ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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ガラスの向こう側
 サラサラ。
顔を洗う時いつもとは違う感触だった。そうだった、昨日は人に連れられて(会員のゲストとして)スポーツクラブへ行ったんだった。心身共にとてもリフレッシュできて、とありがたいことだ。とは言っても、僕がやるのは相変わらずサウナとジャグジーだけ。
 ジャグジーはガラス張りの屋根の下にあるプールサイドに設置され、約半年ぶりに深くて広い湯船(?)に全身を沈め、伸ばしてお風呂を楽しむ。湯につかったり、あがって本を読んだりしながら時の経つのを忘れてしまう。水着を着けていることには何の抵抗感も感じなくなってしまっている。
「泳がないの?」
 プールから戻って湯船に身を沈めながら友達が訊く?僕は笑いながらただ首を振るだけ。それでも数分おきにその問いを連発し、最後にはとうとう「本当はカナヅチなんだろう!?」、とまで言われてしまった。それでも僕は泳がない。

 ジャグジーの目の前に広がる平日の夕方の二十五mプール。午後五時を過ぎたあたりから人が増えてきた。何人もの人が黙々とターンを繰り返しながら泳いでいく。浴槽で上気した頭で僕は現代の縮図を見ていた。
 ひとつのレーンに何人もの人が身を沈め泳いでいる。男もいる、女もいる。年齢や人種も様々で、追う者と、追われる者。追う者の中には、ゆっくりと泳ぐ先行者にイライラする者もいることだろう。追われる者の中には、常に後続者のことが気にかかり「迷惑をかけてはいけないかな」とか「俺のペースを乱さないでくれ」などと考えながら両手両足を動かすものもいるだろう。それらの様は人間が一生懸命にもがいているように見えないこともない。一人でありながら、自分の時間を使いながら常に他人のことを意識していなければならない。
 それでも八つほどあるレーンは、高速レーン、低速レーンなどで住み分けがされているらしい。
 僕はあんなプールでは泳ぎたくない。いや、泳ぐことが出来ない。他人にペースを乱され、常に他人のことを気にしながら<自分の為だけに泳ぐ>。そこに勝ち負けは存在しないように見えるが、それでも各自の意識の中では何らかのものが存在している。

 人間はいつの頃から意識して運動をするようになったのだろう。スポーツという名のそれを終着駅としたものは自分自身もやってきたし、それなりに理解も出来る。いつから運動することが最終目的になったのだろう?美としての運動、人に見せるための運動。これらも運動と言えるのだろうか?僕の中では美容の方にかなり近いように映る。自分のため、他人の目に映る自分のため。

 ガラス張りのスポーツクラブ。多分、世には専門の建築家もいるのだろう。もしこれが密閉されたいくつもの空間から成っていたとしたら、ここまで普及したかどうかは疑わしい。この運動を構成している重要な要素のひとつに<眼>があると思うから。
 ガラスの大きな箱の中で、今日も老若男女の多くが自分を<見せる>ために身体を動かす。自分のことを考えて汗を流す。そこで発散されるエネルギー、狭い意味ではこの地球の何の役にも立っていないように見える(個人レベルでは違うのだろうが)。それでも人は燃やし続ける。スポーツクラブにある各器具に発電機でも取り付けたら、エネルギー問題も少しは解決するかもしれない。

 ここ十年以上思っていること。
 ガラスの向こうの彼らが僕の目には養鶏所のブロイラーに見えてくる。
 あとは食べられるだけ。

 身体を動かすことを意識しなければ健康で、美しくあることは難しい時代なのかもしれない。特に都市部では。
 白いワイシャツを着る人が多くなりすぎたのかもしれない。
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by seikiny1 | 2005-03-27 13:58 | 思うこと
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