ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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サブウェイ特急
 矢沢永吉のソロ・デビューアルバム:アイ・ラブ・ユー・OKのB面に<サブウェイ特急>という曲がある。初めて聴いたのは中学二年生の頃だった。
 ♪地下鉄にはさびしい顔のやつらが  
  肩を並べて座っている
  背中に暮らしを引きずりながらやつらは
  ネグラへ帰るただそれだけ……♪
 この一節がもう三十年ほど頭にこびりついている。
 夜の地下鉄は今も昔も、ニューヨークも東京もそう変わりはしない。そんな中の一人にならないためだけに僕は生きているのかもしれない。そして、これからも。

 東京の電車網を完璧に乗りこなすことが出来たらとても便利なものなのだろう。ただ、あれにはいつもまいってしまう。人の多さ。
 とにかく人が多すぎる。ラッシュアワーの新宿駅構内で、どっちへ行ったらいいのか常にわからない僕は縦、横、ななめ、ジグザグ、様々な人の流れにもてあそばれいつもキリキリまいをしていた。
 そういった印象があまりにも強かったせいか、はたまた帰国時に主に使っていた駅がどちらも終点、始点駅であったためか電車に乗る時に不快な思いをしたことがないように思う。日本の電車の乗降時のマナーはそれをニューヨークと比べてみると格段に上になっているのかもしれない。

 <誰もが降車する人の降りきるまで扉の脇で静かに待つ>。ニューヨークへ来た当初、そんな地下鉄の光景に都会を感じた。その頃の東京での事情はあまり知らない。僕の生まれ育った地域での印象はと言うと、ニューヨークの地下鉄でよく見かける中国系のオバサン達とまではいかないけれど、電車の扉が開くやいなやわれ先にと乗り込もうとする人々。。
 ニューヨークは都会だった。とても洗練されているように僕の目には映った。いや、もしかしたら皆が「都会人(文化のある、秩序が守られる)であろう」、と努力し、互いが牽制をしていたのかもしれない。
 最近のニューヨークの地下鉄では、ドアが開いた瞬間に飛び込む人こそまだ少ないけれど、それでも降車する人達が降りきる前に「ズン、ズン」、と逆流して乗り込む風景を<常に>目にする。人々は都会人であることをやめたのだろうか?都会人としての矜持をなくしてしまったのだろうか?ニューヨークは本当に悪い意味での田舎者のふきだまりとなってしまったのかもしれない。そういえばお年寄りや子供連れの人に席を譲る人も最近ではあまり見かけなくなってしまった。地下鉄の車両内に自転車を持ち込む人が減ったように。

 「<都会人>とは何を指すのか?」、と気になって辞書を引いてみた。そこには「都会に住み慣れている人。都会的なセンスを持っている人」、とある。もし、都会的センスというものがそのようなものであるならば僕はいらない。たしかに都会(人が集中する場所)では犯罪をはじめ様々なことが人との間で起こりうる。常に自分というものを意識して護っていかなければならない。その延長線上で麻痺していってしまった精神がこういったことを引き起こすのだろうか?都会人とは<とにかく自分>を見つめるものなのだろうか?それが都会的なセンスというものなのだろうか?果たして都会で住み暮らすには都会人である必要があるのだろうか?
 これが現代の都会人であるのならば、都会人にはなりたくない。ここがイナカであっても僕の中でそれはきっと変わらないだろう。良識とモラルという事を考え、自、そして他についても考える。たぶん人間の基本性能のひとつと思うのだけれど。
 こんな風景を目にして育つ子供たちはどんな大人になるのだろう?

 地下鉄に乗って考えるのは自と他。
 背中に暮らしを引きずってネグラへと帰りながらも、他のことを気にしていきたい。そうして帰り着いたら自分自身の時間を大切にする。そして朝また地下鉄に乗る。

 都会に住むということは、本人が思っているほどにかっこいいもんじゃぁない。かっこ悪いことがいっぱいだ。

 ガラスの向こうが何も見えない闇でも、何かを見つめていく。
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by seikiny1 | 2005-04-01 14:09 | 日本とアメリカと
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