ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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ひとつの光景
 バスルームの窓枠の下にシクラメンの鉢と並び灰皿がある。気がついたときにヒョイと持ち上げ、そばにあるゴミ箱の中へ中身をひっくりかえす。
 いつから灰皿を洗わないようになったのだろう?

 既に忘れられた光景になってしまったのかもしれない。
 僕が行くようなバーや飲食店では、席についても洗われた灰皿がそこにあることは少なかった。さすがに吸殻があることはあまりなかったけれど、灰皿の底には灰色や、白色の灰がうっすらとしがみついていた。何本かの吸殻がたまった頃、バーテンダーはカウンターの向こう側にあるゴミ箱へトントンと。ウェイトレスは、他のテーブルからさげてきたばかりのお皿の中にヒョイと中身をかえし、元あった位置に戻してくれた。運がよければ、灰皿と一緒に笑顔を残してくれることもあった。間違っても日本のように、「失礼いたします」と言いながら、灰の飛ばぬようにきれいな灰皿を吸殻のたまったものの上にかぶせてお盆の上にとり、その後すばやくきれいに洗われた物を置いてくれる、というようなことは起こらなかった。あくまでも僕が出入りするようなお店でのおはなし。

 灰皿の底には、いつも誰かの忘れ物がしがみついていた。

 バーや飲食店でタバコを吸うことの出来なくなってしまった今のニューヨークでは、既に忘れ去られた光景。しかし僕にとっては忘れえぬ光景。
 人はいくつの忘れ去られた光景を持っているのだろう?そして、いくつの忘れ得ぬ光景を持つことが許されているのだろう?
 ジェイ・ウォーク、街中でトイレを探しまわる人、地下鉄の改札のゲートを飛び越えていく少年達……。当たり前の話だけれど、この先「どんな光景が忘れ去られてしまうのか?」なんてわかりはしない。ただ、ひとつでも誰かの心の中に残ることが出来ること、忘れ得ぬ光景、の栄誉に預かるものが多いことを願いたい。

 積極的な主張ではなく、消極的な風景でもない。そこに何の違和感もなく存在し、なくなってしまってもあまり気付かれることはない。しばらくたった頃に「エッ?」、と気付く人がいる。しかし、大通りの信号が青になった次の瞬間にはまた忘れ去られてしまう。なくても何の不自由もなく、頭の片隅に一瞬姿を現わし、そして片隅に追いやられてしまう。ただ、消えてしまうことはない。
 寒い冬の日に締め切った窓を通して聞こえてくる小鳥の鳴き声。どこで鳴いているのかもわからない。耳を澄まし、聞こうとしなければ町の音の一部でしかないそんな声。そんなものを大事にしていきたい。

 風景になりたいと思った時があった。
 たったの二ヶ月ほどだけれど、路上のひとつの場所で一日のほとんどを過ごしていた頃。
 しかし、そうなることは出来なかった。

 自己主張の巣窟のようなこの街にいるせいかもしれない。忘れ去られた、また不意に頭をよぎる光景に僕はホッとする。
 忘れ去られた光景であり、忘れ得ぬ光景でもある。そんなものに僕は強くひきつけられてしまう。
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by seikiny1 | 2005-03-17 13:57 | 思うこと
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