉛筆の方がおじいさんだろう。
消しゴムが発明された時、人々はさぞや喜んだことだろう、それはひとつの革命と言ってもいいかもしれない。その衝撃は、再生だけではなく録音・消去が出来るテープレコーダーが世に出た時以上のものであったかもしれない。
「失敗をしてもやり直しがきく」
犯罪者をなぐさめてもそれほど喜ばれない言葉かもしれない。道理ではそうなのだけれど、現実はすべてが道理にかなっているとは言いがたいのは周知の事実。しかしこれらの記憶媒体は、その道理と現実をほぼ等号で結んだ。 何度もやり直すことが出来る。素晴らしいことだ。<失敗>という事実を消し去ることが出来るのだから。成功はそうそうないかもしれないが、とりあえず失敗は減る。いや、消せると言ったほうが正確かもしれない。
これはあらゆる記憶媒体に言える事かもしれないけれど、消し込みが出来るという事実はその分だけ緊張感を削いでしまう。一度きり、という事実が遠くなってしますから。テレビでNGを出しても撮り直せばよい。一文字、一文字を緊張して書くことも以前のようにはなくなったことだろう。「ここ一番」、と張り切ってデートをする男も減ったのだろうか?
間違うことを前提にする、とまでは言わないがそれを供してくれる鉛筆。
しかし僕はその最大の魅力を使わない。これは絶世の美女を嫁に持つ男が、その容姿をあまり見ることなく一つ屋根の下で暮らしているのにも似ている。その男には容姿などはどうでもよいのかもしれない。その美貌ゆえに周りで噂をされたり、嫁に言い寄ってくる男がいたりしてかえってじゃまに思っているのかもしれない。彼が惚れたのは女房の美貌ではなく性格なのだから。それだけで幸せなのだ。
僕が鉛筆を好む理由は、書き味がよいこと。それゆえにスピードが出ること。削る時の香りや感触も好きだ。その他にもいくつでもあげることが出来る。ただ、その中には女性に対する感情のように言い表すことの出来ないものもある。女性を好きになるのに理由はいらない。
消しゴムを使わないのもやはりスピード、ただの面倒くさがりなどといった理由からだ。嫌いになるのにも理由のない時がよくある。
以前は「自分の過去を消してしまいたい」、と思うこともあったがではそうは思わない。「消されてたまるか!」、というのが本音だ。そのひとつひとつが貴重なものだから。はたから見ればへたくそな文字であっても、それは僕の宝。愛着がある。
好きな鉛筆は<三菱の9800>と<トンボの8900>。
*女性の方を不快にしうる表現があることをお詫び致します。愛するものはやはり女性と重なる部分が多いということをご理解いただけたらと思います。