ニューヨーク、街と人、そして……
by seikiny1
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後姿
 暖房がよく効いている。それでもベッドの中では布団の下に滑り込んでしまう。あつい……。壁に足の裏をペタッとひっつけてみた。期待にたがわずそこはヒンヤリとしていた。足の裏から体温が抜け、壁の冷気が身体に入ってくるのを感じる。

 物を大切にする。愛着がわく。それは、やはり物がこちらの一方的な思いを一言の文句もなく全て受け止めてくれるからだろう。大切に手入れをした物はちゃんと機能してくれる。こちらの期待に応えてくれる。裏切られることはあまりない。
 これまでどれだけの人を裏切り、裏切られ、してきたのだろう?一体いつまで続くのか?それを思うとため息が出てくる。楽しいことばかりではない。

 僕達は小さなセルの中で暮らしている。上下、両横を囲み、囲まれて。それは誰しもが<守るべきもの>を持つから。そこに壁がなければ見ず知らずの人が土足で踏み込んでくることは免れない。
 理屈を言えばその壁を取り払ってしまえば誰とも偏見なく付き合っていくことが出来る。しかし<守るべきもの>がある限りそれはなかなか難しい。たとえこちらが全てのよろいを脱ぎ捨てて裸になったつもりでいても、やっぱり何かを背負っているのはよくあること。そんなにたやすいことではないようだ。そしてそういった気配を、それだからこそ、誰もが敏感に感じ取る。「この偽善者め!」といったことになる場合もある。
 どうしたら壁を薄く、低くすることが出来るのだろう?
 今の僕に言えるのは<自信>を持つということ。その対象が何であれ、それが他人の目には完全、堅牢とは映らなくとも自信を持ち、誇りを失わないことじゃないんだろうか。そういった自信を確立することが出来れば、人を羨むことも、蔑むこともなくなってくる。そこで初めて相手と対等な立場になれると思う。
 コーヒーを差し出し、サッとホームレスであった僕の隣に腰をおろすことが出来る人。そういった人達が当時の僕にはとてもまぶしかった。「あの感覚はなんなんだ?」。今の僕に言えるのは、当人たちにその自覚があったかどうかは別として(ないからこそかもしれない)、彼らは自信と誇りに満ちていたのではないか、ということ。
 その自信の対象は何でもかまわないと思う。家事、仕事、学問、趣味、子育て……。どこかに自分という確たる存在を持っていれば、その人を人間的なゆとりというものが包み込む。こんなことを思うのは、そういった人たちを観察していたからではない。その逆の人達を見ていてこんなことを考えた。
 「この笑顔は何なんだ?」。何らかの違和感を抱させてしまう人がいる。そういった人達には共通して自信が感じられない。深みを感じることが出来ない。堂々とした押し出しがない。後姿がきれいではない。そこでこちらも一歩も二歩もひいてしまう。
 自信を、誇りを持つ人には、それに裏付けられた行動にもやはり説得力がありうなづかされてしまう。
 無私ということは不可能に近いものかもしれないけれど、自身を持って生きていきたい。
 街角ですれ違う見ず知らずの人に微笑みかけたとしても、愛想笑いではなく、純然たる笑いを浮かべていきたい。その人の背景に笑いかけるのではなく、<その人>に笑いかけることが自信というものだと思う。

 自信とは高慢や卑屈になるのではなく、信じるに足る自分を持つことと僕は信じる。そして他人を信じることができること。


 人間関係というのは永遠のテーマのひとつだろう。未熟すぎる僕にはとても、とても重くなにを書いているのか自分でもわけがわからなくなってしまった。まだまだ結論など出るはずもない。
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by seikiny1 | 2005-03-10 09:42 | 思うこと
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