ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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漬け丼
 久々の寝坊だった。空腹で眼が覚めた。外は昨日ほど力強い太陽の力はないようだけれど暖かいようだ。不思議なもので、聞こえてくる街の音で天気や気温がなんとなくわかる時がある。
 「そうだマグロのきれっぱしがあった!」
 やっと寝床から抜け出し、漬け丼にするための調味料を合わせ、マグロを放り込み冷蔵庫に入れる。やはり三十分くらいは寝かせなくては。ついでに玉ねぎもスライスして酢水にさらす。
 本を読みながら三十分を過ごし、冷やごはんを冷凍庫から取り出す。その容器を持った瞬間に全身から力が抜けてしまった。半透明のカバーの上からのぞいてみると案の定半分ほどしか入っていない。ごはん茶碗に軽く一杯弱。重さでいくとマグロの方が絶対に上だ。これでは主客転倒になってしまうので、急遽スパゲティーに変更。
 漬け丼の頭のままでスパゲティーをかき込む。それなりの味。おなかが膨れるとどうしても眠くなってしまう。その本能に逆らうことなく横になり、しばしウツラウツラとする。
 開け放たれた窓からは様々な音が入ってきている、しかし同じ音を聞いていても、人間は決して同じようには受け止めない。たとえば車の音、鳥の声、バスケットボールで遊ぶ子供たちの喚声。そこにこの三つの音しか存在しなかったとしても、それに春を感じる者、都会の息吹を聞く者、過ぎ去った日々のことを思う者、明日の仕事のことを考えている者……。感じ取るものはまったく違ってくる。音そのものは同じであるのに。
 音を出すものには何の責任もない。受け取る者には無限の自由がある。何一つとしてそれで出来上がり、完結し、どこから誰が見ようをも同じ顔をしているものはない。全てがあらゆる可能性を秘め持ち、それぞれが何かの途中。
 一枚の絵を見てなにを感じ取るか、どう見るか、そして作者の意図はなんだったのか。そんなことを定義づけることは到底出来ない。それこそナンセンスと言うほかない。もちろん、何かを意図して創り出した者にはそれ相応の責任はある。しかし、そこから一人歩きし出した物をどうすることもできはしない。勝手に何かにこじつけられてしまう事だってある。創り手に求められるのは<何かを送り出すこと>。この世界の一人一人が創造者であると言っていいだろう。受け手に求められるのは、いかに多くの角度からそれを眺めることが出来るか、といった柔軟な姿勢だろう。それには限りがあるからこそ、出来るだけのことをしたい。
 こういった考え方は、世にある様々な事象の何の解決にすらならないかもしれない。しかし、それを力で押さえ込まれることは恐怖以外の何者でもない。だから、窓からの音を聞きながら様々なことを考える。

 十分ほどウトウトしていたら気分爽快になった.コインランドリーへ行く。外はやはり春だった。乾燥機の前に立ちながら暑さのためにビールが飲みたくなってしまった。
 久しぶりの休みなので勘弁してもらおう。先ほどのマグロの漬けをガラスの容器に盛り、オリーブオイルをたらし玉ねぎ、もみのりを乗っけておつまみにした。あぁ、ビールが美味い!
 そう、マグロの漬けは丼でなければならない、ということはない。
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by seikiny1 | 2005-04-08 08:50 | 思うこと
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