ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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たった二人のデモ
 ホームレスのころの方が確実に新聞を読んでいた。そういった意味では自分自身のための時間はあのころの方が圧倒的に多かったのだろう。今は新聞はおろか、相変わらずテレビも観ない。ニュースといえばインターネットで見出しを流し読みする程度だ。
 そんな時、「福岡で震度6」の文字が飛び込んできた。慌てて母に連絡をとってみたところ「無事」との事。ひと安心。

 西スーダンの内戦にPKOの名目でアメリカが干渉をしようとしているらしい。
 数日前のランチ時に街を歩いていると、アフリカンの男性がプラカードを持ってたった二人で歩いていた。それには「ブッシュよ、罪なき西スーダンの人々を殺めるな」という旨のメッセージが書かれていた。彼らは叫んだり、署名を求めるでもなくただ静かに手書きのプラカードを持って歩いているだけ。そんな文字をインターネットで目にしても、おそらく素通りして<クリック>で終わりだったことだろう。しかしあのプラカードは、しっかりと僕の心に焼きついた。そのメッセージはマスメディアで流されるようには多の人には届かないことだろう。しかし、それを目にした人にはしっかりと焼き付けられる。
 今の時代に、極めてアナログであること。おそらく彼らにはそれしか方法がなかったのかもしれない。真の心からの叫びなのだろう。だからこそ人の心を打つ。それは公正な目ではないかもしれないけれど、そういった人が世界にいるということを認識させるのにはこれ以上の方法はないと思う。それは計算されたものではない。

 ただ大人数でわめきたてながら、時としては暴力沙汰まで起こしながらやるものだけがデモではない。中にはお祭騒ぎがしたいだけで参加する人もいる。それはかつての<ウッドストック>のように子供達に“I was there(俺もあそこにいたんだ).”とだけ言うために参加しているに過ぎない-少なくとも僕は参加する事はないだろう。やる時は自分の出来ることで徹底的にやる-。そこにはたった二人のデモ行進のように切実としたものを感じることが出来ないし、本当の意味での凝縮されたメッセージが見えてこない。

 今、真実を伝えるのが<マス>コミュニケーションでないことは多くの人が気付いていることと思う。それは言い換えれば戦時中の日本が行っていた大本営発表のようなものなのかもしれない。そこに何らかの意思が入っている。
 しかし、しっかりと目を見開き問題意識を持ってさえいれば、この時代では真実に近い情報を得ることも出来る。ここまでインターネットが発達・普及したおかげで個人単位の検閲されていない情報が交錯している。そういった意味ではとても喜ばしいことだ。ただ、何もかもがいいというわけではなく、ライブドアの堀江社長のようにアダルト系の物に制限を加えなかったことで旧勢力に足をすくわれる場合もある。彼には新しい波を起こして欲しいのだけれど。

 どれだけ数万の人に閲覧されようとも、それは二人の行進のように人の心を打つことは出来ない。マスメディアの限界、問題点を見せられたような気がしてしまった。そして、長々と文章を書くことの無意味さを、この二人に教えられたようにも思う。
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by seikiny1 | 2005-03-23 13:30 | 日ごろのこと
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